4 闇を舞う影
その日の、夕刻である。
人間たちはそれぞれの家に帰り、僕たち魔族はデイフォロス城に集結することになった。
蛇神兵団の6割ていど、200名強の団員がウィザーン公爵領に出陣しているので、残る団員は500名ていどとなる。そのていどの数であれば、なんとか全員が城の中でくつろぐことができた。
その中で、主要メンバーを含む150名ていどは、かつて謁見の間であった大広間にて食事を楽しんでいる。人間たちに献上させた酒と、自分たちで収獲した獣の肉の晩餐だ。本日も予定がたてこんでいたので、肉には塩と胡椒と香草でささやかな味付けだけが施されていた。
『人間たちは、いよいよウィザーン公爵領なる場所に到着するようだ』
大広間に、念話の声が響きわたる。現地の声を全員で拝聴できるように、僕が術式のセッティングをしたのだ。大広間の団員たちは肉と酒を楽しみながら、興味深そうにその報告を聞いていた。
念話の主は、蛇神兵団の副団長たるケツァルコアトルである。
ナーガからの信任厚い、その人物――いや、魔物が、別働隊の指揮官に任命されたのだ。
男のような口調であるが、彼女も女性形の魔物であった。というか、蛇神族における男性というのは、リザードマンぐらいしか存在しないのだろうか。ケツァルコアトルもまた、身体のあちこちに羽毛や鱗を生やした、妖艶なる美女であった。
大広間の壁の一面には大きな帳が掛けられて、そこに黄昏刻の荒野の情景が映し出されている。これは、ケツァルコアトルがその目に収めている光景であった。
荒野の中を、黒い豆粒のようなものが一列となって蠢いている。
これが、デイフォロスを捨てた人々の姿であった。
おおよその人間は自分の足で歩いており、列の真ん中あたりに何台かの荷車とロバの姿が確認できる。10歳に満たない幼子は、その中に詰め込まれているのだ。僕たちが監視していると忠告したためか、その荷車が貴族らに奪われるような事態には至っていなかった。
「ケツァルコアトル、ウィザーン公爵領のほうにも目を向けてもらえるかしら?」
ナーガがそのように言いたてると、画面が前方に切り替わった。
人間たちの向かう先――ウィザーン公爵領である。
砂の色をした荒野の果てに、緑色の影が見える。農奴の管理する農園や果樹園だ。
そしてその先に、灰色の城壁と城塞の尖塔が見えていた。
やはり、デイフォロスやグラフィスとさほど変わりのない様相である。領地の規模も人間の数も、それぞれの公爵領に大きな差はないという話であったのだ。
「あちらに動きは見られないようだね。ウィザーンや王都の人間たちは、デイフォロスが陥落したことをまだ知らないのかな?」
僕の疑問に、ルイ=レヴァナントが「それは不明です」と答える。
「魔術師たちは魔術をもちいて、余所の領地とも連絡を取り合っていたかと推測されますが――戦の開始から終結までの時間を鑑みると、それほど詳しい内容を伝達する猶予はなかったのではないかと思われます」
「なるほど。でも、デイフォロスからの連絡が途絶えたなら、何か異変があったと察することはできるだろうね」
その割に、ウィザーン公爵領はひっそりと静まりかえっているように感じられた。
「とにかく用心を怠らないようにね、ケツァルコアトル。きっちりと身を隠して、まずは情報収集に専念してほしい」
『うむ。わきまえている』
スクリーンに映された情景が、ぐんと地面に近づいた。
『これより先は、こちらも徒歩で追跡する。もう半刻もせぬ内に、人間たちはウィザーン公爵領に到着するだろう』
ケツァルコアトルの本性は巨大なる翼を持つ蛇であり、その背に何名もの同胞を乗せているはずだった。
同じような能力を持つ何名かが運搬役を買って出て、200名の団員をその地に誘ったのだ。人間の足では2日がかりの道程でも、彼女たちにとっては数時間であった。
その中には、潜入捜査の精鋭たち――エキドナとラハムを班長とする8名も含まれている。彼女たちの任務は、かつてこのデイフォロスで果たしたのと同じように、農奴に離反をそそのかすことであった。
