3 釈明

「アンドレイナ王女、どうか落ち着いてください」


 僕は内心の驚きを抑制しながら、激昂する王女アンドレイナへと呼びかけてみせた。


「レヴァナントが、300年前に人魔の術式を体得した、当時の王であるというのですか? どうしてあなたに、そのようなことがわかるのです?」


「……バルナバーシュⅢ世の肖像画は、王都の城にいくつも残されているのよ。何せバルナバーシュⅢ世は、王国の救世主として崇め奉られているのですからね!」


 侍女マルチェの腕に取りすがったまま、幼き王女は悲鳴まじりの声でわめきたてた。


「バルナバーシュⅢ世は300年前、闇なる存在と『禁忌の盟約』を交わして、人間の世界に人魔の術式をもたらしたのよ! 言ってみれば、人間の世界を滅茶苦茶にした張本人だわ! どうしてそんなおぞましい存在が、あなたの腹心としてこの地にのさばっているのか説明してちょうだい、ベルゼビュート様!」


「その前に、いったん落ち着きましょう」


 僕は、素知らぬ顔で壁にもたれかかっているファー・ジャルグへと視線を転じた。

 ファー・ジャルグはいつもの調子で肩をすくめてから、小さな指先を虚空に走らせる。


 それと同時に、ふわりと甘い花のような香りが漂った。

 アンドレイナとマルチェはぐらりと力なくよろめき、エウリコはいっそう険悪な表情となる。


「何をした……やはり貴様たちは、我々をたばかっていたのか!?」


「きひひ。いきりたった心をなだめるために、芳しい香りを嗅がせてやっただけのこったろ。ひっくり返らない内に、椅子に座ったほうがいいんじゃないのかね」


 マルチェは素直にアンドレイナを着席させ、自分は床の上にへたりこんだが、エウリコは剣の柄に手をかけたまま、強情に立ちはだかっていた。

 これは人間にのみ有効な、鎮静の薬であるのだろう。僕には何の影響も見られないし、ナナ=ハーピィもきょとんとしている。それに、部屋の反対側にまでは届いていないらしく、オスヴァルドと4名の騎士たちもうろんげに王女らの様子を見守っていた。


 そして肝心の、ルイ=レヴァナントである。

 アンドレイナから驚くべき糾弾を受けたルイ=レヴァナントも、普段通りの冷徹な面持ちでその場に控えていた。


「……王女、落ち着かれましたか?」


 僕は水差しとコップを虚空から生み出して、それを王女の前に置いてみせた。

 王女は軽く唇を噛みながら、ルイ=レヴァナントの姿を凝視している。激情は鎮静されたようだが、その青い瞳にはまだ残り火がくすぶっていた。


「ええ……だけど、あなたがたの釈明を聞くまで、決して心を許すことはできないわ。わたくしを配下にしようというのなら、君主としての度量を見せてちょうだい、ベルゼビュート様」


「そうですね。僕だって、こんな重大な話を有耶無耶にするつもりはありませんよ。……ただその前に、あなたの記憶がどれだけ正確なものであるのか、この場で確認させていただけますか?」


 アンドレイナはルイ=レヴァナントの姿をにらみつけたまま、答えようとしなかった。

 卓の上に投げ出されたその小さな手の甲に、僕がそっと自分の手の平を重ねると、電気に触れたようにびくりと震える。しかし僕の手を振り払おうとはしなかったので、そのまま幼き王女の頭の中へと走査の触手を侵入させていただいた。


 まずは、意識の表層である。

 そこに浮かべられていたのは、王都の城の大広間であるようだった。

 灰色をした石造りの壁に、たくさんの肖像画が飾られている。きっと歴代の王たちの肖像画であるのだろう。その中に、ひときわ立派な額縁に収められた肖像画が存在した。


 腰まで届くぬばたまの髪に、闇を凝り固めたかのような漆黒の瞳――これまで日を浴びたこともないかのように白い肌と、ぞっとするような冷たい美貌。

 ルイ=レヴァナントに瓜二つの、端麗な姿である。

 そのすらりとした体躯には王に相応しい豪奢な装束とマントを纏っており、装飾過多な錫杖のようなものを握りしめている。その右の手の甲に刻まれているのは、アンドレイナと同じく黄金色の太陽を象った紋章であった。


