3 それぞれの思い
ハンスたちとの対面を果たした後、僕たちは城外の町に繰り出すことになった。
町においても、今日は朝からさまざまな作業が為されている。そちらの名目上の指揮官は魔獣兵団長たるガルムであり、実際的な監督役を担っているのはルイ=レヴァナントの従僕たるリビングデッドのコンビであった。
「やあ、ガルム。作業は順調なようだね」
「おお、暗黒神様! いやいや、順調なのやらどうなのやら、俺などにはさっぱり見当もつきませんな!」
ガルムが待機していたのは、町の南区の広場であった。
そこにはどっさりと木箱が山積みにされており、さらに新たな木箱が人間たちの手によって運び込まれている。これらは、デイフォロスを捨てた市民たちの家から徴収された私財であった。
市民は、その半数がデイフォロスを捨てている。なおかつ、そういった人々には3日分の水と食料しか持ち出しを許さなかったので、家には私財がまるまる残されることになったのだ。
さしあたって、その私財の中から4点の物品が押収されることになった。
貨幣とそれに準ずる資産。食料、衣料、薬の類いである。
「食料やら服やら薬やらは、さきほど蛇どもが農園に持ち去っていきましたぞ。それでよろしかったのですな?」
「うん。さしあたっての、救援物資だね。農園では、食料も薬もろくに常備されていないという話だったからさ」
「まったく、おかしな話ですな! 農園の人間どもは、誰もが食事の材料をこしらえておったのでしょう? それでどうして自分たちが飢えに苦しまなくてはならんのか、さっぱり理解できませんわ!」
それこそが、これまでの人間社会の欺瞞である。農奴は貴族や市民たちのために働かされて、食うや食わずやの生活を強いられていたのだ。それは、もっとも人口の多い農奴に反抗されないための、非人間的な虐待に他ならなかった。
農奴あらため農民たちは、今日から農園の作業を再開させられている。その仕事にどれだけの対価を与えるかは本日の会議で定められることになるので、今日のところは十分な食料と休息を与えつつ、無理のない範囲で農園や牧場の維持につとめてもらっていた。
「ところで、リビングデッドたちはどうしているのかな?」
「あやつらは、あちこちをちょろちょろと動き回っているようですな。死人風情が俺の部下たちに命令を下すのは、なんともやるかたない思いですが……まあ、こればかりはしかたありますまい」
ガルムの返答は要領を得なかったので、僕はリビングデッドたちの主人たるルイ=レヴァナントに視線を差し向けた。けっきょくのところ、町の作業もリビングデッドを通してルイ=レヴァナントが取り仕切っているようなものであるのだ。
「……私の従僕には、区長たちから提出された名簿と地図をもちいて、作業を管理させております。さきほど入った念話によると、今日の内には全区域の作業を完了させられるはずとのことでありました」
「そっか。それじゃあ明日には、市民たちにも本来の仕事を再開してもらうことができそうだね」
そんな言葉を交わしている間にも、市民たる人々はロバと荷車を使って広場に私財を運び入れていた。
仕事に没頭することで、不安や恐怖をやわらげようとしているのであろうか。僕たちのほうに目を向けてこようとする人間は少なく、誰もが無言で仕事に従事している。
本来であれば、700名ていどの魔族が5000名の市民と10万名の農民を管理することなど、とうていかなわないはずだ。
しかし僕たちは、人間の記憶や思考を読み取る魔術をお披露目している。彼らが叛心を抱いたならば、それを包み隠すことはかなわないのだ。よって、このデイフォロスに居残ることを決めたのは、叛心を持たない従順な人間ばかりであるはずだった。
(恐怖で人心を縛るっていうのは、なんとも気が引けることだけど……こればかりは、しかたないからな)
スタートは、恐怖政治でかまわない。重要なのは、その政治の中身であるのだ。魔族に対する恐怖心を原動力として、人間にとって住みよい社会を再構築してもらえれば、僕としては本望であった。
