4 急報

 それからの数日間は、静かなる暗躍の日々であった。

 人間の側からの反撃も見られなかったので、僕たちは息を殺してウィザーン公爵領の攻略を進めることになったわけである。


 このデイフォロスのときと同じように、人間に化けた潜入捜査員を農園や町に潜り込ませて、情報を収集する。それと同時に、農園の農奴たちに働きかけて、領土からの離反を煽動する。まずはそれが、僕たちの第一手であった。


 デイフォロス攻略の際には、町や農園の内情を知るハンスやリビングデッドたちがいてくれたおかげで、至極スムーズに話を進めることができた。それに比べれば障害は多かったが、それでも1日ごとに着実に成果を結ぶことはできた。やはりウィザーン公爵領においても、農奴たちは不安と苦しみに満ちた日々を強いられているようだった。


『この調子なら、またほとんどの農奴たちが脱出に賛成するかもね。ていうか、わたいらが声をかける前から、脱走を企んでた連中もいたみたいだよ』


 潜入捜査員の班長であるエキドナからは、そのような報告が届けられることになった。


『こっちの農園でも、デイフォロスから逃げてきた連中が1000人ぐらいいるっしょ? そいつらがあれこれ触れ回ったおかげで、農奴の連中が心を乱してるってわけだね。暗黒神様の思惑通りってこった』


 そう、それが僕やルイ=レヴァナントの仕組んだ悪巧みであった。

 ウィザーン公爵領に迎え入れられたデイフォロスからの難民たちは、すべてが市民の身分にあった者たちであるのだ。それが農奴に貶められれば、不満が噴出するのも当然の話であった。


『で、デイフォロスから連れてこられた連中の中には、今すぐ脱走してやろうって考えてるやつもいるみたいなんだけど、どうする? 暗黒神様は、こいつらをまとめてデイフォロスまで引っ張ってこようっていう考えなんだよね?』


『いや。自力で脱走を考えている者たちに関しては、放っておいてもかまわないよ。それで彼らが首尾よく結界の外まで逃げ出してきたなら、2日分の水と食料を与えて、自力でデイフォロスまで戻ってもらおう』


 何せウィザーン公爵領には、もともと10万名からの農奴が存在するのである。フレスベルグやケツァルコアトルたちがどれだけ魔力を振り絞ろうとも、それだけの人間をいちどきに連れ帰れるはずがなかった。


『たぶん、デイフォロスからの難民たちがどれだけ脱走しようとも、ウィザーン公爵領の連中は本腰を入れて連れ戻そうとはしないんじゃないのかな。1000名ていどの農奴なんて、戦力としても労働力としても微々たるものなんだろうしね。……ただし、もともとの領民たちまでもが脱走を企てたら、さすがに黙ってはいられないはずだ。農園で働く人間がいなくなってしまったら、社会の基盤が壊されてしまうわけだからね』


『しゃかいのきばんとかよくわかんないけどさ、ほっといていいってんなら、了解だよ』


 そんな感じに、農園の攻略に関してはじわじわと進展していた。

 ただ、もういっぽうの情報収集に関しては、いまだ進展が見られない。今回はどのようにしてウィザーン城にまで潜り込むべきか、その道筋が確立できないのだ。


『ウィザーンにおいて、市民や農奴が城に招かれることは、ごく稀であるようです。貴族と懇意にしている人間が祝宴に招かれたり、あるいは罪を犯した人間が嬲りものとされるために城まで連行されたりすることはあるようですが……どちらに関しても、潜入の足がかりにはならないように思います』


 もうひとりの班長であるラハムからは、そのような報告が届けられた。


『うーん、そうだなあ。祝宴に招かれるような人間の従者にでもなれれば、チャンスはあるかもしれないけど……貴族と懇意にしているような市民だったら、身元調査も厳しそうなところだよね』


『はい。如何いたしましょうか?』


『とりあえず、貴族と懇意にしている市民について、もうちょっと調べてみておくれよ。グラフィス子爵のときみたいに、突破口があるかもしれないからね』


 そんな言葉でしめくくり、僕は念話を打ち切ることにした。

 ここはデイフォロスの、僕のための執務室である。かたわらにあるのは、ナナ=ハーピィとファー・ジャルグの両名のみであった。


「お話は終わったー? それじゃあ、休憩のお時間だね!」


 本日も人間形態のナナ=ハーピィが、僕の腕にからみついてくる。僕は僕で、すっかり馴染みとなった少女の義體であった。


「デイフォロスに戻ってから、もう3日目か。……平和なのはいいことだけど、そろそろ攻略を進めたいところだよね」


「きひひ。悪巧みのほうは、もう手づまりなのかい?」


「手づまりってことはないけれど、今ひとつ決め手に欠ける感じかな」


 農奴の煽動に関しては順調であるが、城に潜り込む手段を確立できなければ、手を進めることは難しい。僕は「うーん」と思い悩みながら、卓上でくつろいでいる黒いネズミへと語りかけることにした。


