10 月下の誓約
バアルに憑依された魔術師が黒い塵と化したのち、僕は速やかに伯爵領の人魔の術式を解除した。
謁見の間において開門の呪文を唱え、黒き円環を現出させ、それを守る『門番』を討ち倒し、術式の触媒を破壊する。考えてみれば、僕はずっとこの作業をウロボロスにお願いしていたため、自分の手で為したのはデイフォロスの占領以来のことであった。
ともあれ、この地においても人魔の術式を消滅させることがかなった。
大地には、術式の維持に消費させられていた莫大なまでの魔力が蘇る。これもまた、深く傷つき消耗した団員たちを癒やす一助になってくれることだろう。
「これでよし、と。……それじゃあ僕は、かつて魔神族に滅ぼされた領地の術式を解除してくるよ」
僕がそのように宣言してみせると、謁見の間に集っていた幹部の面々は「ええ?」と驚きの声をあげた。
「そのようなものは、明日の朝でかまわないのではないでしょうかな? 暗黒神様とて、お疲れでありましょう?」
一同を代表してそのように言いたてたのは、いつでも率直なヨルムンガンドであった。
そちらに向かって、僕は「いや」と首を振ってみせる。
「人魔の術式は、一刻も早く解除するべきだと思う。大地の魔力は竜脈によって繋がれているのだから、この東方区域の術式をすべて解除したら、東方区域そのものの魔力がより活性化するはずだからね。そうしたら、みんなの傷や疲れもいっそう速やかに回復するはずだろう?」
「それはそうかもしれねーけど、あまりにもせわしないじゃねーか。団員どもは、肉と酒で馬鹿騒ぎしたくてウズウズしてるんだぜ?」
と、今度はケルベロスが不満そうに声をあげてくる。
「もしかして、暗黒神様はバアルの戯れ言を気にしてんのか? あんなもん、魔竜族を仲間に引き入れるための大嘘なのかもしれねーんだぜ?」
「いや、バアルの言葉が真実であろうとなかろうと、僕の気持ちや考えに変わりはない。みんながそれに賛同してくれるなら、これまで通りに戦っていくだけだし、みんなが暗黒神の存在を許せないと思うなら、この生命を捧げるだけだ。だから僕は、バアルの言葉に心を乱したりはしていないつもりだよ」
僕は、そんな風に答えてみせた。
「ただ……他のみんなにすべてを打ち明ける前に、ちょっと頭の整理をしておきたいんだ。どうせみんなもくたびれ果てていて、じっくり話を聞いていられるような状態じゃないだろうしね。みんなが栄養補給をして力を取り戻している間に、僕はのんびり領地を巡って、考えをまとめておこうと思ったのさ」
「考えをまとめるって、どういうことかしら? 暗黒神様の気持ちに変わりがないのなら、何も考える必要なんてないじゃない」
今度はコカトリスが、ちょっぴりすねたような面持ちで進み出てくる。
「バアルの言葉がすべて真実であったところで、何も変わりはしないわ。さっきナーガも言ったでしょう? わたしたちは、今のあなたを信じているの。賭けたっていいけれど、あんな話で心を翻すような団員はひとりだって存在しないわよ」
「ありがとう。コカトリスにそう言ってもらえると、僕もすごく心強いよ」
「だったら――」
「うん。僕の気持ちや考えに変わりはない。考えをまとめるというのは、ちょっと別の話についてなんだよ」
「……別の話?」
「うん。たとえば、人魔についてだね。僕はネフィリムの記憶を走査させてもらったとき、ちょっとした違和感を覚えることになったんだ。みんなはこれまで、人魔の姿から魔神族を連想することはなかったのかな?」
僕の唐突な発言に、コカトリスばかりでなく他の面々も眉をひそめることになった。
