2 前哨戦
そうして、1日ていどが過ぎ――太陽が西の果てに没しかけたぐらいの刻限に、僕たちは望む光景を眼下に認めることになった。
東方区域の、人間族の拠点である。
規模としては、魔竜兵団が壊滅させた伯爵領と同程度だ。地方の区域においては、侯爵領が公爵領の7割ていど、伯爵領が半分ていどの規模というのが定説であるようだった。
「ふん。上級や中級の人魔は出払ってるってのに、きっちり結界が張られているようだな」
ワイバーンの背の上で、ウロボロスがそのようにつぶやいた。
「ま、人間どもが生き永らえるには農奴に畑の世話をさせる必要があるんだろうから、それが当然か。農奴どもまで人魔の姿をさせておいたら、畑の世話をさせるのもひと苦労だしな」
「うん。問題は、東方区域に魔術師が残されているかどうか――そもそも魔神族は、どういう手段で人魔を統率しているのか、ってところだね」
そこのところは、実際に襲撃を受けたネフィリムも把握していなかった。魔神族が人魔を操る際、魔術師を介しているかどうかも不明であるのだ。
「だけどまあ、公爵領の魔術師は20名ていどで、王都でさえ50名ていどでって話だったんだから、伯爵領や侯爵領はそれ以下の人数であるはずだろう。それらがいずれも上級としての力を持っていたとしても、大きな脅威にはならないはずだよね」
「ふん。蠅のような姿をした魔族、か。それがどれほど醜悪な姿をしているものか、俺もこの目で確かめさせてもらいたいものだな」
ウロボロスは、漆黒の顔でふてぶてしく笑った。戦いの始まりを前にして、いよいよ昂ってきた様子である。
「それで? あなたはこの領地をどうやってぶっ潰そうって考えてるんだい、暗黒神様よ?」
「うん。何せ時間との勝負だからね。面倒な手間はかけずに、正面突破で占領しようと考えてるよ」
そう言って、僕はウロボロスの黒い水晶玉めいた双眸を正面から覗き込んでみせた。
「このまま空中から城に突撃して、人魔の術式の触媒を破壊する。その役目は、ウロボロス、君にお願いしたい」
「ほう? あなたではなく、俺が?」
「うん。結界を壊したら、人魔たちがいっせいに押し寄せてくるだろうからね。僕を含む全団員がその足止めをするから、その間に、君が触媒を破壊するんだ」
ウロボロスは不敵に笑いながら、頑丈そうな肩をすくめた。
「まあ、俺とあなたでは魔力の桁が違うからな。触媒の破壊などというつまらぬ仕事は、俺に押しつけるのが得策というわけか」
「でも、触媒の破壊をどれだけ速やかに行えるかで、被害の度合いが変わってくるわけだからね。ひとりで謁見の間を探し出し、『門番』を片付けて、触媒を破壊する。こんな役目は僕か君にしかつとまらないんだから、どうか気合を入れてお願いするよ」
そうして僕は、全団員に作戦の概要を伝えることにした。
とはいえ、何も難しい作戦ではない。全員で城に突撃して、障壁の術式を展開し、人魔の襲撃を食い止める、というだけの話である。基本の術式は僕が構築してみせるので、みんなにはサポートの魔力を振り絞ってもらうだけのことであるのだ。
このような力ずくの作戦を強行できるのも、中級と上級の人魔がおおよそ出払っていると見越しているゆえであった。
伯爵領が公爵領の半分の規模であるとすると、農奴の数はおよそ5万名。で、農奴が変ずる下級の人魔は、角つきの中級人魔の100分1ていどの力しか持ち合わせていない、という話であるのだから――中級人魔500名ていどの戦力となるのだ。
いっぽうこちらは、上・中・下と個人の力量に格差はあれども、およそ1000名の軍勢である。そうして暗黒神たる僕などは、その全員分と同等の魔力を備えているようであるので、合計すれば倍の戦力だ。これならば、そうそう力負けすることはないはずだった。
『最前線に立つのは上級の団員で、それを補佐できるように中級と下級の団員で陣を形成してくれ。下級の団員と、ここまでの運搬を担ってくれた団員たちは、障壁のゆらぎの影響を受けないように、なるべく後方に下がるようにね』
念話でそのように伝えると、全団員から怒号のごとき応答があった。ウロボロスばかりでなく、誰もが魔力のぶつけどころを求めているのである。
それを頼もしく思いながら、僕はかたわらに控えていた3名――ナナ=ハーピィとルイ=レヴァナントとファー・ジャルグを振り返る。
「レヴァナントとファー・ジャルグは領地を占領した後に役目が残されてるから、魔力を温存しておいてくれ。あと、ハーピィは……もしも魔術師なんかが現れたら、僕の魔力を君に譲渡するかもしれない。だからやっぱり、障壁の術式には参加せず、僕のそばで待機しててね」
「はいはい。ここ最近は暗黒神様の尻にひっついてるばかりで、なーんの役目もなかったからねえ。そろそろ魔力の使い方を忘れそうになってたところだよ」
へらへらと笑いながら、ファー・ジャルグはそのように言いたてた。どうやらここ最近の彼は、魔竜族の逆鱗に触れないように、なるべく軽口を控えていたようであるのだ。傍若無人に見えながら、小憎いぐらいに悪知恵の回る、彼らしい処世術であった。