(確かに、ルイと生き写しだ)


 僕はその表層の意識を足がかりにして、さらに王女の深い内面――潜在意識の中にまで潜り込むことにした。

 表層の意識というのは、本人の思考に大きな影響を受けているものであるのだ。以前に目にした肖像画の記憶に、現在目にしているルイ=レヴァナントの姿が重なって、このような映像を結んでいるという可能性が否定しきれない。よって、本人の思考では干渉することのできない、まっさらな潜在意識まで確認しておく必要があったのだった。


 10年間を生きてきたアンドレイナの、さまざまな記憶が奔流のように渦を巻いている。

 その奥底に、僕は求めるべきものを発見した。

 城のあちこちに飾られていたという、バルナバーシュⅢ世の肖像画の記憶だ。

 それらはいずれも、表層の記憶と同じ姿をしていた。

 アンドレイナは、記憶違いなど起こしていなかった。よほど腕のいい宮廷画家が存在したのか、それは写真のように鮮明で、300年が経っても色あせることのない、実に見事な肖像画の数々であった。


「……確認できました。確かにこれはどう見ても、同一人物としか思えない姿であるようですね」


 僕は少女の顔でアンドレイナに微笑みかけてから、ルイ=レヴァナントのほうに向きなおった。


「というわけで、君の意見を聞かせてもらおうかな、レヴァナント。君だったら納得のいく釈明をしてくれるものと信じているよ」


「はい。ご納得いただけるかどうかは定かではありませんが、推論を立てることは難しくないように思います」


 あくまでも沈着な声音で、ルイ=レヴァナントはそう言った。


「それにはまず、レヴァナントの存在についてを知っていただく必要がありましょう。……この地に存在する魔族の中で、レヴァナントというのは比較的、若い種族であるのです」


「若い種族?」


「はい。それは、レヴァナントに限りません。不死兵団に所属する多くの魔物たち――私の従僕であるリビングデッドや、グールや、ワイトなどは、すべてこの700年ばかりの間に誕生した魔族であるのです」


 700年というその数字によって、僕は察することができた。


「なるほど。それはつまり、人間族がこの地にやってきてから誕生した魔族である――というわけだね?」


「その通りです。我々は、人間族の遺骸や魂が大地の魔力と結びつくことによって、この生命を得ることとなりました。リビングデッドやグールは人間の遺骸、レヴァナントやワイトは人間の魂を種子としているのです」


 そのとき、彼の背後の扉がまたノックされた。

 そこから現れたのは、リビングデッドの少年と少女である。アンドレイナたちは、その姿を鋭く見返した。


「これらが私の従僕となる、リビングデッドです。ご説明に必要かと思い、招集いたしました。……従僕よ、その手を客人らにさらすがいい」


 リビングデッドの両名はいつだったかと同じように、右の手の甲を僕たちにさらしてきた。少年の手には市民としての紋章が、少女の手には農奴としての焼き印が、それぞれくっきりと刻みつけられている。


「この両名は人間の遺骸を核としているため、生前の痕跡がその身に残されております。いっぽう私は人間の魂を核としているため、そのようなものも残されてはおりません」


 ルイ=レヴァナントも、自らの手の甲を僕たちにさらした。

 青白く、彫刻のように美しい指先である。その手の甲には、傷ひとつ見当たらなかった。


「よって私は、人間であった時代の境遇を知るすべもございませんでした。むろん、その時代の記憶も残されてはおりません。……私の釈明は、以上となります」


「なるほど、了解したよ。同じ魔族である僕たちには、納得のいく釈明だったよね?」


 僕が視線を向けると、ファー・ジャルグは「まあね」と半笑いで答えた。


「ていうか、レヴァナントが人間の魂を種子にしてるなんてことは、百も承知だったからさ。ただ、リビングデッドやグールどもと同じように、人間の頃の姿そのまんまだって話は、初耳だったぐらいかね」