「これはもしかしたら、第2案に着手するべきなのかもしれないね。ルイは、どう思う?」


 第2案とは、ウィザーン公爵領と同時進行で、王都の攻略を進めるという作戦である。僕たちはアンドレイナのおかげで、王都に関するさまざまな情報を手にすることがかなったのだ。

 王都に関しては、貴族の数も魔術師の数もおおよそは把握できている。また、人魔の術式の触媒の位置に関しても、然りであるのだ。未知なるウィザーン公爵領に比べれば、攻略の糸口もつかみやすいという面はあるだろう。


 ただし、王都というのはどの領地よりも強大な戦力を有している。僕たちは領地の規模から、およそ公爵領の3倍ていどであろうという目算を立てていたが、それがまぎれもない事実であったということを再確認させられたのだった。


 上級人魔は500名から600名、中級人魔は3万名、下級人魔は30万名――そして、魔術師の数は50名ていどと、アンドレイナはそのように教えてくれた。しかも、王族の人魔は貴族の人魔よりも強大な魔力を有しているという。正直に言って、それだけの戦力を有しておきながら魔族に全面戦争を仕掛けてこないのは、慎重に過ぎるのではないかと思えるほどの戦力差であった。

 それがわかっているためか、つぶらな瞳で僕を見返してきたルイ=レヴァナントの使い魔の返答は、とても冷ややかであった。


『王都を攻略するには、入念に練られた計略が必要となることでしょう。我が君におきましては、何かお考えがあるのでしょうか?』


「いや、それはこれから考えるところなんだけど……」


『ならば、そのお考えがまとまるまでは、ウィザーン公爵領の攻略に集中するべきではないかと思われます。……王都の攻略に関しては、魔竜兵団からの返事を待つべきではないでしょうか?』


 僕たちは、西方区域の魔竜兵団に使者を送っていた。王都の目がそちらに向いているという警告を与えるのと、どうにか連携して作戦を進めることはできないか、打診するためである。


 王女アンドレイナによると、魔竜兵団は西方区域において、大きな戦果をあげているようなのだ。先頃には伯爵領が陥落させられたという話であるし、王都の魔術師たちはデイフォロス陥落よりもそちらを危険視しているとのことであったのだった。


「でも、西方区域までは僕たちでも片道2日はかかるんだろう? それで動きを連携させるっていうのは、ちょっと難しいんじゃないのかなあ?」


『普通に考えれば、そうでしょう。ですが、あちらとこちらで術式を施せば、念話のやりとりは可能となります。念話さえ通じれば、動きを連携させることも可能なのではないでしょうか?』


 そんな風に言いたててから、黒いネズミは可愛らしく首を振った。


『ただし……魔竜族というのは、きわめて気位の高い一族となります。その扱いには、十分な注意が必要でありましょう』


「うん。僕自身が、あちらまで出向ければよかったんだけどね」


 今回、西方区域への使者に任命されたのは、蛇神兵団のテューポーンという団員であった。蛇神族としては珍しい男性形で、その魔力は全盛のエキドナに匹敵するという、屈指の実力者であるのだが――向かう先が魔竜兵団のもとと知らされたとき、彼は決死の形相と成り果てていたのだった。


「この身にかえましても、使命は果たしてみせましょう。力及ばぬそのときは……次の生にて、お詫びの言葉をお伝えさせていただきます」


 まるで、敵陣に乗り込むかのような言い草である。

 それぐらい、魔族というのは異なる種族同士でいがみあっているのだった。


「テューポーンも、そろそろ西方区域に到着する頃だよね。どんな結果になるのか、ちょっと不安だなあ」


『暗黒神様の使者として遣わされたのですから、生命までは奪われますまい。ですが、いざというときには……我が君が西方区域に本拠を移すことも考慮すべきではないでしょうか?』


「本拠を移す? でも、この中央区域を放ってはおけないだろう?」


『ですが、現在の我が君と魔竜兵団が手を携えれば、西方区域を平定することも難しくはないやもしれません。それこそが、王都を追い詰める至高の一手にも成り得るのではないでしょうか?』


 とたんに、ナナ=ハーピィが「ちょっとー!」といきりたった。


「あんま勝手なこと言わないでよ、この死人野郎! あたしとベルゼ様を引き離そうたって、そうはいかないんだからね!」


『……侍女というのは、暗黒神様の護衛役を兼ねた立場となります。暗黒神様が本拠を移すとなれば、あなたとラミアだけは同行を許されることになりましょう』


「あ、そーなの? ……でもなー、みんなを置いて竜どものところになんて行きたくないなー」


 ナナ=ハーピィが、すがるように僕を見つめてきた。

 そちらに笑いかけてから、僕はルイ=レヴァナントの使い魔に向きなおる。


「だったらいっそのこと、魔獣と蛇神の全兵団ごと本拠を移せないのかな? 常々思っていたことだけど、人間の勢力に合わせて戦力を分散させるのは、非効率の極みだと思うんだよね」


『……それだけの魔族をひとつところに集めて統率する自信がおありなのでしょうか?』


 魔族は、種族ごとで対立している。ゆえに、身内同士で騒乱が起きぬように、各区域に兵団を分散させている、という話であったのだ。


「うーん。そんな自信があるわけじゃないけれど、避けては通れない道であるような気がするんだよね。そうやって目の届かないところで勝手な真似をさせておいたから、魔神族にも裏切られることになっちゃたんだろう? 魔族はまず、魔族同士で団結するべきなんじゃないのかなあ?」


