3 謎の軍勢
東方区域の伯爵領を占領した僕たちは、そこで何点かの有益な情報を手にすることができた。
まずは、下級人魔と化していた農奴たちについてである。
彼らは、こちらの想定よりもずいぶんと少ない人数であった。公爵領の半分の規模であれば、5万名の農奴が存在して然りであったのだが、計測の結果、彼らは3万名ていどしか存在しないことが知れたのだった。
「おそらくは、魔神族がこの領地を占領する際に、それだけの人間が滅ぶことになったのでしょう。魔神族の占領からは10年ていどしか経過していないため、絶大な繁殖力を有する人間族でも、人数を回復させることはかなわなかったのだと推測されます」
ルイ=レヴァナントは、そのように語らっていた。
また、領地の有り様をざっと確認しただけでも、その裏付けが取れたようである。農園ばかりでなく石の町においても、半数ぐらいの家屋は破壊されたまま放置されているか、あるいは長らく人間の暮らしていた痕跡を残していなかったのだ。
なおかつ、暗黒神である僕と蛇神兵団によって、昏睡している農奴たちの記憶を探査したため、そちらからも裏付けとなる情報が得られていた。
この地の農奴たちは、中央区域よりもいっそう過酷で貧しい生活を強いられていたのだ。
10年前に人口が激減したにも拘わらず、これまでと変わらぬ規模の田畑の管理をさせられて、過労死した人間も少なくはないらしい。人々の心には、どす黒い絶望と無念の思いばかりがどろどろと渦巻いていた。
そして、それにも連なる情報であるが――この地においては、町の市民たちにも過酷な生が強いられていた。あくまで農奴の携えている伝聞の知識ではあるが、10年前まで暴虐を働いていた市民たちは、魔神族に領地を支配されて以来、農奴と同じぐらい見返りの少ない労働に従事させられていたのだそうだ。
貴族に関しては、情報があやふやである。魔神族に平伏して、これまで通りの安楽な生を保証されていたのか――あるいは農奴や市民たちと同じように、ひたすら搾取されていたのか――農奴の中に、真実を知る者はいないようだった。
「ただし、町や農園はだいぶん荒れかけているのに、城のほうは整然としているな。やはり貴族というのは上級人魔として重要な戦力になりえるので、手厚く遇されていたのではないだろうか?」
そのような意見を申し述べてきたのは、自分の目であちこちを検分して回ったウロボロスであった。
僕としても、その線が濃厚であるのだろうと考えている。「貴族の当主は自我を保てる」という例から見るに、人魔の術式というのは人間の血筋と根強く連動しているようであるのだ。市民や農奴に特別な資格はいらないが、貴族だけは交換がきかない――という面があるのだろう。
ともあれ、東方区域の実情はおおよそ把握できた。
また、貴族や市民たちが一斉に人魔と化して領地を離れたのが8日前である、ということも確認できた。
ネフィリムが中央区域にやってきたのはその3日後であるから、日時はぴたりと一致する。東方区域を出立した叛逆者の一派は、真っ直ぐに北方区域を訪れて、その勢いのままに巨人兵団を殲滅せしめたのだ。
なお、東方区域を出立する寸前、農奴はこれまで通り労働に励むように言い渡されていた。通達したのは、騎士の身分にある者たちである。
我々はしばらく領地を離れるが、田畑の様子は魔物たちが監視している。もしも逃亡を企てたり、日々の労働をおろそかにしたりすれば、身の毛もよだつような処罰が下されるであろう――農奴たちの記憶の中で、騎士たちは居丈高にそう命じていた。
ただし、僕たちが確認した限り、領地の内外に使い魔などが潜んでいたりはしなかった。僕たちが領地を占領している間に逃げ去ったのか、最初から監視役など置いてはいなかったのか――真相は不明なれど、農奴たちはその命令に逆らう気力もなく、諾々と農作業に励んでいたのだった。
「とりあえず、作戦を続行しよう。そのための情報も入手できたからね」
僕たちは、城で保管されていた東方区域の地図を獲得していた。
魔力を駆使すれば領地の所在を探索することもできなくはないが、それではいらぬ消耗を強いられることになる。僕たちにとっては、何よりもありがたい情報であった。
