第32話 事故

 八尋が外へ出た時はまだ雨が降っていなかった。

 離れを訪れると、狼は一枚の紙を八尋に渡し「その時間に、そこへ行け」と指示した。

 とある地点にマーキングがしてある地図だった。目的地にある建物名と部屋番号、そして「十一月一日 十三時」という日付が記載されている。

「何があるんだ」

「ホルダーの少女が撮影をする」

「撮影って、なんのだ。モデルか何かか?」

「アダルトだ」

「は?」

 八尋は素っ頓狂な声をあげていた。

「そこにはレンタルスペースがある。時間単位で借りられるリビングだと思えばいい。テレビやソファーなど家財が一通り揃っているから、ホテルで撮るよりプライベート感が出るらしい」

「そんなことは聞いてない」

「変身したホルダーの姿が精巧なコスプレに見えると界隈で評判だそうだ」

「どういう界隈なんだよそれは」

「事案の性質を踏まえると同性が担当したほうが相手の警戒を解きやすい可能性が高い」

 狼は八尋の声などお構いなしに説明を進める。

「だがここに空いている女性人員はいない。次善として同じ変身型のホルダーである春木を伴わせることにした。変身した姿を見せれば同類だと一目でわかる。いくらか説明しやすくなるだろう」

 話は終わったとばかりに口を閉ざした狼は定位置の高座椅子に戻ると読書を始める。八尋は土間に立ったままだ。相変わらず一方的な男だった。

 何かが瓦屋根を打つような音が聞こえてきた。雨が降ってきたのだ。音はどんどんと大きくなっていき、あっという間に離れの中に雨音が充満した。驚くほど短時間で大降りの雨になったらしい。

「夜空の件の報告はいいのか」

 抗議するように両手を振りながら、八尋は声を張り上げた。雨音がやかましい。

「端的にまとめてメールしろ」

 本から目も上げずに告げる狼の声が、音の隙間を縫うように八尋の耳に届いた。八尋は文句を言う気にもならず「了解」とぞんざいに返事をして離れを出た。

 外の景色は一変していた。大きな雨粒が矢のように降り注ぎ、地表に水煙を作っている。

 八尋が思わず「ひどいな」と呟いた次の瞬間、激しい閃光と大気を劈く爆音が辺りを包んだ。


 びりびりと鼓膜が振動する音がする気がした。実際、大気が震え胸の奥に響いたのを感じた。

 音が大きすぎてどこからしたのかがわからない。なんとなく頭上でしたような気がして天を仰いでみるが、目に映るのはのっぺりとした黒雲だけだ。

「母屋だ」

 いつの間にか後ろに立っていた狼に声をかけられ、慌てるように母屋へ視線を向ける。

 母屋の屋根から白煙が上がっていた。よく見れば、周囲に屋根瓦が飛び散っているのがわかる。

「落雷か」慌てる様子もなく狼が分析する。「不可解だな」

 八尋は狼の言葉を背中で聞きながら、母屋へと走っていた。

「夜空! 大丈夫か!」

 八尋が室内に駆け込むと、夜空は見上げていた顔を戻して八尋を見た。

「私は平気ですが、屋根が」と言って夜空が再び上を見たので、八尋も顔を上げる。

 屋根板に大穴が開いていて、そこから雨が入り込んでいる。火が点いた木材は大雨が消し止めてくれたのか、煙は上がっているものの炎が出ているようには見えないのは不幸中の幸いか。

 八尋は各室を見て回り、燃えた屋根材などが飛び散っていないか点検をする。確認の結果、木っ端がいくつか転がっていたものの、ひとまず火災の被害はなさそうだったので心底ほっとする。

 とはいえ、安心するのはまだ早い。屋根の穴をなんとか塞がなければ部屋の中が雨ざらしになってしまう。

「応急の修繕道具を持ってないか、狼に聞いてくるよ」と八尋が夜空に声をかけると、彼女は「その前に私はここを離れたほうがいいでしょうね」と言い出した。

「どういうことだ」

「あの落雷は恐らく私が原因です」

 まさか、と口にしかけたものの、八尋自身も不審に思っていたことではある。

 周辺には避雷針を備えた高層ビルも少なくないこのエリアで、平屋建ての建築物目掛けて落雷するなんて不自然すぎる。

「私が離れれば雨も止むでしょうから、作業はその後にしたほうがやりやすいでしょう」

「ちょっと待ってくれ。夜空は天候を操るギフトまで持ってるっていうのか?」

「そうではないのですが」

 夜空は少し考えるような素振りを見せて続ける。

「風水を知っていますか」

「風水?」

 予想もしない単語が飛び出してきた。

「風水では、地気が流れる経路を龍脈というのだそうです。地気というのは大地の精気のことです。星の生命エネルギーとでもいうのでしょうか」

 夜空が何を言おうとしているのか八尋は察した。「嘘だろ」と思わず声を漏らしてしまう。

「私が一箇所の土地に留まると、その場の地気が吸い上げられて龍脈が乱れ、いずれ壊滅的な災害を引き起こします。あの落雷や突然の豪雨はその前触れでしょう」

 八尋は唖然とするほかなかった。

 これからどうする。考えろ。八尋は心の中で呟き、思考停止に陥りそうになる自分を必死に堪えた。

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