第12章 嵐の前
1 安息のひととき
王都に奇襲をかけた日の、翌日――ウィザーン公爵領の近辺に潜んでいた別動隊と合流した僕たちは、そこでひっそりと身を休めていた。
とはいえ休息が必要であったのは、鉱山を崩落させるために魔力を振り絞った面々のみである。ガルムとナーガ、ケルベロスとコカトリスの4名は、部下たちが持ち寄る獣の肉を食いあさりつつ、思い思いに身を休めていた。
「まったく、だらしないなー。団長たちがそんなんじゃ、他の連中に示しがつかないんじゃない?」
僕の右腕にからみついたナナ=ハーピィがそのように評すると、ガルムは常ならぬ弱々しさで「やかましいわい」と反論した。
「魔力を振り絞るのは愉快であったが、こうまで足腰が立たなくなろうとはな……200歳ばかりも老いぼれたような気分だわ」
「本当になー。肉をかじるのもかったるいぐらいだぜ」
ここは、ウィザーン公爵領の北側に位置する、樹海である。苔むした大樹にもたれかかってぐんにゃりと弛緩したガルムとケルベロスの姿は、痛々しくもあり、微笑ましくもあった。
そのすぐ近くでは、地面にはびこる蔓草をベッドにして、ナーガとコカトリスが寝そべっている。両名ともに、もっとも楽な格好――ナーガは下半身が黄金色の大蛇であり、コカトリスは半人半妖の姿である。こちらはけだるい表情で力なく横たわっている姿が、えもいわれぬほどに色っぽかった。
「確かにその身体では、肉を食べるのもひと苦労だろうね。今日の内にはデイフォロスに引き上げるつもりだから、そうしたらぞんぶんに麦酒や林檎酒を味わうといいよ」
僕がそのように語りかけると、コカトリスがちょっと幼げな感じに「ちぇっ……」と舌を鳴らした。
「あなたは本当に、半日ていどですっかり回復してしまったのね……まったく、力の差を思い知らされてしまうわ……」
「いやいや、僕もまだ7割ていどの回復具合だよ。やっぱりひと息に魔力を放出すると、なかなか回復が追いつかないみたいだね」
そうして僕は、心を込めて彼女たちをねぎらってみせた。
「みんなが力を尽くしてくれたから、王都に大きな打撃を与えることができたんだ。はっきり言ってこれは、デイフォロスを陥落させたのと同じぐらいの戦果だと思うよ。君たちみたいな仲間に恵まれて、僕は心から誇らしく思う」
「それは、ありがたき幸せ……」などと夢うつつの声で答えるや、ガルムはすぴすぴと寝息をたて始めた。凶悪なる外見とは裏腹に、ずいぶん可愛らしい寝息である。
するとそれに誘発されたのか、他の3名もまぶたを閉ざして寝入ってしまった。僕は内心で微笑みつつ、近くの樹木の枝にとまっていた銀色の小鳥へと呼びかける。
「それじゃあ、みんなをよろしくね。僕はあっちで、ケツァルコアトルたちと打ち合わせをしてくるからさ」
この小鳥は、魔獣兵団の勇士たる白銀の大鷲フレスベルグである。彼は魔力を抑えたいとき、半人半妖ではなくこのような姿を取るのだ。寡黙なフレスベルグは、まばたきをすることで了解の合図を送ってくれた。
僕は右腕にナナ=ハーピィをぶら下げたまま、木立の中に分け入っていく。ガルムらの安息を脅かさないように、他の団員たちは少し離れた場所に陣取っているのだ。
もちろん誰もが魔力を隠しているので、気配を感知することはできない。僕は視覚からの情報だけを頼りに、目的の場所まで歩を進めた。
「やあ、どうも。そちらはお変わりないようですね」
王女アンドレイナの一行は、小川の川辺で身を休めていた。そのそばに控えているのは、ファー・ジャルグとジェンヌ=ラミアとケツァルコアトルの3名だ。
「今、こちらのケツァルコアトルから王都の様子をうかがっていたところよ。あちらは大変な騒ぎであるようね」
「ええ。とっておきの鉱山を潰してさしあげたので、てんやわんやのようですね」
