9 驚くべき告発

「なるほど……これが、術者の正体ですか」


 僕のかたわらで、ルイ=レヴァナントが低くつぶやいた。

 しかし、この場で沈着さを保てているのは、彼と二―ズヘッグとウロボロスぐらいのものであった。


 僕が発動した拘束の術式によって、そいつは空中に吊り上げられている。青白い雷光が五体を縛り、さらにぎりぎりと締め上げているのだ。この状態であれば、指1本動かすことも、ひとしずくの魔力を放つことも不可能なはずだった。


「この気配は、まぎれもなく魔神族だな。……それにしても、醜悪なやつだ」


 ヨルムンガンドは嫌悪の皺を顔中に刻みながら、そう言い捨てた。

 ヨルムンガンドが言う通り、これはまぎれもなく魔神族の気配である。

 しかし、それは――思いも寄らぬ姿をしていた。


 大きさは人間ほどであり、その身にフードつきマントを纏っている。が、それらは原型を留めぬほどに引き裂かれていたため、その醜い姿がほとんど衆目にさらされていた。


 黒みをおびた繊毛に覆われた、虫の肉体である。

 人間ぐらいの大きさをした、それは虫の魔物であったのだ。

 背中には半透明の巨大な羽が、ずんぐりとした胴体には6本の足が生えている。ただし、激しい戦いの痕跡として、足の何本かは途中で千切れており、巨大な羽も穴だらけであった。


 これはまぎれもなく、魔術師が変じた蠅の魔物であろう。

 その身に纏ったフードつきマントも、見覚えのある赤褐色であった。


 だが――それだけならば、僕たちがこうまで驚かされることはなかった。少なくとも、魔獣と蛇神の部隊長たちは、誰もが魔術師の正体を目の当たりにしていたのだ。マントの下にこれだけ醜い肉体が隠されていたというのも、想像の範囲内であろう。


 だがそれは、ただの蠅の魔物ですらなかった。

 その顔貌は――右半面が蠅であり、左半面が蛙であったのだ。

 人間ぐらいの大きさをした蠅と蛙の顔貌を、それぞれ真ん中から縦に断ち割って、無理やりに結合した、とでもいうような――それは、あまりにおぞましい異形であった。


「蠅の魔物に蛙の魔物が憑依したってところかね。胴体のほうも虫けらの形状をしているのだから、そう考えるのが自然なところだろう」


 拘束の術式を僕に一任したことによって、いくぶん元気を取り戻したウロボロスが、笑いを含んだ声でそう言った。

 その黒い水晶玉めいた双眸が、僕の姿をじっと見つめてくる。


「あなたは人格が入れ替わったと言い張っているが、そいつの気配を見誤ることはねえだろうな、暗黒神様よ?」


「うん。これは……かつて魔神兵団の団長だった、バアルの気配だね」


 ネフィリムの記憶で垣間見た、あのおぞましい姿――老人と猫と蛙の三つ首が、脳裏に蘇る。この蛙の左半面からは、まさしくバアルと同一の魔力の気配が発散されていたのだった。


「バアルの野郎が魔術師の肉体を乗っ取って、結合人魔とやらを操作させていたってわけだな。いかにもあいつらしい、小賢しいやり口だ」


 にやにやと笑いながら、ウロボロスは空中で拘束されている魔物のほうを振り返った。


「こんなもんはしょせんバアルの分身だから、大した情報は持ってないかもしれねえけどな。それでもまあ、探ってみる価値はあるだろう。遠慮はいらねえから、こいつの頭の中をぞんぶんにかき回してやれよ、暗黒神様」


「うん……でも、どうせだったら万全の状態で臨みたいね。この状態じゃあ、僕も記憶走査の術式に集中できないからさ」


 僕は慎重に、そう答えてみせた。


「みんながもう少し回復したら、拘束の術式を代わってもらって、僕は記憶走査の術式に専念するというのはどうだろう? それまでは、僕がこいつを亜空間に閉じ込めておくから――」