『それにはまず、異なる種族をひとつところに集める必然性というものを構築するべきではないでしょうか? 西方区域を平定したならば、魔竜兵団を中央区域に招集する正当な理由が生まれるのです。さすれば、否応なく三つの兵団を統率する事態に至りましょう』


「うん? それじゃあルイも、各兵団を集結させることに異論があるわけじゃないのかな?」


『……本来であれば、このように戦力を分散させるのは愚の骨頂でありましょう。全兵団が集結すれば、中央区域を除くすべての区域を各個撃破することも難しくはないのです。しかし、これまでの我が君におきましては……非礼を承知で言わせていただきますと、全兵団を統率するお気持ちも気概も持たれてはおられぬご様子でありました』


 あくまでも冷淡な声音で、ルイ=レヴァナントの使い魔はそのように言いたてた。


『しかし、もしも我が君が全兵団の統率を視野に入れておられるのであれば……現在の状況は、またとない好機であるかのように思われます。西方区域を平定し、魔竜兵団を中央区域に招集できれば、王都の攻略に関しても大きな一手となりましょう』


「なるほど。まずは気位の高い魔竜族を手なずけられるかどうか、僕の器量が確かめられるというわけだね」


 僕は心から納得し、使い魔に向かって笑いかけてみせた。


「それじゃあちょっと、本気で西方区域に向かうことを検討してみようかな。ガルムとナーガを説得するのが、一番難しそうなところだけど――」


 そこで僕は、口をつぐむことになった。

 デイフォロスに張り巡らせた探知の結界に、おかしな気配が触れたのだ。


「あれ……? なんか、あんまり覚えのない気配を持つ魔族が、デイフォロスの領地に足を踏み入れたみたいだよ」


「ふーん? 魔竜族のやつが、出向いてきたとか?」


「いや、どうだろう。まだテューポーンがあっちに到着もしていないのに、魔竜族のほうから出向いてきたりするかなあ?」


 何にせよ、領地の外周は蛇神兵団が見張りを立てている。僕が感知をしているのだから、あちらはすでに目視できているはずだった。

 しばらくして、コカトリスからの念話が届けられてくる。


『暗黒神様。どうやら、とんでもないことが起きてしまったようよ。今すぐ、そちらに向かうわね』


 コカトリスの念話は、はっきりと緊迫していた。

 僕は表情を引き締めて、その場の2名と1匹を見回していく。


「何か非常事態らしいよ。コカトリスがこっちに来てくれるみたいだ」


 それからさほど待たされることなく、執務室の扉が開かれた。

 入室してきたのは、コカトリスと見慣れぬ魔族だ。その姿に、ナナ=ハーピィは「ふーん?」と眉をひそめた。


「誰かと思ったら、巨人族かー。ベルゼ様に、何の用事なのさ?」


 それは、褐色の肌をした幼い女の子であった。魔力の消費を抑えるために、このような姿を取っているのだろう。


「お、おひさしぶりでございます、暗黒神様……巨人兵団の副団長、ネフィリムでございます……突然の来訪をお許しいただきたく……」


「そんな挨拶はどうでもいいわよ。さっきの話が冗談でないのなら、とっとと暗黒神様に報告をなさい」


 コカトリスが、きつい口調でそのように言いつけた。

 その黄色い瞳は、敵を目前にしているかのように爛々と燃えている。ただそれは、巨人族への反感などではないように思えた。

 いっぽうネフィリムと名乗った巨人族の少女は、ぐったりと憔悴している様子である。兵団の副団長であれば上級の魔族であるはずだが、その小さな身体には下級ていどの魔力しか残されていなかった。


「どうしたんだい、ネフィリム? コカトリスの言う通り、挨拶は不要だよ。北方区域で何かあったのなら、報告しておくれよ」


 ネフィリムは、必死の面持ちで僕を見つめてきた。

 その黒い瞳に、透明の涙が盛り上がっていく。


「恐れ多きことながら……巨人兵団は、わたくしを残して全滅いたしました」


 僕は、言葉を失うことになった。

 僕の腕にからみついていたナナ=ハーピィは、「えーっ!」とけたたましい声を張り上げる。


「巨人どもが全滅って、どういうことさ! あんたたち、人魔なんかに全滅させられるぐらいウスノロだったの!?」


「人魔が相手ではございません……いえ、人魔もその中に含まれてはいたのですが……」


 無念に声を震わせながら、ネフィリムはそのように言葉を重ねた。


「魔神族と不死族が、人魔を率いて襲撃してきたのです……我々に、あらがうすべはございませんでした……ロキ団長も、あえなく生命を散らすことになり……わたくしは、団長の最後のご命令で、暗黒神様にこの危急を伝えるべく……」


 あとは、言葉にならなかった。

 ネフィリムの泣き声を聞きながら――僕たちは、それぞれこの悪夢のような報告を、心の中で反芻することになったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る