「特に、上級の人魔についてだね。貴族や騎士や従者の人魔には、獣の頭部に人間の胴体という姿をしている人魔が多い。それで……豚の顔をしたやつはオークに、牛の顔をしたやつはミノタウロスに、犬の顔をしたやつはコボルドなんかに似てると思うんだけど、それらはみんな魔神族だろう? 人獣といえば魔獣族のほうが主体のはずなのに、人魔はみんな魔神族に属する魔族に似ているように思うんだ」
「……それがいったい、何だというの?」
「うん。だから僕は、バアルの言葉に一抹の説得力を感じてしまったんだよね。暗黒神がかつて魔神族であったからこそ、人魔も魔神族めいた姿をしているのかなってさ」
壇の下へと降りながら、僕はそのように答えてみせた。
「こんな具合に、バアルの言葉を裏付ける話なんかが、まだ他にも存在するかもしれない。だからちょっと、このひと月ぐらいの出来事をあれこれ検証してみようと思うんだ。逆に、バアルの言葉が虚言だっていう傍証を見つけることができるかもしれないし……とにかくみんなに話を打ち明ける前に、僕自身がしっかりと考えをまとめておきたいんだよね」
「だったら、好きにするがいいさ。あなたは、俺たちの君主なのだからな」
と、ウロボロスが笑いを含んだ声で言った。その手には、行きがけに団員から届けられた火酒の大瓶が握られている。
「ただし、あなたの号令がなければ、団員どもも心行くまで馬鹿騒ぎはできないだろう。俺たちの君主として、きっちり号令をかけていってほしいところだな」
「わかった。それじゃあ、そうしよう」
僕は、領内で身を休めている全兵団員へと念話を飛ばしてみせた。
『みんな、今日はお疲れ様。みんなの尽力あって、今日は勝利を収めることができた。明日からはまた新しい戦いに臨まないといけないから、今日はしっかりと身を休めて、魔力の回復に努めてほしい』
領内のあちこちから、波動のうねりが伝えられてくる。
まだ肉や酒をかき集めているさなかであろうが、誰もが勝利の余韻に胸を打ち震わせているのだ。
『そしてこれは、勝利の祝賀会であるのと同時に、生命を失ってしまった同胞らの追悼の会だ。大地に返ってしまった同胞の分まで、食べて飲んで騒いでくれ。……僕はちょっと雑用を片付けてくるから、あとでまたゆっくりと語らせてもらうよ』
再びの波動を満身で受け止めてから、僕はウロボロスたちを見回した。
「これでいいかな? それじゃあみんなも、ゆっくりくつろいでいておくれよ」
すると、ルイ=レヴァナントが「暗黒神様」と進み出てきた。
「よろしければ、私も同行させていただけませんでしょうか? お考えをまとめるのに、多少のお役には立てるかと思います」
僕はちょっと迷ったが、「わかったよ」と了承してみせた。
彼がこのように申し出てくるからには、何か目算があるのだろう。僕にとっては彼こそが知略の要であるのだから、こんなときこそ誰よりも心強かった。
「それじゃあ、行ってくるね。それほど遅くはならないだろうからさ」
まだちょっと物言いたげな面々をその場に残して、僕は伯爵領を後にした。
飛行フォームに変形し、背中にルイ=レヴァナントを乗せた上で、念のために魔力と気配を隠蔽する。すでにとっぷりと夜は更けて、天空には僕の見知らぬさまざまな星座がきらめいていた。
「さて……それじゃあ検証を始めようかな。ルイに何か考えがあるなら、最初にそれを聞かせておくれよ」
のんびりと飛行しながらそのように持ちかけると、ルイ=レヴァナントは「はい」と冷静に応じてきた。
「ただその前に、我が君には謝罪をさせていただきたく思います」
「謝罪?」
「はい。私はこれまでに、ひとつの事実を隠蔽しておりました」
何やら、不穏な言いようである。
しかし、ルイ=レヴァナントの声音や気配は沈着そのもので、普段通りに冷ややかであった。