「ギギ……ムダなアガきであるな、ベルゼビュートよ……」


 と――ふいに魔物が、くぐもった声を絞り出した。

 周囲に集まっていた団員たちが、一斉に色めきだつ。


「おいおい、こんな強力な術式を掛けられてんのに、こいつは自力で喋れるのかよ。まさか、手を抜いてるんじゃねーだろうな、暗黒神様?」


 真紅の双眸を燃やしながら、ケルベロスが臨戦態勢を取った。

 僕は拘束の術式にほころびがないかを確認してから、「大丈夫だ」と答えてみせる。


「こいつは魔力を振り絞って、無理やり言葉を発してるみたいだ。拘束の術式に隙間はないから、魔力を放つことは不可能だよ」


「ギギ……このニクタイは、マもナくクちハてる……そのマエに、キサマたちにツタえておきたいコトがあったのでな……」


「泥臭え息を吐くんじゃねーよ、蛙野郎。ガルムの旦那に最後のとどめを刺してくれたのは、手前だろうがよ?」


 ケルベロスとオルトロスは、その獣毛をざわざわと蠢かせていた。

 しかし、ヘドロのような色合いをした醜悪な蛙は、小気味よさそうに嘲笑うばかりである。


「ギギギ……イツワりのクンシュにタマシイをカラめトられたグシャどもにヨウジはない……ワレがカタらいたいのは、キサマたちだ……ウロボロスに、ニーズヘッグよ……」


「ほう。まさか暗黒神様の目の前で、俺たちに叛心をうながそうというつもりではあるまいな?」


 ウロボロスは、凄まじい激情を孕んだ笑みを浮かべた。

 バアルの分身たる蛙の魔物は、また「ギギギ……」と笑う。


「キサマもまた、フルきのジダイからベルゼビュートにタマシイをツカまれてしまっている……ユエに、ニーズヘッグとゴウリュウするのはマちかねていたのだ……キサマであれば、シンジツのマエにメをクモらせることはあるまい、ニーズヘッグよ……」


「ほう。私に叛心をうながそうという心づもりですか。それは興味深い」


「ギギギ……もっとキョウミブカいコトバをキかせてやろう……」


 身体の自由さえきけば、舌なめずりでもしそうな様子である。

 そして、バアルの分身は――その言葉を口にした。


「このヨにジンマのジュツシキなどという、イまわしきソンザイをもたらしたのは……そこのベルゼビュートであるのだ……」


 さしもの沈着なニーズヘッグも眉をひそめて、咄嗟に言葉を返すことはできなかった。

 その間に、バアルの分身は言葉を重ねていく。


「キサマたちもニンゲンのオウジョをシュチュウにしておったのだから、オウケにカタりツがれていたデンショウはミミにしておろう……サンビャクネンのムカシ、トウジのオウたるバルナバーシュサンセイは、ヤミなるソンザイとのキンキのメイヤクによって、カズカズのマジュツをタイトクするコトとなった……そのヤミなるソンザイこそが、アンコクシンをナノるそこのベルゼビュートであったのだ……」


「ふざけないでちょうだい。そんな戯れ言を、わたしたちが信じるとでも思っているのかしら?」


 コカトリスもまた、その黄色い双眸に激情の炎を燃やしていた。

 どろりと濁った蛙の眼球には、喜悦の光が浮かべられている。


「しかし、それこそがシンジツであるのだ……ジンマのジュツシキも、タイマのケッカイも、マジュツシがフるうさまざまなマジュツも……すべてはベルゼビュートがニンゲンどもにもたらしたモノであるのだ……そもそもマジュツシというのは、ベルゼビュートがサンビャクネンマエにマきチらしたシュシからウまれたラクインであるのだからな……」


「まだその戯れ言を続けるつもり? 魔術師の正体は、あなたが憑依しているその蠅の魔物じゃない。そいつが魔神族に連なる存在だってことは、隠しようもないわよ?」


「ギギギ……それもまた、ベルゼビュートのツミのアカシにホカならないではないか……」


 蛙の眼球に、喜悦とは異なる激情が閃いた。

 それは――憎悪の激情である。


「ベルゼビュートは、もともとマジンゾクであった……ゴヒャクネンもイきていないコヘビには、アズかりシらぬコトであろうがな……」


「暗黒神様が、魔神族? あなたはどこまでその戯れ言を続けるつもりなのかしらね。暗黒神様から魔神族の気配を感じたことなんて、1度だってありはしないわよ」


「そやつは、マジンゾクであることをスてたのだ……いや、そやつはマゾクであることすら、スてサった……そうしてミズカらをカミとショウし、ワレワレをシハイし、クップクさせたのだ……」


