第四章

第38話 バニー(1)

 十一月になった。

 一日ついたちの天気は晴れ。十二時を過ぎた空は雲一つない青さだ。その清々しさとは対照的に、車を運転する八尋は気が重かった。

「疲れてるのか? 顔色悪いぞ」

 助手席の宗一郎が訊ねてくる。確かにそれもある。一日ごとに拠点を行き来する生活は思った以上に身体も気持ちも休まらなかった。

 それでも、花の手配で車一台を八尋の専用にさせてもらったのはかなり助かった。おかげで移動の負担はかなり軽減できている。

 八尋が気重なのは主に別の理由による。単純な話だ。

「今日の仕事に気が乗らないだけだよ」

「ああ」と納得したように声を漏らした後、「確かに、女の子に群がるおっさんの姿を想像してしまうと俺も気分が悪くなりそうだ」と宗一郎が皮肉っぽい口調で笑った。

「でもそのホルダーの少女に会うのは少し楽しみだ」

「下品だな」

 八尋は眉をひそめる。

「おいおい、勘違いするなよ。自分のギフトを使ってしたたかに生きるホルダーに興味があるだけさ」

 その話題をそれ以上広げる気にならず八尋が黙っていると、宗一郎が「夜空とはうまくやってるか」と訊ねてきた。

「どうだろうな」

 適当に誤魔化しているのではなく、八尋には本当によくわからない。

「表面上は問題ないけど」

「はは。奥歯に物が挟まったような言い方だな」

「ギフトについての調査の進捗が芳しくないんだよ」

「実験してたよな。植物をあちこち動かして」

 宗一郎は一度母屋を訪れた時に、夜空との面会と、その実験の様子を見ていた。

「大変そうだったな。家の外と中を行ったり来たりで」

「それでようやくひとつわかったのは、いったん夜空の影響範囲に入っても、距離を離して時間を置けば経過した時間はリセットされること。それだけだ」

 八尋が行った実験はこうだ。

 観葉植物の鉢植えを複数用意して、鉢植え三つにつきひとつのグループに分け、グループにアルファベットを振った。

 そして全てのグループをギフトの影響範囲内に置いて時間計測を開始する。

 まずグループAについて、四時間経過したら鉢植え全てをいったん範囲外に出し、さらに四時間経過するごとに鉢植えをひとつずつ範囲内に戻す、というものだ。

 残りのグループB、Cについても八時間経過、十二時間経過でグループごと範囲外に出し、そこから四時間経過ごとに鉢植えをひとつずつ範囲内に戻す同様の作業を行った。

 そして、範囲内に戻してから呪いの発動により消滅するまでの時間に変化があるかを観察した。

「結果は思わしくなかった」

 いずれのグループにおいても、範囲内に戻した鉢植えは、範囲内での経過時間が二十四時間に達した途端に消滅した。グループCのみ範囲内での経過時間が二十四時間に達するより先に消滅したが、これはグループを範囲外に出す前に十二時間経過した時点で呪いの発動対象となったからだろう。実際、実験開始からの経過時間としてはやはり二十四時間で消滅していた。

「その結果だけなら、範囲外に出ても意味がないってことじゃないか」

 宗一郎の指摘はもっともだった。

「条件を変えて実験を続けるうちに、〝タイマー〟がリセットされる現象を観測したんだよ」

「タイマー? ああ、呪いがかかるまでのタイムリミットか。いいんじゃないか、わかりやすくて」

「推測の域を出ないけど、タイマーは徐々に巻き戻るのではなく、範囲外で一定時間経過すると一気にゼロに戻るタイプなんだろう。リセットされるまでの間、タイマーはカウントをストップしているだけで、範囲内に入ると計測が再開される」