いっぽうルイ=レヴァナントは相変わらずの沈着なたたずまいであり、ナナ=ハーピィは――暗黒城を出立して以来、僕にひっつこうともせずに、ずっとぼんやり自分の膝を抱え込んでいた。
「……大丈夫かい、ナナ?」
他のみんなに聞こえぬように、そっと固有名で呼びかけると、ナナ=ハーピィはにぱっと可愛らしく微笑んだ。
「大丈夫って、何が? あたしはいつでも元気だよ!」
「うん。だけど、この道中はずっと静かだっただろう?」
「そりゃまあね」と、ナナ=ハーピィは目を伏せた。
その顔は笑ったままであるのに、それだけで寂しげな表情に見えてしまう。
「ラミアの処分が決まるまでは、なんか落ち着かなくってさ。あいつとはずーっといがみあってたけど……ベルゼ様の侍女として、100年も一緒にいたんだから、それが当たり前なんじゃないのかな」
ジェンヌ=ラミアは、いまだ僕の体内に保護しているのだった。
僕自身に落ち度があったにせよ、ガルムを死に追いやった彼女を無条件に解放することは許されない。しかし今は東方区域の占領が最優先事項ということで、彼女に対する処分は先延ばしにされているのである。
(この作戦が失敗して、僕が生命を落とすことになれば、彼女ももろとも滅ぶことになる。……なんて言葉を口にしたら、また甘っちょろいって言われちゃうかな)
だから僕は、そんな心中を明かすことなく、作戦に従事していた。
それに、僕たちには失敗など許されないのだ。叛逆者の一派を討伐するために、まずは今回のミッションを完遂させなければならなかった。
『それじゃあ、準備はいいかな? そろそろ突撃するよ』
再び、怒号のような応答が響きわたる。
僕はひとつうなずいて、運搬役を担っている団員たちに号令をかけることにした。
『全軍、突撃! 目標は、名前もわからないあの城だ!』
農園と石の町に囲まれた城を目指して、ワイバーンやフレスベルグたちが急降下する。
その身が、淡い紫色の結界に触れた瞬間――結界の術式が解除され、人魔の術式が発動された。
周囲から押し寄せる人魔の魔力を全身で感じながら、僕たちは城の周囲の空間に着地する。
ただひとり、途中でワイバーンの背から飛び降りたウロボロスは、黒い炎の塊と化して、城の屋根を突き破った。
僕はすぐさま障壁の術式を展開して、城を城壁ごと覆い尽くす。
1000名近い兵団員たちも、速やかに魔力を注ぎ込んでくれた。
黒みがかった障壁が、城と城壁を丸く包み込む。
そして――待つほどもなく、そこに人魔が押し寄せてきた。
下級の人魔は空を飛ぶことができないので、農園から石の町を踏み越えてきたのだろう。数万から成る下級人魔がべったりと障壁にへばりつき、その身の変質した魔力を惜しみなく叩きつけてきた。
さすがに、ものすごい圧力である。
下級といえども、数万もの人魔が一丸となれば、これほどの力となるのだ。
かつてのデイフォロス城にて、僕は200名からの上級人魔に圧し潰されそうになった記憶が蘇る。
しかし、今の僕には数多くの仲間が存在した。魔力の塊である障壁は、今にもめりめりと軋む音色をあげそうな様相であったが、それでも危なげなく人魔の圧力に耐えてくれていた。
(これを防げなかったら、侯爵領を制圧するのも難しくなっちゃうんだからな。ここは、多少の余裕を持てるぐらいじゃないと――)
僕がそのように考えたとき、忽然と圧力が消滅した。
障壁にへばりついていた人魔たちが、ぼたぼたと地面に落ちていく。あれほど凄まじい勢いで押し寄せてきていた人魔の魔力が、綺麗さっぱり霧散していた。
人魔たちは、いずれも人間の姿を取り戻し、昏倒している。
それを探知の術式で確認してから、僕は全団員に通達した。
『障壁の術式を解除する! みんな、魔力を引っ込めてくれ!』
黒き障壁もまた、世界から消失した。
それと同時に、背後からウロボロスの気配が近づいてくる。
「終わったな。腹が減るほどの仕事でもなかったぜ」
ウロボロスは、また右腕1本で『門番』を撃退したのだろう。その身の魔力も、まったく消耗していない様子であった。
そして世界には、芳しいばかりの魔力があふれかえっている。
コカトリスは黄昏刻の空を見上げながら、「ああ……」と息をついた。
「これでまた、大地に魔力が返されたわね……こんなに、あっけなく……」
「うん。だけどこれは、前哨戦に過ぎないからね」
しかしこれで、叛逆者の一派が引き連れている人魔の何割かも、人間に戻されているはずだった。もしもリアルタイムで北方区域を制圧しているさなかであったなら、さぞかし魂消ていることだろう。
『最初の任務は、これで完遂だ! 魔獣兵団は城と町から食料の確保! 蛇神兵団は、人間たちの記憶の走査に取りかかってくれ! 魔竜兵団は、領地の内外の探索だ! 魔術師や使い魔が潜んだりしていないかどうか、入念にお願いするよ!』
兵団員たちは、また怒号のような勢いで応じてくれた。
あまりにあっけなさすぎて、勝利の実感も湧いていないことだろう。しかし、勝利の美酒に酔いしれるにはまだまだ早いので、それが正しい姿であるのだ。
僕たちの戦いは、ここからが本番であるのだった。
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