「むろん、理由もなくそのような真似をしたわけではございません。このような言葉は無用の混乱を招くだけであり、誰にとっても益のない話だと考えて、私の胸に留めておいたのです。決して叛心あっての行いではございませんので、ご容赦をいただけたら幸いに存じます」
「今さら君の忠義を疑ったりはしないさ。隠し事のひとつやふたつで怒ったりはしないから、何でも正直に打ち明けておくれよ」
「我が君の寛大なおはからいに、心より感謝いたします。それでは、告白させていただきますが――」
と、ルイ=レヴァナントはそこでいったん息をついた。
「――およそ300年前に、暗黒神様が人魔の術式を人間たちにもたらした。当時の王たるバルナバーシュⅢ世が禁忌の盟約を結んだ闇なる存在とは、暗黒神様に他ならない。……バアルは、そのように語っていました」
「うん。実に驚くべき告発だね」
「はい。……ですが、それが事実であることを、私は知っておりました」
もしも義體を纏っていたならば、「え?」と目を丸くするべき場面であった。
「ちょ、ちょっと待ってね。どうしてルイが、そんなことを知っているんだい? ルイはそのバルナバーシュⅢ世の魂を種子にしているっていう話だったけど……人間の頃の記憶はないんだろう?」
「はい。レヴァナントとして生まれた私に、人間としての記憶は残されておりませんでした。なおかつ、リビングデッドのように肉体を種子とはしておりませんので、脳内の記憶を探ることもかなわなかったのですが……かろうじて、魂に刻みつけられた記憶を読み取ることはかなったのです」
言葉を失う僕の背中の上で、ルイ=レヴァナントは凍てついた声音で語り続けた。
「むろん、自身の魂を探ることなど、中級の群集種に過ぎない私には至難の技でありました。ですがおそらく、バルナバーシュⅢ世にとっても、それは忘れ難い強烈な記憶であったのでしょう。バルナバーシュⅢ世は――300年前のとある夜に、暗黒神様の訪問を受けたのです」
「…………」
「自分は間もなく、記憶を失う。その前に、人間たちに希望をもたらしたい。どうかこの力を使って、魔族の支配を打ち破ってほしい。……暗黒神様は、そのように仰いました」
「……なるほど」と、僕は溜め息まじりに答えてみせた。
「バアルの話を聞いて、僕も少し気になってたんだよね。人魔の術式が人間たちにもたらされたのは、およそ300年前って話だったけど、そいつは300年より前なのか、後なのか、ってさ」
「はい。当時の暗黒神様のお言葉から察するに、それは300年よりもわずかに前の話であったのでしょう。復活の儀を目前に迎えて、暗黒神様は自分が自分ならぬ人格に変貌するのだと思い至り……自分の最後の仕事として、人間たちに人魔の術式をもたらしたのだと思われます」
「うーん……それでそのときの暗黒神は、人間たちに魔族の支配を打ち破ってほしい、と言っていたんだね? やっぱり暗黒神は……人間たちを利用して、魔族を滅ぼそうとしていたんだろうか?」
僕はそのように問い質したが、ルイ=レヴァナントはゆるゆると首を振るばかりであった。
「私には、それを判ずるすべがございません。ただ、バルナバーシュⅢ世にそのように語りかける暗黒神様は……ひどく思い詰めたご様子であられたように思います。それこそが、ご自分の悲願だとでもいうかのように……」
「悲願」と、僕は繰り返した。
暗黒神の本当の目的は、すべての魔族を滅ぼして、この世の魔力を独占することにあるのだと、バアルはそのように語らっていた。しかし、ルイ=レヴァナントの語った300年前の暗黒神は――いったい何を思って、人間たちに肩入れしようと考えたのだろうか。
「100年ごとに人格が入れ替わるんなら、300年前の暗黒神が1000年前の暗黒神の心情を察することもできないはずだ。現に僕は、彼らの心情なんてこれっぽっちも理解できないんだからね。……これはいったい、どういうことなんだろう?」