「……おや、蛇どもの首魁めがこちらに向かってきたようですな」
と、ガルムが眉をひそめながら頭上を仰ぎ見た。
空中から飛来した黄金色の輝きが、僕たちの目の前にふわりと降り立つ。それを目にしてしまった市民たちは、こらえかねたように驚嘆の声をあげていた。
「やあ、ナーガ。……ずいぶん珍しい格好をしているね」
「ふん。本来の姿だと人間どもがいちいち怯えてしかたないので、やむなくこのような姿をしているのですわ」
いつでもどこでも巨大な蛇の下半身をしていたナーガが、本日は人間の姿に化けていたのだった。
豪奢な金髪と、それに負けない黄金色の瞳を持つ、絶世の美女である。背丈は170センチ以上もあり、ぬめるように白い肢体には露出の多い長衣を纏っている。さすがは蛇神兵団の長だけあって、圧倒的なまでの妖艶さと迫力であった。
「べつだん、念話でもかまわなかったのですけれどね。暗黒神様が町まで出てきたのを感知したので、報告がてらご挨拶に出向いてきたのですわ」
そんな風に言いながら、ナーガは横目でガルムをねめつけた。
それを見返すガルムは、「ふん!」と鼻に皺を寄せている。力をあわせて大きな戦を勝ち抜いたというのに、蛇神族と魔獣族の関係性は相変わらずであったのだった。
「わざわざありがとう。それで、報告というのは何についてかな?」
「この地を捨てた人間どもについてですわ。人間どもは砂漠地帯を踏み越えて、夜にはウィザーンという地に到着するようよ」
この地を捨てた人々は、使い魔で動向を監視していたのだ。しかし、僕とルイ=レヴァナントは領内の把握で手一杯であったので、その仕事は蛇神兵団に一任していたのだった。
「そうか。こちらの想定通りだね。こちらも担当の団員に動いてもらおうか」
「おお、いよいよ出陣ですな!」とガルムがいきりたつと、ナーガはまた冷ややかな眼差しでそちらをねめつけた。
「その役割は、蛇神兵団に任されていたはずよ。ずいぶんとお粗末な記憶能力であるようね」
「やかましいわ! ……暗黒神様、本当に蛇どもだけでよろしいのでしょうかな? 我々とて、手は余っておりますぞ?」
「本番は、明日だからね。それまでは蛇神兵団におまかせして、英気を養っておいておくれよ」
人間の足ならば、今日の夜にウィザーン公爵領、明日の夜には王都ジェルドラドに到着する、という見込みであったのだ。なおかつ、貴族たちの大半は王都を目指すつもりであるということを、僕たちは記憶走査の術式で把握していた。
「デイフォロスが陥落したことを知れば、王都の連中が動きを見せるかもしれないからね。その動き次第では、いきなり全面戦争に突入するかもしれないんだ。何も功を焦る必要はないと思うよ」
「ふふん。人間の王というのは、何本の角を生やしておるのでしょうかな! まったく、楽しみなところですわ!」
ガルムはナーガとの悶着も忘れた様子で、野獣のように笑みを浮かべた。
ナーガはナーガで黄金色の瞳を妖しく燃やしながら、「ふふん」と微笑む。
「それじゃあ、こちらは出陣の準備を進めますわ。エキドナは、城でくつろいでいるのかしら?」
「うん。潜入捜査の役目を控えている団員たちは、みんな城で休息を取ってもらっているよ。エキドナは、ケルベロスと一緒にいるはずだね」
ナーガは「了解しましたわ」と、きびすを返す。
「せっかくだから、城の様子も覗いておこうかしら。それじゃあ失礼しますわね、暗黒神様」
「うん、よろしくね。……あ、ちょっと待って! ナーガに聞いておきたいことがあったんだった」
僕は他のメンバーをその場に残し、ナーガとふたりで広場の片隅に移動した。
「あのさ、僕の侍女をつとめているラミアについてなんだけど……彼女から、何か聞いてないかな?」
「ラミアから? そういえば、姿が見えないようですわね」
