4 聖堂の秘密

「やあ、ルイ。どんな調子かな?」


 僕がその部屋に足を踏み入れると、ルイ=レヴァナントの凍てついた眼光に出迎えられることになった。


 ここはデイフォロス城の東の棟に設えられた、聖堂である。魔術師たちの根城であったこの場所に、何か有益な情報は残されていないものか、ルイ=レヴァナントとふたりの従者たちが探索の任務についていたのである。


「まだ手傷も回復しきっていないのに、申し訳ないね。進捗具合はどんなものだろう?」


「…………」


「どうしたんだい? 傷が痛むのかな?」


「いえ。……ただ、余人の目のあるところで固有名を呼ぶことはご容赦願いたいと申し出ていたはずですが」


 僕はその手にナナ=ハーピィを抱いたまま、うっかり彼を固有名で呼んでしまったのだ。

 僕が謝罪の言葉を口にするより早く、ナナ=ハーピィは「ふーん?」と小首を傾げる。


「あんたにも、固有名なんてあったんだね。けっこう可愛らしい名前じゃん」


「…………」


「ま、いいんじゃない? ねえねえ、だったらこいつの前でも、あたしを固有名で呼んでくれるんでしょ?」


 と、ナナ=ハーピィは無邪気に笑いながら、僕に頭をすりつけてくる。ルイ=レヴァナントには申し訳なかったが、僕としても、そうさせていただければ幸いであった。


「悪かったね、ルイ。他の団員たちの前では気をつけるから、勘弁しておくれよ。……で、進捗具合はどうなのかな?」


「芳しくありません。魔術師たちは、あらかじめ自らの死というものを想定していたようです」


 ルイ=レヴァナントが視線を送ると、リビングデッドの少年が卓の上から1冊の書物を取り上げた。


「この部屋には、たくさんの書物が存在するのですが……すべて、このような有り様となっております」


 少年が書物を広げると、そこにはべったりと赤黒い滲みが広がっていた。


「おそらく、魔術師たちの死と連動して、文字が溶け崩れる術式がかけられていたのでしょう。この書に何が記されていたのか、判読するすべはないようです」


「そうか。まあ、彼らがとてつもない秘密を抱え込んでいるというのは、確実であるだろうからね」


 僕は溜め息をつきながら、部屋の中を見回してみた。

 石造りの壁は巨大な書架と戸棚に埋め尽くされており、たくさんの書物や木箱などが詰め込まれている。現在は、その木箱の中身を3名がかりで改めているさなかであるようだった。


「何せ彼らは、人魔じゃなく魔物に化けたんだ。あれが彼らの本性だとすると……これは、どういうことになるんだろう?」


「仮説を組み立てるには、まだ材料が足りていないように存じます。ただ……暗黒神様は、魔術師の身に刻まれた紋様をお目にされたでしょうか?」


「うん、頭の部分だけ、少しね。手の甲と同じような紋章がびっしりと刻まれていたね」


「はい。おそらくあれは、封じの刻印であったのでしょう。魔物としての正体を隠すための、封印となります。あれもまた、人間としての死と連動して解除される術式であったのではないでしょうか」


 確かに彼らは、自らの心臓に短剣を突き立てることによって、蠅の魔物に変じてみせたのだ。文字通り、生命を懸けた封印であったわけである。


「うーん、わからないな。彼らが人間として生を受けたことに、間違いはないはずなんだよね。城からだけではなく町からも、魔術師としての資質を持つ赤ん坊が引き取られていたっていう話なんだからさ。そうやって人間として生まれた赤ん坊が魔物として成長するなんてことがありえるのかな?」


「通常は、考えられません。また、あれらはれっきとした魔物でありながら、どこか人間めいた気配も残していたように思います」


「ああ、そうだよね。僕も、人間と魔物の混血なんじゃないかって感じたんだ。でも、それもありえない話だよね」


 ルイ=レヴァナントは、冷徹な面持ちで口をつぐんだ。

 その沈黙に、僕は「あれ?」と首を傾げてみせる。


「それは、ありえない話じゃないのかな? 人間と魔物の間に子を生すことは可能なのかい?」


「いえ。人間と魔物がまぐわって子を生したという例はありません。それが可能であるのなら、人間の領地には暗黒神様のお子が多数誕生していたことでしょう」


 以前の暗黒神は、義體で人間に成りすまして、人間の女性を襲っていたという話なのである。僕は首をすくめつつナナ=ハーピィの表情をうかがってみたが、彼女は気分を害した様子もなくルイ=レヴァナントの言葉を聞いていた。