「そうか。ハーピィはどうかな?」


「んー? よくわかんないけど、死人は死人でしょ? そいつらは人間そのまんまの姿だから、他の魔族に嫌われてるんじゃないの?」


 ナナ=ハーピィ自身もルイ=レヴァナントを好いていないので、この言い草である。

 しかしまあ、両名ともにルイ=レヴァナントの言葉を疑ってはいないようだった。もちろん、僕もそれは同様である。


「では、アンドレイナは如何でしょう? 納得していただけたでしょうか?」


「それはつまり……この者が、バルナバーシュⅢ世の魂から生まれた魔物であるということなのね? そのような者を腹心とするのは、あまりに危険なのじゃないかしら?」


「しかし、生前の記憶が残されていないのなら、それは別人に他ならないでしょう。そもそも彼は、人間ではなく魔族であるのですからね」


「だったら……バルナバーシュⅢ世は最初から魔族であったという考えも成り立つのではなくって? 魔術師たちが魔族であったのなら、それを統べる存在も魔族であると考えるのが妥当であるように思えてしまうわ」


「いえ。魔術師たちの正体は魔神族の気配を有する魔族であり、こちらのレヴァナントは不死族という魔族に分類されるのですよ。……魔神族と不死族ではまったく気配が異なるんだろう、ファー・ジャルグ?」


「ははん。そんなもん、俺とレヴァナントの旦那の気配を嗅ぎわけりゃあ、一目瞭然でしょうよ」


「いや、実際のところ、僕は君と魔術師の気配が似てるとも思えないんだよね。魔獣族や蛇神族とはまったく気配が違うってことは理解できるんだけどさ」


 ファー・ジャルグは赤い髪をかき回しながら、皮肉っぽく笑った。


「俺だって、あの蠅人間どもが自分に似てるなんざ、これっぽっちも思えなかったさ。ここは公平なる第三者として、鳥人間のお言葉を拝聴するべきなんじゃないのかね」


「誰が鳥人間だよ! ……でも、そうだね。同じ魔獣族でも、あたしら翼獣族と団長たちみたいな狼犬族じゃ、気配も全然違うでしょ? 同じ狼犬族の団長やケルベロスやオルトロスなんかは、親子みたいにそっくりだけどさ!」


 と、そこでナナ=ハーピィは珍しく、真面目くさった面持ちとなった。


「だから、あの魔術師どもが化けた蠅の魔物も……こんなちっぽけな小人族じゃなくって、魔王族に似てたと思うんだよね。バアルだとかアスタロトだとかの……」


「ひゃー」と、ファー・ジャルグは首をすくめた。


「そんな不吉な名前を、迂闊に口走らないでほしいもんだね! 俺が小便をちびっちまったら、後始末が大変だろ?」


「なに言ってんのさ。あんたにとっては、同じ魔神族でしょ?」


「魔王族と小人族じゃ、夜空のお月と泥沼の亀ぐらい掛け離れた存在なんだよ! 今でもあんな連中の下で働かされてる小人族の連中には、同情を禁じ得ないね!」


 怯えているのかおどけているのかは判然としなかったが、なかなかに実感の込められたファー・ジャルグのコメントであった。

 ナナ=ハーピィは「ふん」と鼻を鳴らしてから、僕に向きなおってくる。


「ま、そーゆーわけで、あの蠅どもが似てるのは魔王族なんだと思うよ。で、レヴァナントのやつは不死族そのまんまね。リビングデッドもひっくるめて、蛇よりひんやりした気配でしょ?」


「うん、確かに。魔王族や他の不死族を知らない僕にも、レヴァナントとリビングデッドが同族だということは、ひしひしと感じられるよ」


 僕は心から納得して、アンドレイナに向きなおった。


「人間には魔族の気配など嗅ぎわけられないでしょうから、なかなか納得はできないかもしれません。ただ、デイフォロスを攻略するにあたって、このレヴァナントがどれだけの功労を果たしていたか、僕たちは知っています。なんとか僕たちと同じように、彼を信頼していただくことはできませんか?」


