5 異形の人魔

「なんだ、ありゃあ……あんな姿をした人魔は、初めて見るぞ!?」


 双頭の凶犬たるオルトロスが、驚愕の声をこぼしているのが聞こえてきた。やはりこれは、生後ひと月足らずの僕だけではなく、誰にとっても驚くべき事態であったのだろう。


 人魔たちは南方から、空中を飛来してこちらに向かってきていた。

 その数は、わずか3体である。そちらからは下級人魔3万体ほどの魔力が探知できるのに、実際には3体の人魔しか存在しなかったのだ。


 ただしその人魔たちは、1体ずつが途方もなく巨大であった。

 かつてネフィリムの記憶で見た、どのような巨人族よりも遥かに大きく――体長は100メートルぐらいもあり、まるで巨大空母が天空を駆けているかのようだった。


 そしてその姿は、異形である。

 この場にひしめくどのような魔物よりも、おぞましい姿であったかもしれない。それは、ぶくぶくと肥え太った芋虫のような――あるいは、肉塊をこねあげて作りあげた、巨大な胎児のごとき姿であったのだった。


 胎児――そう、胎児だ。

 頭ばかりが異様に大きく、未発達な胴体に申し訳ていどの手足を生やし、背中を丸めて羊水の中にぷかぷかと浮かんでいる。天空の人魔たちは、そんな胎児を連想させてやまなかった。


 その巨体はぼんやりとした青白い光に包まれており、翼も何も生えていない。彼らはその身の魔力で浮かびあがり、悠然とこちらに向かってきている。時速60キロは出ているはずだが、その身があまりに巨大であるために、ひどくゆったりとした動きに感じられるのだ。それがまた、羊水を漂う胎児じみていた。


『……これは、驚くべき事態であるようです』


 と、ちっとも驚いていないような声音で、ルイ=レヴァナントが念話を飛ばしてきた。

 彼の念話をキャッチできるのは部隊長クラスのみであるので、僕は慌てて自分のチャンネルと同期させ、すべての兵団員に伝わるように細工を施す。


『レヴァナント、あれはいったい何なんだ? あれほど巨大で強力な力を持った人魔なんて、僕は聞いたことがないよ?』


『……あれは、下級人魔でありましょう』


 とたんに、ヨルムンガンドが『馬鹿を抜かすな!』と割り込んできた。


『下級人魔が、あれほどの力を持てるものか! あやつらは……1体ずつがウロボロス団長よりも強力な魔力をこぼしているではないか!』


『それは魔竜兵団長とて、おひとりで1万もの下級人魔を相手取ることはできますまい』


 あくまでも沈着に、ルイ=レヴァナントはそう答えた。


『あれは、下級人魔の集合体であるのです』


『下級人魔の……集合体?』


『左様です。便宜上、結合人魔とでも称しましょうか。あれらの結合人魔は、それぞれ1万ずつの下級人魔が寄り集まり、結合した存在であるのです』


『なるほど』と、ニーズヘッグが不機嫌そうに応じた。


『我々が目指していた伯爵領には、およそ3万ていどの下級人魔が待ちかまえているものと目されていました。その下級人魔が、あのような姿で到来したということですか』


『はい。これまで取り沙汰されてきた通り、下級の人魔には高速で移動するすべがございません。その弱みを克服するためもあって、このような術式を考案したのでしょう。これは、きわめて厄介な術式であるかと思われます』


 今度は僕が、会話に割り込む番であった。


『ちょ、ちょっと待ってくれ。1万もの下級人魔を結合させるなんて、そんな術式が可能なのかい? あれらの人魔は、完全に一体化してるじゃないか。肉体ばかりじゃなく精神のほうだって、僕には3つの個体としてしか認識できないよ?』


『ですから、肉体ばかりでなく、精神までもが結合されているのでしょう。あれはおそらく、獣のように知性と理性が低下する人魔にしか施すことのかなわない術式であるのです。そうでなければ、他者との精神の結合など、決して耐えることはかないません』


『それじゃあ……人魔の術式を解除したら、彼らは元の姿に戻れるのかい?』


『それは、不可能でありましょう』


 ルイ=レヴァナントの念話は、氷よりも冷たく響いた。


『ひとたび結合した肉体と精神は、どのような手段をもってしても分離させることはかないません。肉体のほうは、運がよければ治癒することも可能やもしれませんが……精神は、不可能です。言ってみれば、あの者たちは魂をも結合された状態にあるのです』