「うん。彼女も城で休息してるんだけど……どうも先日の祝宴ぐらいから、彼女の態度が素っ気ないんだよね。今日も同行を願ってこなかったしさ」
ナーガは形のいい眉をけげんそうにひそめた。
「よくわかりませんわね。それが不服なのでしたら、然るべき罰を下すだけでしょう?」
「いや、不服なわけじゃないんだけど、彼女がどうして僕に素っ気なくなったのか、その理由がわからないんだよ」
ナーガはくびれた腰に手をやると、いささか不遜な目つきで僕を見下ろしてきた。
「やっぱり、わかりませんわね。侍女の役割というのは、戦時の護衛と夜の伽でしょう? それ以外に、あなたは何を求めてらっしゃるのかしら?」
「いや、ハーピィはああやって自分から僕に付き従ってくれているだろう? 少し前までは、ラミアもそういう感じだったんだけど、急に素っ気なくなっちゃったんだよね」
ナーガの口もとに、妖艶なる微笑がたたえられた。
なんというか、視線で魂をひと舐めされたような心地である。魔性の色香とでも呼びたくなるような気配が、彼女の肢体から発散され始めていた。
「それじゃあ、こちらからもおうかがいするけれど……あなたはラミアに伽を申しつけているのかしら、暗黒神様?」
「え? いや、ここ最近は、まったくだね。どうにもそういう気分になれなくてさ」
「そうでしょうねえ。わたしだって、ここ最近はほったらかしであったもの。……再生の儀を終えて以来、あなたは情欲というものを失ってしまったようですわね、暗黒神様」
僕は「ええ!?」と、飛び上がることになった。
「ちょ、ちょっと待ってね。以前の暗黒神というのは……君にも伽を申しつけていたのかい?」
「あら、わたしでは色香不足だとでもいうのかしら?」
「いや、色香は十分すぎるぐらいだけど……でも、君は蛇神兵団の団長じゃないか」
「それが、伽を申しつけない理由になるのかしら? お前を侍女にできないのは残念だと、これまでは肌を重ねるたびに言ってくれていたのにねえ」
ナーガはいよいよ妖しく微笑みながら、僕に顔を寄せてくる。
そちらから放出される濃密なるフェロモンに、僕はむせ返るような心地であった。もしも男性の義體を纏っていたならば、それだけで肉体のほうが反応してしまいそうなところである。
「でも、侍女というのは戦時に暗黒神様の魔力を譲渡される役割だったから、下級の団員が受け持つ習わしになっているのですわ。上級の魔物が魔力を譲渡されたって、能力の飛躍は見込めませんものね。下級の魔物を上級の魔物に仕立てあげるのが、譲渡の術式の本領であるのですわ」
「あ、ああ、なるほど。それで、ラミアのことなんだけど……」
「ラミアは、自分の仕事を果たそうとしているだけなのじゃないかしら」
ナーガはくつくつと笑いながら、身を引いた。
その肢体から撒き散らされていた色香やフェロモンが、速やかに収束されていく。僕はほっと安堵の息をつくことになった。
「さきほども言った通り、侍女の役割は戦時の護衛と夜の伽ですもの。あなたが伽を申しつけないなら、戦でお役に立てばいい……とでも考えているのじゃないかしらね」
「うーん……それはつまり、僕が伽を申しつけないから、機嫌を損ねてしまったということなのかな?」
「侍女風情の機嫌をうかがう必要はありませんわ。あなたは、わたしたちの君主なのですから」
と――ナーガの瞳に、これまでと異なる光がたたえられた。
どういう感情を抱いているのかはわからないが、彼女が普段は見せることのない、とてもやわらかな眼差しだ。
「あなたは本当に変わってしまったものね、暗黒神様。……でも、それで忠誠心をかきたてられることになった団員も少なくはないでしょうから……何も心配する必要はないように思いますわ」
もしかしたら、それはコカトリスのことを言っているのだろうか。
ナーガの眼差しは、彼女が時おり見せる優しげな眼差しに少し似ているようにも感じられた。
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