その地図で確認したところ、残された領地は3つ――ひとつの伯爵領と、ふたつの侯爵領である。過去には他にも複数の領地が存在したようであるが、それはこの250年の間に魔神族との抗争で失われたようだった。
「次も、伯爵領に攻め込もうか。ここから向かうには位置的にもちょうどいいし、伯爵領なら大した消耗もなく制圧できることが立証されたからね」
そんな風に言ってから、僕は頼もしい側近たちを振り返った。
「よければ、すぐにでも出発したいんだけど……ふたりの仕事は、もう完了したのかな?」
「この場は、不死の旦那に譲ったよ。そのほうが、効率もいいだろうからさ」
ふたりには、この領地を監視するための使い魔の配置をお願いしておいたのだ。目的のひとつは、叛逆者の一派の接近を警戒するため。もうひとつは、農奴たちが目覚めた後の処置を為すためである。
「残りの領地が3箇所であれば、そのすべてに使い魔を配置することも可能であるかと思われます。問題はございません」
「了解。それじゃあ、出発しよう」
僕は先陣を切って、飛行フォームの大型バージョンに変形してみせた。
歓声をあげる団員たちに、念話で呼びかけてみせる。
『さあ、早く乗ってくれ。こちらの定員は、100名までだよ。……ウロボロスたちも、どうぞよろしくね』
「ふん。暗黒神様みずからがそんな雑用を担おうなどとは、まったく嘆かわしい限りだ」
ウロボロスは唇をねじ曲げつつ、彼の側近たちを振り返った。
魔竜兵団の、3名の幹部たち――副団長のニーズヘッグ、ヨルムンガンド、ファフニールが、たがいを牽制するように距離を取る。
そうしてその場に、3体の魔竜が生まれ出た。
エメラルドグリーン、メタリックシルバー、コバルトブルーの鱗を持つ、巨大で雄々しいドラゴンたちである。
さらにその向こう側には、ワインレッド、ブラウンイエロー、ディープパープルなどの、色とりどりの魔竜たちが本性をあらわにしている。屈強なる魔竜兵団の中でも中核を担う、純血種の魔竜たちであった。
「これだけ頭数がそろっていれば、俺が雑用を担う必要はなかろう。……それとも、あなたが休むかね、暗黒神様よ?」
「いや、べつだん魔力を無駄遣いする気はないから、お気遣いは無用だよ。それじゃあ各自、準備をしてくれ」
ニーズヘッグたち純血種の魔竜族もそれぞれ数十名ずつを背中に乗せることができるし、中級や下級の魔竜族は自前の翼で飛ぶことができるため、これで運搬役に不足はないはずだった。
それに今回は、魔力を消費しない低燃費飛行である。行った先で領地の制圧という任務が待ちかまえているので、移動に魔力を消費するゆとりはないのだ。それでも半日ぐらいもあれば、東方区域のすべての領地を巡ることは可能であるはずだった。
また、さきほど消耗した魔力については、領内からかき集めた肉と酒で十分に補充できている。このコンディションであれば、次の伯爵領も難なく占領できるはずだった。
『それじゃあ、出陣だ!』
100名の団員を背中に乗せて、僕はすっかり夜の帳に包まれた天空へと羽ばたいた。
雄々しい姿をしたドラゴンたちも、遅れてはならじと追従してくる。地上では、ケルベロスが率いる健脚の団員たちが疾駆しているはずであった。
『暗黒神様、および部隊長の方々に通達しておきたい話がございます』
と、移動を始めるなりルイ=レヴァナントが念話を飛ばしてきた。
『さきほどの伯爵領には下級の人魔しか残されておりませんでしたが、今後は中級および上級の人魔と遭遇する可能性も念頭に置いておくべきかと思われます』
『うん。その可能性は、最初から捨てていなかったけど……レヴァナントは、何か思うところがあったのかな?』
『はい。この地に伯爵領と侯爵領が2箇所ずつ残されていたとなると、叛逆者の一派が率いている人魔はずいぶん数が少ないように感じられます』
いつでもひんやりとした声音で、ルイ=レヴァナントはそのように言いつのった。
『すべての領民が半数ていどに減少していたとしても、東方区域に残された上級人魔の総数は500名、中級人魔の総数は12000名ということになりましょう。北方区域を襲撃した人魔は数千名であったという証言がありますので、その差の分は東方区域に待機しているものと推測されます』
『持って回った言い草だな。だから不死族などというものは、虫が好かんのだ』
ヨルムンガンドの背中から、ウロボロスが皮肉めいた念話を返してきた。