『それじゃあ、彼らは……』


『一生あの姿のままで生きるか、人間に戻って生命を散らすかの、ふたつの道しか残されてはおりますまい』


 僕の体内に、得体の知れない激情が満ちた。

 怒りとも、恐怖ともつかない、激烈な感情――炎のような熱と氷のような冷たさが混在する、息苦しくなるほどの激情の奔流であった。


『よってこれは、我々を迎撃するためだけに準備された術式であるのでしょう。魔神族は最初から、この地に残した人間たちを使い捨てにする作戦であったようです』


『わかった。もういい。僕たちが、彼らの魂を解放してあげるんだ』


 僕は、全兵団員に念話を送りつけてみせた。


『みんな、レヴァナントの言葉を聞いていたね? こちらの作戦に、変わりはない。ウロボロスが人魔の術式の触媒を破壊するまで、全力で迎え撃つんだ!』


 我を取り戻した兵団員たちが、怒号のような念話を返してきた。

 その中で、ヨルムンガンドがばさりと翼を羽ばたかせる。


『ふん! けっきょく魔力の総量は、3万の下級人魔であるのだからな! ならば、恐るるに値はせん! 的がでかい分、戦いやすいぐらいであろうさ!』


 ヨルムンガンドを先頭に、魔竜兵団の精鋭たちが天空に舞い上がった。

 僕は胸中の激情を抑えつけつつ、残る兵団員たちに念話を届ける。


『僕とハーピィと魔竜兵団が、空中で敵を迎え撃つ! なるべく地上に追い込むから、魔獣兵団と蛇神兵団でそれを迎え撃ってくれ!』


 僕は戦闘フォームを取り、ナナ=ハーピィとともに地上を後にした。

 結合人魔たちの異形が、ぐんぐんと目前に迫ってくる。


 暗い夜空に浮かびあがる、胎児のごとき姿である。

 その巨体が青白い光に包まれている理由が、ようやく理解できた。それは、巨大な胎児を形成する下級人魔たちの眼光であったのだ。彼らは文字通り、その身を粘土のようにこねくり回されて、胎児の形に練りあげられていたのだった。


(これが……これが魔神族のやり口か!)


 僕は誰よりも高みに舞い上がり、雷撃の術式を発動させた。

 結合人魔はすかさず障壁の術式を展開させたが、それを突き破って、雷撃が後頭部を打ち砕く。無数の肉片が飛び散ると、それはすぐに黒い塵と化した。


 後頭部をえぐられた結合人魔は、その巨体のあちこちに開いた口から地響きのような怨嗟の咆哮をほとばしらせる。

 今の一撃で、100名分ぐらいの肉体が消滅しただろうか。

 もとより、手心を加えるゆとりはない。立ち向かってくる相手は、殺す覚悟で撃退するしかないのだが――それでも彼らには、もはや人間に戻るという希望すらも残されていなかったのだった。


 ウロボロスが人魔の術式を破壊したならば、彼らは心身を結合された状態で人間に戻り、そして絶命することになるのだろう。肉体も精神も粘土のようにこねくり回された彼らは、その時点ですでに人間として生を終えてしまっていたのである。


(つまり、魔神族は……北方区域に引き連れていった人魔たちを、故郷に戻すつもりもなかったんだな)


 下級人魔が全滅してしまえば、田畑を耕す農奴もいなくなってしまうのである。魔神族が引き連れていった数千名の人魔では、東方区域の実りを維持することも不可能であろう。つまり、この夜に、東方区域は人間の領地としても終焉を迎えてしまうのだった。


「ぬおうっ!」というわめき声が、僕の想念を打ち破った。

 見ると、ヨルムンガンドが空中で巨体をよじっている。敵の攻撃をくらってしまったのだろう。


『こやつらは、上級人魔のように小癪な攻撃を仕掛けてきよるぞ! さては……どこぞで魔術師なり何なりが操っているのだな!』


 やはり僕は、平静さを失っていたのだろう。もとより領主ならぬ人魔というものは闘争本能の塊であり、魔術師の命令がなければ獣のように暴れ狂うことしかできないものであるのだ。そんなことすら、僕はすっかり失念してしまっていた。


(魔術師か、あるいは魔神族の誰かがこの人魔たちを操作しているのか……でも、あっちが魔力を隠すすべを体得していたら、居場所を探知することもできない)


 ならば、僕たちのやることにも変わりはなかった。

 力で、敵を制圧するのだ。


『僕たちは、上空から相手を追い込むんだ! それで、地上の部隊と挟み撃ちにする! 敵の主力はこれからやってくるんだから、こいつらに手こずっているヒマはないよ!』


『承知しましたぞ、暗黒神様! 下級人魔がどれだけ寄り集まろうとも、我らの敵ではありませんわ!』


 気炎をあげるヨルムンガンドのもとに、大勢の魔竜兵団の団員たちが寄り集まった。

 攻撃の術式が連動され、凄まじい魔力がうなりをあげる。遅ればせながら、僕とナナ=ハーピィもそちらに魔力を送り込んだ。


『くらえ、醜き人魔どもめ!』


 ヨルムンガンドの巨大な口から、白銀の炎が吐き出される。

 僕たちの魔力をも内包したその攻撃は、結合人魔の障壁を突き破り、その胴体に風穴を開けた。


 結合人魔は全身の口からそれぞれ無念の声をあげつつ、地上に落下する。すると、そこで待ちかまえていた巨人のネフィリムが、魔力を込めた拳で結合人魔の横っ面を殴りつけた。

