第41話 たとえば(1)

 十一月は三週目に入った。日増しに寒さがきつくなってきて、昨日などは十一月としては記録的な寒さだったとかで、八尋は冬物のダウンコートを出してしのぐことになったほどだ。

「もうすぐ一か月経つから、ここで一度報告にきてよ」

 花から唐突な連絡があったのは昨夜の晩だ。いつのまにか遠方での仕事とやらを終えてこちらに戻ってきていたらしい。

 呼び出すにしても早く言えよとぶちぶち文句を言いつつ、八尋はこれまでの経過をレポートにまとめる作業を深夜までかかって終わらせ、翌朝、花の住んでいるマンションを訪れた。

 しかし、オートロックを開錠してもらうためインターホンで呼び出しても応答がない。訝しみながらスマートフォンで花に電話をする。こちらも反応なし。

 呼び出しておきながらどういうつもりだ、帰ってやろうかと八尋が考え始めた時、自動ドアが開く音がした。ちょうど中から住人が出てきたのだ。八尋は少し考えてから、ドアが閉まる前に中へ身体を滑り込ませた。

 エレベーターを上がり、廊下を進む。九階に花の部屋があった。

 扉の脇についているインターホンを念のため押すが、やはり応答はない。憮然としながら何気なくドアノブを引く。

 何の抵抗もなく扉が開き、八尋は驚いた。

 開いたドアの隙間から恐る恐る中の様子を窺う。まっすぐ進む廊下の両脇にいくつか部屋の扉やバスルームがあり、突き当たりがリビングだ。扉は閉まっているがガラスが嵌め込まれていて中の様子がわかる。

 そこで桜色の髪をした人が倒れていた。

 八尋は靴を脱ぎ捨てリビングに駆け込んだ。「おい! 花!」と声をかけながら近づき、顔を確認する。間違いなかった。うっすらと開いた目は何も見ていないように虚ろで、半開きになった口からは吐瀉物のような液体がこぼれている。

「嘘だろ」と呟いていた。動かない花。Tシャツと下着一枚の姿で、自分の部屋に横たわっている。八尋は意識が遠くなるような感覚に襲われる。嘘だろ。

 不意に、薄く開かれた目の黒目部分がぎろりと動いて八尋を見たので思わず仰け反った。意識が急速に引き戻される。心臓の音が脳内で鳴っているかのように激しく、うなじのあたりが脈打っているように感じる。

「やひろぉー。やっほぉー」

 震えた声で花が声を発した。ろれつが回っていない。心なしか微笑んでいるようにも見える。気持ちが冷めるスイッチが入った音が聞こえた気がした。八尋は眉間に皺を寄せながら「おい。おまえ、まさか酔ってるんじゃないよな」と訊ねた。

 花はゆっくりと首を回して八尋に顔の正面を向けると、にかっと不器用な笑みを見せた。

 殴ってやろうかと思った。


「ごめんってばぁー。本当に悪かったってぇー。機嫌直してようー」

 ソファーの上に胡座をかきながら、両手を合わせて頭の上あたりで振りつつ謝罪する花。先ほどまでの様子は微塵も感じられない、いつもの彼女だ。

 飲酒で倒れたのは自業自得とはいえ、酩酊しているのであれば救急車を呼んだほうがいいだろうと八尋が準備をしている間に花は起き上がっていたのだ。

「もう大丈夫だから。ごめんね」とケロッとした笑顔で言う彼女に、どんな回復力だと八尋は呆れた。

「二日酔いの原因はアルコールの分解過程で発生するアセトアルデヒドって物質が分解しきれずに残っちゃうことなんだ。だから内臓機能をブーストして残ったアセトアルデヒドを一気に分解しちゃえばこの通りってわけ」