 どろどろと渦巻くような、憎悪の念である。

 その圧力に耐えかねて、さしものコカトリスも口をつぐむことになった。


「そのジジツをシるのは、センネンイジョウのトキをイきるワレとユグドラシルのみ……かつてのベルゼビュートはマジンゾクであり、ハエのオウとヨばれていた……ユエに、そのラクインたるマジュツシたちも、ハエのスガタをしておるのであろうよ……」


「蠅の……王……」


「ベルゼビュートはマゾクであることをスて、ゲンカイをコえたマリョクをテにイれた……しかしそれでもアきタらず、このヨのスベてのマリョクをオノがモノにしようとモクロんだのであろう……ユエに……マゾクをこのヨからコンゼツするために、ニンゲンどもにキンキのマジュツをもたらしたのだ……」


 しんと静まりかえったその場に、バアルの不吉な笑い声だけが響きわたった。


「ワレワレは、ジュウネンマエにようやくそのシンジツをツきトめることがかなった……スベては、ベルゼビュートがもたらしたサイヤクであったのだ……そやつは、マゾクのシハイシャなどではない……ワレワレをホロボさんとする、ユルされざるべきテキであるのだ……」


「…………」


「どうだ、ウロボロスよ……ニーズヘッグよ……これこそが、イツワりナきシンジツである……それでもキサマたちは、ベルゼビュートのためにハタラこうというのか……?」


「暗黒神様」と、ルイ=レヴァナントが進み出た。


「バアルはすべてを語り終えたようです。次は、暗黒神様が語るべきではないでしょうか?」


「ああ……うん、そうだね」


 正直なところ、僕はバアルの告白に度肝を抜かれて、我を失ってしまっていた。

 しかし――心の一番奥深いところには、変わらぬ思いが渦巻いたままであった。


「よくわかったよ、バアル。君の言い分が真実であるかどうか、今の僕には判断するすべがない。だけど、それなら……どうして君は、巨人族を襲撃したんだ?」


 バアルは、うろんげに口をつぐんだ。

 僕は、心のままに言葉を紡いでみせる。


「不死族のみんなは、きっと君の言い分を信じたんだろうね。だったらどうして、巨人族のみんなも同じように説得しようとしなかったんだ? 暗黒神こそが魔族の敵だっていうんなら、すべての魔族が手を取り合って、僕を打倒するべきだろう?」


「ギギギ……グドンなるキョジンゾクに、ワレのコトバはリカイできまい……また、キサマとナガきトキをスごしたマジュウゾクとジャシンゾクは、もはやホネのズイまでドレイコンジョウがシみついてしまっておる……しかしワレワレは、ジンマのジュツシキをアヤツるスベをタイトクするコトがかなった……アトはフシゾクとマリュウゾクさえトモにテをタズサえるコトがかなえば、キサマをホロボすのにジュウブンであろうよ……」


「なるほど。正直な言葉をありがとう。だったら僕も、自分の決断に殉じることができそうだよ」


 僕は、そのように言ってみせた。


「ひとつ、君たちに伝えておこう。おそらく暗黒神は、100年ごとに人格が入れ替わっている。だから、1000年前や300年前の暗黒神が何を企んでいたとしても、今の僕には知りようがない。今の僕には、このひと月足らずの記憶しかないんだからね」


「ジンカクが……イれカわっている……?」


「ああ、そうだよ。だから僕は僕の判断で、人間の王と戦い、人魔の術式をこの世から根絶すると決断した。1000年前や300年前の暗黒神が何を考えてたって、僕には関係ない。僕は、僕が正しいと思ったことをやりぬくだけだ」


「…………」


「君たちは、同じ魔族である巨人族を壊滅させ、魔獣兵団の団長であるガルムを死に追いやった。そしてこの夜には、なんの罪もない数万名もの人間たちにあんなおぞましい術式を仕掛けた。それだけは、どうあっても許すわけにはいかない。君たちは、やり方を間違えたんだ」


「…………」


「暗黒神が魔族にとって有害な存在だっていうんなら、僕はこの生命を捧げよう。でもそれは、人間の王を打倒して、人魔の術式を根絶し、そして君たちに同胞殺しの罪を贖わせてからだ。君たちにその気があるのなら、すぐに降伏するといい。これ以上、魔族同士で殺し合う必要なんてないはずだからね」