王都の近辺からはすべての団員を撤収させていたが、もともと人間の領地には監視用の使い魔が配備されているのだ。それらを駆使して、僕たちは王都の騒動を観察させていただいていた。
「ただし、昨晩王都に到着した4000名強の避難民たちは、そのまま魔術師たちによって検分が始められたようですね。鉱山を失って、人魔に使える魔力にはゆとりがなくなったはずなのに、彼らをすべて領民として迎え入れようというつもりなのでしょうか」
「それはきっと、そうなのでしょうね。鉱山を潰されたのなら、それを立て直すための人手が必要になるはずだもの。避難民たちは、全員が鉱夫に貶められてしまうのじゃないかしら」
「なるほど。どれだけ領民を増やそうとも、魔力が足りなければひとり当たりの割り振りも少なくなるはずですが……質より量で労働力を確保しようというつもりなのですね」
わざわざ椅子をこしらえるのも面倒であったので、僕は王女らの前にあぐらをかくことにした。
暗黒神としての本体であるこの甲冑姿は、王女たちにも昨晩からお披露目している。かつてのグラフィス子爵らと同様に、王女たちがさしたる恐怖心をかきたてられなかったのは幸いであった。
「ただ、最初に招き入れられた爵位を持つ貴族たちも、城から追い出された様子はないのですよね。鉱山を潰されても、彼らに魔力を割り振るゆとりぐらいはあったのでしょうか?」
「そう……ね。おそらく、あったのだと思うわ。つい最近、王の機嫌を損ねた男爵家の一族郎党が皆殺しにされていたもの」
不快そうに顔をしかめながら、王女はそのように言いたてた。
「でも、爵位を持たない貴族や騎士たちは、全員が鉱夫にされてしまうかもしれないわね。王が必要としているのは爵位を持つ当主だけだし、貴族の血族なんていないほうが都合がいいぐらいなのでしょうよ」
「そうですか。では、そこにもつけ入る隙が生まれるかもしれませんね」
貴族や騎士たちが鉱夫に貶められれば、その過酷な生活に大きな不満を抱くかもしれない。さすれば、デイフォロスで魔族の配下となったほうがマシだ――という心情に至るかもしれなかった。
「それじゃあ、今後の方針を伝えておこうかな」
と、僕はケツァルコアトルのほうに向きなおった。
「王都はしばらく鉱山の復興にかかりきりになるだろうから、僕たちはその間にウィザーン公爵領の攻略を進めようと思う。だから、王都に割り振る予定であった魔獣兵団の部隊も、こちらに合流させていただくよ」
「ふむ。まずは農奴の煽動に注力するのだな?」
「うん。ケルベロスとナナ=ハーピィを除く魔獣兵団の潜入捜査員にも合流してもらうよ。そっちの班長はパイアとサテュロスになるから、後で紹介する。それで、この地に居残る部隊は蛇神兵団の100名と魔獣兵団の100名で再編成して、残りの400名はいったんデイフォロスに引き上げさせてもらうつもりだ」
「了解した。魔獣兵団の部隊長は、誰がつとめるのであろうかな?」
「それは、フレスベルグにお願いするつもりだよ。ただ、ここからデイフォロスに戻るのにも彼の力が必要になるから、彼の合流は夜になるだろうね」
さしあたっては、以上であった。
ウィザーン公爵領の攻略は予定通りに進めつつ、僕たちはいったんデイフォロスに引き返して、新たな作戦を練る算段である。王都の内情を知るアンドレイナを迎え入れたことで、僕たちは戦略の幅を広げられるはずであった。
「西方区域では、魔竜兵団が目覚ましい成果をあげているらしいからさ。そっちとも連携が取れれば、また何か新しい手を進められるかもしれない。色々と騒がしくなりそうだね」
「きひひ。暗黒神様が目覚めてから、まだひと月も経ってないはずなのに、本当に毎日が騒がしいこったねえ」
ファー・ジャルグは赤い髪を揺らしながら、笑っていた。
ジェンヌ=ラミアは取りすました顔で僕の言葉を聞いており、ケツァルコアトルは武人のごとき凛々しいたたずまいである。それぞれ思うところはあろうが、小競り合いばかりであったというこの20年間に比べれば、僕たちは大きな躍進を果たしているはずであった。