 黒い塵を鮮血のように滴らせながら、結合人魔は地面に墜落する。

 それと同時に、魔獣と蛇神の一団が、雷撃や炎撃を一斉放射した。


 濁った絶叫をあげながら、結合人魔は巨体をよじる。

 その体内に膨大なる魔力がふくれあがっていくのを知覚して、僕は息を呑んだ。


『来るぞ! 防御しろ!』


 地上でもがいていた結合人魔の全身から、四方八方に閃光の槍が解き放たれた。

 天空の魔竜族たちは、障壁の術式でそれを弾き返す。しかし、地上からはいくつもの悲痛な波動が伝わってきていた。下級や中級の団員には、防ぐことのかなわない威力であっただろう。


『やはりこれは、きわめて強力な上級人魔を相手取っていると考えるべきなのでしょう。下級人魔と侮れば、足をすくわれることになりかねません』


 別の結合人魔とやりあっていたニーズヘッグが、そのような念話を飛ばしてきた。


『ただし、1万匹の蟻を駆除するよりも、1頭の獅子を倒すほうが安楽である、という面もありましょう。これだけの巨体であれば、こちらの攻撃を当てることも容易になります』


『だから、俺も言うたであろうが! 的がでかい分、やりやすいとな!』


『……暗黒神様であれば、これだけの魔力を有する結合人魔でも、おひとりで消滅させることが可能なのではないでしょうか?』


 ヨルムンガンドの発言を無視して、ニーズヘッグはそう言った。


『我々が、残り2体の足止めをお引き受けいたします。その間に、まずは1体の殲滅をお願いできますでしょうか?』


『……わかった。やってみるよ』


 僕はナナ=ハーピィだけを引き連れて、もっとも余力のありそうな結合人魔のほうに進路を向けた。

 そちらとやりあっていたのは、ファフニールが率いる部隊だ。念話を聞いていたファフニールたちは、虚空を旋回してニーズヘッグたちのほうに合流した。


 自由を得た結合人魔は、嬉々として魔力を膨張させる。

 これは全方位でなく、一点集中の攻撃であるようだ。その矛先は、ファフニールの背中に向けられているようだった。


 僕は、全身の魔力を振り絞る。

 甲冑が、みしみしと軋み始めた。

 甲冑の中で、ジェンヌ=ラミアはひとり悄然とうなだれている。このような場で、何の役にも立てないことに、打ちひしがれているのだろう。

 そんなことを考えていると、ナナ=ハーピィが巨大な大鷲の鉤爪で僕の腕をつかんできた。


『ベルゼ様、今はこいつらをぶっ倒すことだけを考えよう?』


『うん、わかってる』


 ナナ=ハーピィの魔力をも取り込んで、僕は炎撃を放出した。

 今にも攻撃を繰り出そうとしていた結合人魔の頭部が、紅蓮の炎に包まれる。


 凄まじい絶叫が、周囲の空間を軋ませた。

 1万もの下級人魔が同時に放つ、断末魔である。

 僕は、残存していた魔力でさらなる術式を発動させ、今度は胴体に炎撃をくらわせる。


 体長100メートルはあろうかという結合人魔の巨体が、余すところなく炎に包まれた。

 魔力を使い果たした僕は、ナナ=ハーピィに吊り上げられながら、気配を押し殺す。この状態で誰かに攻撃をくらったら、さしもの暗黒神も生命の危機であるはずだった。


 真紅の炎に包まれた結合人魔は、まるで太陽のように世界を照らし出している。

 そうして、彼はゆるゆると落下を始め――大地に到達する前に、燃え尽きた。


 天空と地上に分かれた兵団員たちが、歓声をほとばしらせる。

 欠乏した魔力をチャージさせながら、僕は複雑な心地であった。僕は今、この手で1万名にも及ぶ人間の生命を摘み取ったのである。それしか手段はなかったとはいえ、快哉をあげる気持ちにはなれなかった。


 そしてまた、僕は感傷にひたっているいとまもなかった。

 地上から、ルイ=レヴァナントの念話が届けられてきたのだ。


『暗黒神様、東方より敵の本隊がやってまいりました』


 この3体の結合人魔の、およそ10倍の戦力であると目される、敵の本隊の到着である。

 この夜の死闘は、ここからが本当の幕開けであったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る