 アンドレイナはしばらく黙りこくっていたが、やがて張り詰めた声音でルイ=レヴァナントを問い質した。


「あなたは……本当に生前の記憶を失っているのね? ただバルナバーシュⅢ世とそっくり同じ姿をしているだけの、別人であるのね?」


「ええ、その通りです」


「……わかったわ」と、アンドレイナは深い溜め息とともにそう言った。


「あなたがたを、信じます。わたくしの短慮から、この場を騒がせてしまったことをお詫びしますわ、ベルゼビュート様」


「いえいえ。あなたにしてみれば、心を乱すのが当然でしょう。諸悪の根源とも言えるような存在が、いきなり目の前に現れたのですからね」


 僕はアンドレイナに笑いかけてから、ルイ=レヴァナントに向きなおった。


「君も納得してもらえるよね、レヴァナント? アンドレイナには今後も色々と助言をもらうことになるだろうから、わだかまりなんて持たないようにお願いするよ」


「私の側に、そのようなものを抱く理由はございません。私の風貌がいらぬ騒ぎを招いてしまったことを、深く陳謝いたします」


 ルイ=レヴァナントは、普段通りの冷淡さで一礼した。

 ただその黒い瞳には、何やら強めの光がたたえられている。


「それに我々は、またひとつの得難い情報を得られたように思います。さすれば、この騒動も無駄ではなかったと言い表すことができるのではないでしょうか」


「得難い情報? 君はいったい、どんな情報を得たというのかな?」


「人間族の、歴史についてです。……バルナバーシュⅢ世という王は、300年の昔に人魔の術式を体得したのですね?」


 アンドレイナはいくぶん疲弊した面持ちで「ええ」とうなずく。


「正確な年数は忘れてしまったけれど、300年と少し前の時代であるはずよ。それが、なんだというのかしら?」


「人間族が叛旗を翻したのは、およそ250年前となります。人間族は50年に渡り、人魔の術式をひそかに駆使して領土の拡大に取り組んだのでしょう。そうして人間族が急速に領土を広げ始めたため、懸念を抱かれた暗黒神様が諫めようとされて……そこでついに、人魔の術式の存在が我々の前にさらされることとなった、ということなのではないでしょうか」


「ふーん? で、その情報がどういう役に立つってのかねえ?」


 ファー・ジャルグが茶化すように声をあげると、ルイ=レヴァナントは凍てついた眼差しでそちらを見やった。


「人魔の術式を根絶するには、すべての事象を正しく認識する必要があるかと思われます。どのような情報でも、決して無駄になることはないでしょう」


「ああ、そうかい。ま、小難しい話は旦那がたにおまかせするよ」


 ファー・ジャルグの軽妙な口調が、その場の重苦しい空気を多少なりとも緩和させたようだった。

 ただ僕は、心の片隅に小さなしこりを知覚している。


(それにしても……ルイの前身となる人間が、この世に人魔の術式をもたらした張本人だったなんて、驚きだ。それは本当に、ただの偶然なんだろうか?)


 なんだか、あまりにできすぎた話である。

 しかし僕は、ルイ=レヴァナントの忠心を疑ったりはしていなかった。


 何にせよ、ルイ=レヴァナントが人魔の術式の根絶に熱意を燃やしているのは、まぎれもない事実であるのだ。僕がまだ暗黒神としてどのように生きるべきかを手探りで模索していた頃、大きな支えとなってくれたのがルイ=レヴァナントなのである。


(もしもルイが敵方の存在なら、僕の後押しをするわけがないもんな)


 僕がそんな風に考えていると、ルイ=レヴァナントが横目でこちらを見やってきた。僕は遠慮なく彼の姿を見つめていたので、視線を感じたのだろう。

 僕はにっこりと笑ってみせたが、ルイ=レヴァナントは眉筋ひとつ動かさなかった。

 それは僕が知っている通りの、冷徹で沈着なルイ=レヴァナントらしいたたずまいであった。

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