「王女のおかげで、僕たちはいっそう有利に戦いを進められることでしょう。あなたのような人間が王都の城に存在したという事実を、僕は心からありがたく思っています」
「あなたは昨日から、そればかりね。まあ。わたしの存在が王政の打倒の一助になれるのなら、幸いの限りだけれど」
「ええ。ですが、王族であるあなたですら魔術師の正体を知らないというのは、いささか驚きでした」
僕は王女の記憶をあらかた走査済みであったので、その事実をすでにわきまえていた。
幼き王女は、ドレスに包まれた華奢な肩を「そうね」とすくめる。
「でも、魔術師の正体が魔物というのは、腑に落ちる話だわ。あいつらは最初から、人の心を持っていなかったということね」
「ええ。人間族と魔族の混血である、という可能性は残されていますけれどね。ただ、どうすればそのようなものを生み出せるのかは、僕たちにもさっぱりわかりません」
「ふうん……もしかしたら、それが『禁忌の盟約』というものに関わっているのかしら」
その言葉は、僕もすでに王女の記憶から読み取っていた。
人間の王は、およそ300年の昔に『禁忌の盟約』というものによって、人魔の術式を体得したのだという話であったのだ。
「当時の王、バルナバーシュⅢ世は、闇なる存在との『禁忌の盟約』によって、数々の魔術を体得することになった。……王家には、そのように伝えられているわ。その闇なる存在というのが魔族であったのなら、まあ辻褄は合うのじゃないかしらね」
「そうですね。魔神族の誰かが、そういう形で人間の王に魔術を伝授したと考えるのが、もっとも妥当であるようです。理由や目的は、さっぱりわかりませんけれども」
「ふうん? 魔神族というものが関わっているというのは、確かな話であるの?」
「確かとまでは言いませんが、魔術師の正体を目の当たりにした仲間たちは、そのほとんどが『魔神族のような気配であった』と証言しているのですよ」
僕自身はまだファー・ジャルグしか魔神族と相対していないので、その証言の信憑性をはかることはできない。ただ、ガルムやナーガやルイ=レヴァナントといった面々の証言を疑う理由は、これっぽっちも存在しなかった。
「そう考えると、魔神族が真っ先に人間の領地を平定できたというのも、うなずけます。彼らはいち早く魔術師の正体に気づき、その攻略法を解明することができたのかもしれませんね」
「……その魔神族というのは、人魔の術式を残したまま、東方区域の人間たちを支配したという話であるのよね?」
「ええ。僕はそのように聞いています」
「許されない話だわ。魔族と人魔が手を携えるだなんて……悪夢のような光景よ」
青い瞳に激情の炎を燃やしつつ、アンドレイナはそう言い捨てた。
「やっぱりわたくしにとっての希望はあなただけなのだわ、ベルゼビュート様。わたくしはあなたの配下として、この身の力を振り絞ると約束するから……どうか、この世界から人魔の術式というものを葬り去ってちょうだい」
「ええ。もとより、そのつもりですよ」
僕は、満ち足りた気持ちでそのように答えることができた。
まだ団員のみんなには明かせないが、僕にとっても彼女こそが希望の星であるのかもしれないのだ。
僕と彼女が正しい形で手を結ぶことができたら、魔族と人間族の共存共栄というものも果たせるかもしれない。新たな王権を確立したいという彼女の願いを退けつつ、僕は最初からそのように考えていたのだった。
(だけどそれには、彼女自身が力と誠実さを見せつける必要がある。……頑張ってくださいね、アンドレイナ王女)
そうしてその日は新たな異変が勃発することもなく、ゆるゆると時間が過ぎていくことになった。
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