『俺がネフィリムの記憶で見た人魔は、1万近い数だったように思う。ならば、東方区域に残されているのは、せいぜい2000ぐらいのものであろう。そのていどの人魔に恐れを為せ、とでも抜かすつもりか?』
『2000名という数だけでは、敵の戦力を推し量ることも難しいでしょう。問題は、その内の何割が上級人魔であるか、という一点に尽きるかと思われます』
それはもちろん、500名の上級人魔がまるまる残されていたりしたら、こちらも手ひどい反撃を受けてしまうことだろう。こちらの総数は1000名弱であるが、上級の力を持つ団員はせいぜい2割ていどであるのだ。
ただし、上級といってもその力量はピンからキリである。また、僕がこれまで相対してきた人魔の中で、もっとも強力であったのはデイフォロス公爵であったかと思うが――それでも、こちらの部隊長よりは歴然と格下であるように感じられたものだった。
『人魔っていうのは上級でも、個々の力は大したことがないんだよね。だからやっぱり警戒すべきは、その頭数だろう。数万の下級人魔に数百の上級人魔の力が加えられたら、さっきの障壁も破られてしまっていただろうからね』
『では、尻尾を巻いて逃げ出そうとでもいうのか?』
『そういうわけにはいかないさ。敵方にどれだけの戦力が残されていようとも、東方区域を制圧するまでは退けないよ』
ウロボロスは念話を発するのを取りやめて、ただ喜悦の波動だけを送り届けてきた。
他の部隊長たちは、火のように闘志を燃やしている。敵の戦力が想定を上回っていたとしても、今さら退却を願うような団員はいなかったし――今回ばかりは、僕も安全策を唱える気持ちにはなれなかった。
(これは、ガルムの弔い合戦なんだからな)
僕は、すべての団員たちの怒りと無念に共感していた。彼らに感化されたわけではなく、僕自身が大きな怒りと無念を携えていたのだ。それがみんなの思いと共鳴し、増幅している。誇り高い魔竜族たちがその背中に異種族の団員たちを乗せることを肯じたのも、それらの共鳴があっての結果であるはずだった。
「ねえねえ、暗黒神様! あたし、ひとつ提案があるんだけど!」
と、自前の翼で飛んでいたデルピュネが、僕の顔のすぐ横に近づいてきた。
現在の僕は100名の団員を乗せられるぐらい巨大化していたので、感覚としては手の平に乗せられそうなぐらいのサイズである。彼女は半人半妖の姿のまま、ただ背中に竜の翼を生やした格好で、すいすいと宙を舞っていた。
「なんだい? 何か作戦に関わることかな?」
「んー? まあ、関わりがないこともないかなー。……あのラミアをどう始末するかは知らないけど、また侍女として召し抱えるってのは不可能だよね? だったら、新しい侍女を見つくろうべきじゃない?」
赤紫色の髪と瞳と鱗を持つデルピュネは、小悪魔のように微笑んだ。
「そんでもって、魔竜兵団もこうして暗黒神様の直属で働くようになったんだからさ! 魔獣や蛇神の連中にばっかりいい思いをさせる必要はないでしょ? だから、あたしを侍女として召し抱えてよ!」
「いや、だけど……君は、中級の群集種だろう? 僕が魔力を譲渡すると、誰でも上級の力を扱えるようになれるから、侍女は下級の群集種から選ぶのが定例になってるんだよね」
「これだけ大きな戦になったら、下級も中級も大きな違いなんてないじゃん! 意地悪言わないで、あたしを選んでよー!」
すると、僕の首あたりで膝を抱えていたナナ=ハーピィが、巨大な山羊の頭骨の形状をした兜のほうにまでよじよじと移動しながら、わめき声をあげた。
「あんたねー! ラミアの話が片付かない内から、勝手なことばっかり言ってるんじゃないよ! だいたいあんたみたいに小生意気な女は、ベルゼ様の趣味じゃないんだからね!」
「小生意気な女がお嫌いだったら、あんたなんかが召し抱えられるはずがないじゃん。ほんっとハーピィってのは、頭が空っぽなんだねー」
「むぎぎ。……それにねー、今のベルゼ様は、侍女にも伽を申しつけたりはしないんだよ! あんたなんかは、どうせそれだけが目的なんでしょ!」
「あったり前じゃん。暗黒神様とは、もう10年もご無沙汰だったんだからねー。期待しないわけないでしょ?」
そう言って、今度は妖艶に微笑むデルピュネであった。