「ギギギ……キサマこそ、そのようなザれゴトでウロボロスたちをカイジュウしようというココロづもりであるのか……?」


「懐柔なんて、必要ない。魔竜族や魔獣族や蛇神族のみんなが僕を有害だと思うなら、僕はこの場で生命を絶ってみせるさ」


 僕は小さく息をついて、拘束の術式から感知した感覚をみんなに伝えることにした。


「バアルが憑依した魔術師の肉体は、内側から崩落していっている。何かバアルと語らいたいことがあるなら、今の内だよ」


「ねえな、そんなもんは」


 ウロボロスはにやりと笑って、ナーガとケルベロスの姿を見比べた。


「お前たちは、どうなんだ? 木っ端兵団の団長として、きりきり答えやがれ」


「ねーよ」「ないわ」と、ふたりの言葉が重なった。

 そしてケルベロスは、いよいよ表皮まで崩落し始めたバアルの分身の姿をねめつける。


「次に会ったら、ガルムの旦那の仇を取らせてもらう。アスタロトとデイモスリッチにもそう伝えておけよ、この蛙野郎」


「ギギギ……オロかなるモウシンシャどもめ……イツワりのクンシュともども、ダイチにカエるがいい……」


 ばふっと音をたてて、魔術師の肉体が黒い塵と化した。

 魔術の産物ではないマントの切れ端だけが残り、ふわりと石畳の上に舞い落ちる。ケルベロスは、火炎の術式でそれを焼き尽くした。


「ふふん。まあ、腹が減るのをこらえて捕まえただけの甲斐はあったようだな」


 皮肉っぽく言いながら、ウロボロスが僕に近づいてきた。

 てらてらと輝く黒い双眸が、間近から僕を覗き込んでくる。


「それにしても、さっぱり意味がわからねえな。あなたが魔神族だったなんて初耳だぜ、暗黒神様よ?」


「うん。さすがに君も、1000年は生きていなかったんだね」


「俺が生まれ落ちたのは、800年前ってところかね。その頃には、1000年前のことを知る老いぼれどもがいくらでもいたはずだが……まあ、あなたを恐れて口をつぐんでいたってところか」


「おい、手前はバアルなんざの言うことをまるまる信じようってのかよ?」


 ケルベロスが不満そうに言うと、ウロボロスは小馬鹿にしきった様子で肩をすくめた。


「疑うよりは、信じるほうが手っ取り早いしな。ユグドラシルの婆はまだこの世のどこかで生き永らえてるんだろうから、すぐに露見する虚言なんざ吐かねえだろうよ」


「ユグドラシルっていうのは、誰のことだい? 魔竜兵団の団員なのかな?」


 僕が口をはさむと、ウロボロスは「ああん?」と眉をひそめた。


「そうか。あなたは記憶がないんだったな。……ユグドラシルってのは、兵団として戦力にする価値もないと切り捨てられた、樹怪族の族長だ。人間族との抗争が始まった250年前から、樹怪族の連中は大陸の端っこに引っ込んじまったよ」


「なるほど……事と次第によっては、そのユグドラシルにも話を聞いたほうがいいのかもね」


「そんな横事にかまけてるひまがあるのかね? 俺たちの目的は、敵の殲滅だろうがよ?」


 そう言って、ウロボロスは僕の胸甲を強めに小突いてきた。


「そしてそれよりも、まずは酒と肉だ。こんな状態じゃあ、ゴブリンの1匹にも手こずっちまいそうだからな」


 ウロボロスはきびすを返して、城へと通ずる階段に足をかけた。

 魔竜族の面々はそれに追従のかまえであるので、僕は居残った団員たちの姿を見回す。

 ケルベロス、オルトロス、フレスベルグ、カトブレパス――ナーガ、ケツァルコアトル、コカトリス、エキドナ――そして、ルイ=レヴァナントとファー・ジャルグ――誰もが最前までと変わらぬ面持ちで、僕の視線を受け止めてくれた。

 その中から、ナーガがしゅるしゅると進み出てくる。


「暗黒神様、さっきのバアルとのやりとりは、またすべての団員たちに聞かせようというつもりなのでしょうね」


「うん、もちろんさ。こんな話を黙っているわけにはいかないからね」


「そう、それが今の暗黒神様であるのよ」


 ナーガは僕の手を取ると、そこに唇を押し当てた。


「以前の暗黒神様が、何か許されざる罪を働いたというのなら……それはいずれ、償うべきなのでしょう。だけどわたしは、今のあなたを信じてついていくわ、暗黒神様」


 僕は、「ありがとう」という言葉に精一杯の気持ちを込めるしかなかった。

 そうしてその日の戦いは、ようやく本当の終焉を告げることになったのだった。

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