こちらの誘惑に賛同する農奴がいれば、速やかに結界の外へと連れ出して、ケツァルコアトルたちの護衛のもとに、このデイフォロスまで連れ帰る。それが、ウィザーン公爵領に対する第一手であった。
「……あの中に、グラフィス子爵も含まれているのよね」
と、硝子の酒杯に注がれた林檎酒を傾けていたコカトリスが、唇を吊り上げつつそのように言いたてた。
「あのぶくぶくと肥え太った身体で丸2日も歩かされて、さぞかしぶざまな姿をさらしていることでしょう。せっかくなら、それを酒の余興にしたかったわ」
『……人間族の個々に対して注意を向ける必要はないとの命令を下されている。命令の変更が生じたならば、ナーガ団長か暗黒神様の名においてそれを告げてもらいたい』
「あら、今のは詮無き独り言よ。任務の邪魔をしてしまって申し訳なかったわね、ケツァルコアトル」
『否。バジリスクの仇に心を乱されてしまうのは、同胞として当然のことであろうと思う』
「ふふん」と、コカトリスは小さく身をゆすった。照れているのを隠そうとしているような、ちょっと可愛らしい仕草だ。
『会話の最中にお邪魔するよ。先頭の連中はもう農園に到着しそうだから、わたいらもあの中にまぎれこむからね』
と、今度はエキドナの念話が割り込んできた。
「うん、よろしくお願いするよ、エキドナ。くれぐれも、慎重にね」
『ふん。今さら結界を壊すようなドジは踏まないよ』
地上に降りたケツァルコアトルの視線が、長くのびた列の最後尾へと向けられた。
どこからともなく出現した大小の影が、何くわぬ顔で行列に加わる。周囲の人々は疲弊しきっており、そちらに目を向ける気力も残されていない様子であった。
(よし。何も問題はなさそうだな)
1日やそこらで離反を決断する農奴は、そうそういないだろう。これからエキドナたちはウィザーン公爵領にの近辺に潜伏し、地道に作戦を進めていくことになる。今日のところは、ここまでのはずであった。
それから30分ていどが経過すると、最後尾のエキドナたちも農園に到着する。
いや、正確には農園のすぐ外側で待機を命じられた。そこには、町の兵士と数名の魔術師たちが待ちかまえていたのだ。
『へん。出たよ、蠅野郎が。……あいつらが人間をひとりずつ検分するようだったら、逃げるんだよね?』
「うん。そこまで用心はしていないと願いたいところだけど……今は、どんな感じかな?」
スクリーンに映し出されているのはケツァルコアトルの視界であるために、そこまでエキドナたちの動向は把握できないのだ。
しかし、エキドナの念話に動揺の気配はなかった。
『今日は農園の外で身を休めろとか言ってるね。こいつらをウィザーンと王都のどちらで受け入れるかは、人間の王におうかがいを立てるんだってよ』
「ふうん? 貴族たちも、野宿なのかな?」
『さてね。……あ、いや、爵位を持つ人間は進み出ろとか言い出したよ。そいつらは、城に連れていかれるみたいだね。……あーあ、爵位を持たない貴族どもが、ぎゃーぎゃー騒ぎ始めちまったよ』
その場に逃げのびた貴族は70名であるが、爵位を持つ人間はほんの数名である。デイフォロス公爵に、グラフィス子爵に、あとは子爵と男爵が数名ずつで、残りはそれらの家族であるのだった。
(貴族の家族と60名の騎士たちはほったらかしか。まあ、余所の領地に逃げのびた人間の扱いなんて、こんなもんなんだろうな)
しかしそれは、僕たちにとっての朗報であった。そういった人々が貴族や騎士としての資格を失って市民や農奴に貶められるのならば、不満の思いが高まることもあろう。そうして、やっぱりデイフォロスに居残るべきだったのではないか――と、叛心を育んでもらえたら幸いであった。
『これから、敷物や食事を配るってよ。やっぱりこの連中は、デイフォロスからこいつらが逃げてくることを察してたみたいだね』
「了解。とりあえず、エキドナたちも身を休めてくれ。夜が更けて、監視の目が厳しくないようだったら、農園への潜入をお願いするよ。でも、今日は無理する必要はないからね」