「それに、暗黒神様の中身が入れ替わったっていうんなら、それはそれで面白いじゃん! あたしが新しい暗黒神様の、初めての相手になれるってわけだもんねー!」
ナナ=ハーピィは僕の兜にへばりついたまま、怒りで顔を真っ赤にした。
そののちに、自分の額をごつんと僕にぶつけてくる。そこから、ナナ=ハーピィの念話が僕の頭に流れ込んできた。
『……ベルゼ様はあたしより先に、他の誰かに伽を申しつけたりしないよね?』
『う、うん。今のところ、そういう予定はないよ』
『今のところって!? この先には、ありえるってこと!?』
『いや、だから……僕は気持ちの通じ合っていない相手と、そういう行為に耽る気持ちにはなれないんだよ』
激情に燃えさかっていたナナ=ハーピィの思念が、すうっと鎮静化した。
僕の頭に自分の額をくっつけたまま、ナナ=ハーピィは「えへへ」と笑う。
『だったら、いーや。あたし、誰にも負けないもん!』
存在しない僕の心臓が、どこかで脈打ったように感じられた。
そのかたわらで、デルピュネが「ふん」と鼻を鳴らす。
「あんた、いちいち頭をくっつけないと念話も送れないの? 下級の中でも、最下級なんじゃない?」
「へーんだ。そんなの、どーでもいいもんねー」
顔をあげたナナ=ハーピィは、デルピュネに向かってアカンベーをした。
別なる念話が響きわたったのは、そのときである。
『暗黒神様。前方より、多数の人魔の気配を感知いたしました』
それは、二―ズヘッグの冷徹なる念話であった。どうやら僕だけではなく、部隊長の全員に発信している様子である。
『さらに、左方向からも――こちらはまだ距離があるので判然としませんが、さらに多数であるように思われます』
『わかった。僕も探知してみるから、ちょっと待っててくれ』
僕とて最初から探知の触覚は張り巡らせていたのだが、ニーズヘッグはさらに広範囲にまで広げていたらしい。
彼の言葉が真実であることは、すぐに確認することができた。
『これは……かなりの軍勢だね。正面から向かってくる軍勢は、下級人魔3万ていどで……左方向の軍勢は、その10倍近い戦力なんじゃないのかな』
『10倍?』と反問してきたのは、地上を駆けているケルベロスであった。
『ちょっと待ってくれよ、暗黒神様。下級人魔3万はわかるけど、その10倍の戦力ってのは、ちっとばっかり計算が合わねーんじゃねーのか?』
『いえ。むしろ計算通りではないでしょうか。左方向の軍勢が2箇所の侯爵領の総力と考えれば、8万の下級人魔に2000の中級人魔で、およそ10倍近い戦力になるかと思われます』
ニーズヘッグがそのように応じると、ケルベロスは念話で『けっ』と咽喉を鳴らした。
『俺の頭にだって脳味噌は詰まってるんだから、それぐらいの計算ができねーわけじゃねーよ。でも、翼がない上に足ものろい下級人魔は、中級人魔と足並みをそろえられねーだろ。それともそいつらは、下級と中級で別々に動いてやがるのか?』
『いえ……すべての人魔がひとかたまりとなって、こちらに接近している模様です』
そんな風に答えてから、ニーズヘッグは『しかし』とつけ加えた。
『それを言うならば、正面から迫る軍勢も、我々と同程度の速度で接近してきているのです。とうてい下級人魔にはありえない所業でありましょう』
『へー。だったら、どいつもこいつも中級か上級の人魔だってのか?』
『魔神族が引き連れている戦力を考慮すれば、それこそありえません。敵は何らかの術式をもって、下級人魔に高速移動のすべを与えているのでしょう』
僕としても、そのように考える他ないと思っていた。それが可能であったからこそ、敵も早々に総力戦を仕掛けてきたのだろう。
ケルベロスは『ふーん』と気安く応じつつ、抑え難い闘争心を念話の声ににじませた。
『ま、何がどーでもかまわねーけどよ。それで、どーすんだ? さっきも逃げる気はないって言ってたはずだよな、暗黒神様?』
『ああ、逃げるつもりはないよ』
そうして僕は部隊長ばかりでなく、全兵団員に念話を届けることになった。
『前方と左方より、敵軍が接近してきた! 作戦を変更して、このまま敵軍を迎え撃つ! 各自、くれぐれも用心してくれ!』
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