もちろん、誰よりも理知的で明哲なルイ=レヴァナントにも、その疑問に答えることはできなかった。
しばし会話の途切れた僕たちの前に、険しい岩山が迫ってくる。僕は、その山頂に舞い降りることにした。
僕が岩盤に着地すると、ルイ=レヴァナントは無言で地上に降り立った。
僕は背中に翼を生やしたまま、山羊の頭骨の形状をした顔で、ルイ=レヴァナントと向かい合う。
「……やはり私は、処断されるのでしょうか?」
「いや、そんなつもりはないよ。ただ、きちんと君の顔を見ながら話したかったんだ」
冴えざえとした月光が、ルイ=レヴァナントの美貌を妖しく照らしだしていた。
こんなとんでもない告白をしておきながら、彼はこれっぽっちも心を乱している気配がない。氷のように冷たくて、頼もしい、僕の知っている通りのルイ=レヴァナントだ。
「……ルイにはたびたび驚かされてしまうね。どうしてそんなに重要な話を、今まで黙っていたんだい? それに、アンドレイナからバルナバーシュⅢ世の話を聞かされたときにだって、君は初耳みたいな顔をしていたはずだよ?」
「私が自らの魂から探ることがかなったのは、当時の暗黒神様のお言葉のみでしたので、前身の名前や身分は知らぬままでありました。そこに偽りはございません」
悪びれた風でもなく、ルイ=レヴァナントはそう言った。
「そして、どうしてこれまで黙していたかにつきましては……団員の士気が低下することを危惧してのこととなります。ですが、現在の暗黒神様にとっては重要な情報に成り得るのではないかと考え、この夜に告白させていただいた次第です」
「でも僕は、こんな大事な話をみんなには黙っておけないよ?」
「もちろんです。それで暗黒神様が誹謗されることはないでしょう。団員たちの怒りは、すべて私に向けられるかと思われます」
「……どうして君は、そうやって自分の立場を顧みないのかなあ」
義體を纏っていたならば、僕は苦笑でも浮かべたい気分であった。
「それじゃあ君は、暗黒神がこの世に人魔の術式をもたらしたという事実を知りながら、300年間も暗黒神に仕えていたんだね」
「御意にございます」
「君にとって、僕は4代目の暗黒神となるわけだ。300年間も固く心の中に隠しておいた秘密を、ここに至ってようやく告白してくれたんだから……僕は、光栄に思うべきなのかな」
「私などの行いに、光栄などというお言葉は過分でありましょう」
そんな風に言ってから、ルイ=レヴァナントはじっと僕の顔を見つめてきた。
「ただし……バアルの告発がひと月よりも前であったなら、私が心中を明かすこともなかったように思います」
「うん。破壊欲の権化であった先代の暗黒神なら、君にも怒りを向けるかもしれないもんね」
僕は大きく溜め息をついてから、ルイ=レヴァナントに一歩近づいた。
「それにしても、皮肉な運命だね。人魔の術式をこの世にもたらしたのが僕の前身で、それを受け取ったのが君の前身だったなんてさ」
「……皮肉という表現に収めるには、いささか話が重大に過ぎるかと思われます」
「うん。だから僕たちは、前身の犯した間違いを、なんとしてでも正さないといけないということだね」
僕は、固く握った拳をルイ=レヴァナントの胸もとに軽く押しつけた。
「きっとこの時代に過去のあやまちが露見したのも、何かの運命だったんだよ。僕と君は死力を尽くして、人魔の術式を根絶する運命を背負っていたんだ。……これからもよろしく頼むよ、ルイ」
「……我が君の思し召すままに」
青白く輝く月の下、やはりルイ=レヴァナントは表情ひとつ変えないまま、恭しげに一礼するばかりであった。
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