『はいはい。人間どもに囲まれて一夜を過ごすなんて、ぞっとしないけど――』
エキドナがそのように言いかけたとき、ケツァルコアトルが『失礼する』と念話をねじ込んできた。
『上空に、人魔を発見した。こちらは魔力を隠しているので視界も不明瞭だが、そちらにも伝わるだろうか?』
スクリーンが、紫色の天空を映し出している。
そこに舞い上がる、黒い無数の影――翼を持つ人魔の一団である。それも、相当な数であった。
『2000体――いや、3000体はいるやもしれん。そのおおよそは、中級人魔であるようだが……中央に、上級らしき姿も見て取れる。あれはおそらく、騎士の人魔であろう』
『こっちの兵士どもは、人間のままだよ。結界は壊れちゃいないみたいだね。ま、わたいらは結界の外に集められてるんだから、当たり前だけどさ』
「どうしていきなり、人魔が出陣したんだろう? ケツァルコアトルたちが気づかれたわけではないよね?」
『きゃつらが我々のもとに向かってくる気配はない。……人魔の数は、4000体ほどに増えたようだ。向かう方角は、南西であろう』
「南西というと、王都ジェルドラドの方角だね」
僕はルイ=レヴァナントに意見を求めるべく、そちらに視線を突きつけた。
ルイ=レヴァナントは黒い瞳に凍てついた輝きをたたえつつ、壁のスクリーンを見据えている。
「ケツァルコアトル、なんとかもう少し明瞭な画像をいただけませんでしょうか?」
『魔力を隠したまま目を凝らすのは難しいが……よかろう、しばし待て』
紫色の空と人魔のおぞましき影が、ぐっと彩度をあげたように感じられた。
人魔たちは、すでに南西へと進路を向けている。これだけ統率が取れているということは、魔術師も同行しているはずであった。
「ケツァルコアトル、群れの中央に視線をお向けください」
念話では答えぬまま、視線が動かされた。
ひときわ禍々しい姿をした人魔の輪郭が数体、確認できる。僕はまだお目にかかったことがない、騎士の人魔であろう。左右で大きさの異なる2本の角を生やしているようだ。
「上級人魔の下――中級人魔が、何か荷物を抱えているようです」
『うむ。確かに。……あれは、貴族の乗る車というものではないだろうか? ロバの姿は見えぬようだが』
「ならば、貴族が乗り込んでいると考えるのが相応でありましょう。デイフォロスの爵位を持つ貴族たちは、ウィザーン城ではなく王都へと運ばれるのではないでしょうか?」
「なるほど」と、僕はうなずいてみせた。
「人間たちは人魔の力で交易をしているって話だったもんね。人間を運ぶのに人魔の力を使うのも当然ってことか」
「はい。これで王都にも、デイフォロスの実情が伝わることになりましょう。……如何いたしますか、我が君よ?」
これは、こちらの誤算であった。難民たちが王都に到着するのは明日の夜、という計算であったのだ。
「こっちも動かざるを得ないだろうね。ケツァルコアトル、人魔を追跡することは可能かい?」
『魔力を隠したまま飛行できるのは、自分のみとなろう。迂闊に団員を同行させれば、人魔に魔力を感知される可能性が高い』
「それじゃあ、君だけでも追跡をお願いするよ。ウィザーンのほうは、他の団員に指揮を引き継いでくれ」
『了解した。指揮権は、メドゥーサに引き継がせる』
僕は立ち上がり、大広間の団員たちへと呼びかけた。
「1日早いけど、僕たちも出陣だ! このデイフォロスには100名のみが残留し、そちらの指揮官はオルトロス、副官はレヴァナントとする! 遠征部隊に配属されていた団員は、速やかに出陣の準備を始めてくれ!」
晩餐のさなかにあった魔物たちは、歓喜の形相で僕の命令に応じてくれた。彼らにとっては食事と同じぐらい、出陣が嬉しいものなのである。
かくして僕たちは、予定よりも1日早く、王都ジェルドラドに出陣する事態に至ったのだった。
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