 花の説明を八尋は顔をしかめながら聞き、「だったら最初から使えばいいだろ」と苦言した。

「それじゃ酔えないからつまんないんだって。酔った後じゃうまく使えないし」

「倒れるまで飲むなよ」

「ごもっともです」と返す花はなぜかにやにやとして八尋を見ている。

「なんだよ」

「いやあ、八尋も成長したなあってしみじみ感じちゃってさ」

「はあ?」

 いきなり何の話をしだしたのか。八尋は訝しむ。

「近頃のお花さん、失態続きで八尋に叱られてばっかりでさ。いやー、こんな時がくるなんてねえ。嬉しいやら寂しいやら」

「何を隠居した先代みたいなことを言ってんだ。もういいから、ほら、これが報告書」

 八尋は持ってきたファイルをテーブルの上に放り投げた。

「あといつまでパンツ一丁でいるつもりだ。ズボンを履け」

「お母さんみたいなこと言うなあ」

「俺だって言いたくない」

「いいじゃん別にー。わたしたち家族みたいなものじゃない。姉の下着姿だと思えばいいじゃん」

「世間一般のお姉さんのほうがよっぽど配慮すると思う」

「もー。八尋ったらお年頃なんだから。でもここはわたしの家なので却下です。時間もないしね」

 花は構わず、ソファーの上に両足を組んだ姿勢のままレポートに目を通し始めた。八尋はため息をつくと、「飲み物もらうよ」と言って立ち上がった。

「冷蔵庫に梅ジュースがあるから飲んでいいよー」

 声をかけながら、花がページをめくる。

「梅ジュース?」

「青梅を氷砂糖に漬け込んで作ったシロップ。炭酸で割ると美味しいよ」

「へえ。お言葉に甘えてもらおうかな」

「わたしの分もよろしくねー」

「はいはい、わかってますよ」

 梅ジュースを用意して戻ると、花はすでに報告書を読み終えたのか細身のデニムに足を通しているところだった。八尋を見て「ありがとー」と笑顔で近づいてきて、受け取った梅ジュースを一息で飲むとコップを押しつけてきて「おかわり」とのたまった。

「よく調べてあるじゃないか」

 おかわりを用意して戻った八尋に、ソファーに座ってファイルを眺めながら花が言った。「なるほどねー」などとうんうんつぶやいている。

 八尋としては納得しているとは言い難い内容の薄さなので、熟読されるとかえっていたたまれない。居心地の悪さを感じながら花の隣に腰を下ろし、テーブルの上に彼女の分のコップを置いた。

「新しい収穫は少ないよ」と言いながら八尋も梅ジュースに口をつける。一口飲んで、思わず「美味しい」と声に出していた。甘さと酸味、炭酸の爽快感が絶妙だった。

 花は得意気な様子で「でしょう」と笑った。八尋ははっとして、わざとらしく咳払いをしてから言葉を続ける。

「夜空が自分で把握していた呪いの発動条件と、植物を使った実験でわかったこと、あとは夜空の経験を照らし合わせてまとめただけだよ」

「この末尾の添付資料が、夜空の体験談か」

 花がぱらぱらとページをめくっていく。八尋はそれをまとめた作業を思い出してしまって、少しげんなりした。

 夜空との生活が始まってから、時間を見つけては彼女の過去の話──主にギフトが発動した際の状況を聞き取ってまとめるという作業をしてきた。何か共通点や見過ごしていることがないかと思ったのだ。だが、どのように殺してきたか、その話を根掘り葉掘り聞くことも、それをまとめることも、思った以上に精神的な負担の大きい作業だった。

 一方の夜空は「これまでの覚えている限りを話してくれ」という依頼を嫌がることもなく、話してくれる様子は淡々としていた。少なくとも、そのように見えた。内心どう感じていたのかは窺い知れないけれど。

「これはこれで面白い読み物ではあるね。夜空による殺害の記録だ」

 花はファイルを閉じると、座る位置を少しずらして身体を八尋に向けてきた。

「で、このあとどうするか、考えはあるのかな」

 八尋は答えられず黙り込む。

「黙っててもわからないよ」と皮肉っぽい口調で花が笑った。「この悠長な方法も悪くはないけどさ」

「今やっている以上のアイデアはない。手詰まりだよ」

 八尋は正直に伝えた。

 花は「素直だねえ」と、どこか小馬鹿にしたような態度だった。

「検討していないことがまだあるんじゃないかな」

「そうだろうな」八尋も同感だ。「問題は、俺の頭じゃそれに気づけないってことだ」

「諦めるには早いんじゃないのかなあ」

「諦めてるんじゃない。俺の力はこんなものだと正しく自己評価してるだけだ」

「あはは。無力な自分の言い訳をするのは勝手だけど、夜空を巻き込むのはやめなよ」

 明るく悪意のないような調子で花が言った言葉に、八尋は喉元をぐっと押さえつけられたような気分になった。

 そんなつもりはない、と発作的に抗議しそうになったのを堪え、花から顔を逸らす。

 彼女の言う通りだ。自分の弱さを「こんなものだ」と考えていると、その煽りを食うことになるのは他でもない夜空なのだ。こんなことも指摘されないとわからない自分の愚かさに腹が立つ。

 愕然としていた八尋は、突然に脇腹をつつかれて「うわあ!」と声を上げて驚いた。

 花がぽかんとした顔をして、それから腹を抱えて笑い出した。急に恥ずかしさと怒りでいっぱいになる。

「おまえ、ふざけんなよ」

「驚きすぎでしょ」

「おまえがつついたからだろうが」

「あっはっは。あー面白い」

 花は目元の涙を指で拭って、「もうちょっと力抜きなよ」と言ってきた。

「悪かったな。そういう性分なんだよ」

「ふてくされるなよう」

「うるさい」

「しょうがないなあ」と花が笑う。「ヒントをあげよう」

「え」八尋が反応を示したことに、「現金なやつだなあ」とからかう花。たとえ笑われても、今はどんなきっかけでも欲しかった。

「わたしが悪い人間だったとしたら、夜空の能力の発動条件を調べるのには他人を使う」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る