「一定時間って、どれくらいだ」

 宗一郎が訪ねてくる。

「わからない。まだ試行回数が足りない。ただ、タイマーの進んだ時間に比例して、より多くの時間が必要になるみたいだ」

「なるほどねえ」宗一郎が腕を組むのが視界の端に見えた。「夜空に二度と近づけなくなるわけじゃないんだな。よかったよ」

「本当だよ」八尋は深く息をついた。「俺としか付き合いを持てないんじゃ、かわいそうすぎる」

「八尋と交流できるだけでも、彼女にとってはマシかもしれないけどな」

 八尋はハンドルを切って信号を曲がる。一車線だが車幅の広い通りに出た。

 ずいぶんと郊外のほうまで走ってきたようだ。通り過ぎるコンビニの駐車場が広い。畑が点在しているのも目に入る。農業が盛んな地域なのだろう。かと思えば唐突に新興住宅地がぽっかりと現れたりもする。そういえば、農家の継ぎ手がおらず、売却された農地が高層マンションや住宅地に造成されているという話を聞いたことがある。ここもそうしたベッドタウンに変貌しつつあるのかもしれなかった。

「夜空とけんかしたりはしないのか」

 そんなに彼女との生活が気になるのか、宗一郎が再び訊ねてくる。

「ま、あの感じなら、けんかにもならないか」

「いや」八尋はハンドルを切る。今度は右折だ。「そういえば一度、言い争いになりかけたな」

「なんだよそれ」宗一郎は楽しげに身体を揺らした。「何があったんだ。教えろよ」

「セーフハウスに移ることになった初日、移動中にばったり秋月さんに会って、いろいろあって一緒に行くことになったんだよ」

「ああ、あの子か。前に一回会った、あのめっちゃ可愛い子。八尋の彼女の」

「違う」

「身長低いけど胸のおっきな子」

「どこ見てんだよ」

 八尋はげんなりした声で咎める。

「事実だろ」と宗一郎は悪びれない。

「そうだけど」

 風香にそういう目を向けられるのはなんとなく気分が悪かった。

 八尋が先日の出来事を説明すると宗一郎は笑った。

「危うく修羅場だったな」

「からかうなって」

「だけど、ちょっと意外だな」

 宗一郎の声のトーンが少し変わった。

「何が」

「夜空はどうして、ホルダーであることを伝えていないことに噛みついたんだろう」

「噛みついたというか、理由を訊かれただけだよ」

 とはいえ、それは八尋も疑問に思っていたことだ。

「そんなことをわざわざ訊ねなくても、文字通り骨身に染みてわかっているだろうに」

 ニヒルに笑う宗一郎。八尋は黙ったまま彼の言葉を聞いた。

「ヒトにとって、俺たちホルダーは人間じゃない。別の生物としか感じられない。なまじ外見で区別がつかない分、正体がわかるとその迫害は凄まじい。夜空が何百年も生きてきたというのが本当なら、それこそ物語上にしか存在していないはずの空想の生物だ。それが現実に存在して、しかも身近にいると知れたら、酷い目に遭わされるのは確実だろう」

「秋月さんは違う」八尋は口を挟まずにはいられなかった。「ひとまとめにして侮辱するな」

「それは悪かった。そうだな、彼女は違うのかもしれない」

 宗一郎はあっさり謝罪したが、それでも意見を変えるわけではなかった。

「だが彼女の知人はどうだ。彼女が誰にも話を漏らさないと保証できるのか。俺たちをかばえば彼女の身にも危険が迫るかもしれない。リスクを挙げればキリがない。何も伝えないことが正解だよ」

 宗一郎の話を殊更に否定はしない。だが、八尋が自分の秘密を打ち明けない理由とは違う。

「俺はそこまで考えていたわけじゃない。もっと単純だよ」

「じゃあ、どうして教えないんだ」

 同じことを夜空に訊ねられた時、咄嗟に浮かんだ感情が再び八尋の脳裏をよぎる。

「怖かったんだ」

 まっすぐ前を見たまま呟いた。宗一郎の顔を見る気になれなかった。

「秋月さんに拒絶されることが怖かった。それだけだよ」

 それきり会話が途絶えた。

 信号で左折する。少し進んだところで、宗一郎が「あれだ」と言った。八尋は車を路肩に寄せて停車させた。

「仕事の時間だ」

「ああ」

 気持ちを切り替えろ。八尋と宗一郎はストールで口元を覆い隠して車を出た。

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