「しかし、それが何らかの術式であるのなら……可能性は、あるのやもしれません。魔族の種子を人間の母体に植えつけるという、おぞましき術式です」


「そんな術式が、存在するのかな?」


「寡聞にして、私は存じあげません。ただ、魔術師の変じたあの魔物は……魔神族の気配を有していたように感じます」


「魔神族の?」と、僕は内心で目を丸くすることになった。もちろん髑髏の兜は、無表情のままであろう。


「ちょ、ちょっと待ってね。それじゃあ魔術師を魔物に変じさせたのは、魔神族だっていうのかい? でも、魔神族が裏切る前から、魔術師というのは存在したんだろう?」


「はい。人間族が叛旗を翻したのは250年の昔であり、魔神族が叛旗を翻したのは、わずか10年前となります」


「そんな大昔から魔神族が人間に肩入れしてたとは考えにくいよね。ていうか、10年前までは魔神族も人間たちと戦っていたんだろう?」


「はい。暗黒神様を打倒するために、魔神族が人間族に助力をするというのは、ありえない話ではないかもしれませんが……240年も機をうかがうというのは、ありえないかと思われます。その期間に、魔神族も人魔との戦いによって、多くの同胞を失っているはずです」


 それは、その通りであるのだろう。

 ただ僕は、そこでひとつの疑念に突き当たることになった。


「そういえばさ、魔神族は東の領土を平定したって話だったよね。東の領土の人間たちは、全滅の憂き目にあってしまったのかな?」


「いえ。そちらの人間族は、魔神族の支配下にあります。人間族は人魔の術式を失わないまま、魔神族に屈服したのです」


「それじゃあ、東の領地の人魔たちも、まるまる魔神族の戦力ってことかい? それは……なかなかに剣呑な事態だね」


「うふふ。そうじゃなかったら、ベルゼ様はとっくに魔神族を滅ぼしてたでしょ? 魔神族は数が多いけど、ベルゼ様にはあたしたちがいるんだからさ!」


 それは確かに、魔獣兵団と蛇神兵団を自由に運用できるなら、いくらでも有利に戦えるはずであろう。それに、東を除く三方には、竜神と不死と巨人の兵団も控えているのだ。

 しかし、魔神族が東の領土の人魔を支配下に置いているというのなら、話は別である。それを簡単に制圧できるのなら、この中央区域の領地だってとっくに制圧できているはずだった。


「それじゃあやっぱり、まずは計画通りに人間族の制圧を目指すべきだろうね。中央区域だけじゃなく、東以外のすべての区域を制圧して、全軍で魔神族を討伐するんだ」


「……そうであるからこそ、暗黒神様もこのような計画を立案したのではないでしょうか?」


「いや、中央区域の制圧に目が向いていたから、魔神族のほうにはあまり頭がいってなかったんだよ」


 僕はまた、内心で苦笑してみせた。


「まあ、まずは一歩ずつ進んでいかないとね。まずはこの中央区域の制圧だ。そのために、魔術師の抱える秘密を解明したかったんだけど……この聖堂に、手掛かりはなしか」


「貴族たちの取り調べに関しては、如何いたしましょう?」


「ああ、彼らの記憶を探らせてもらわないとね。蛇神族にはそういう術式を得意にする団員が多いっていう話だから、ナーガやコカトリスと打ち合わせをしないと……うーん、やることが山積みだなあ」


「ねえねえ、戦勝の祝宴はー? ガルム団長とか、騒ぎたくってウズウズしてるんじゃない?」


「ああ、うん。今のところは、ガルムも戦いの余韻にひたってるみたいだけど、そっちのほうも考えなくっちゃね。とりあえず、明日の朝に人間たちの処遇を定めて……夜には、落ち着けるのかなあ」


 現在は、誰もが事後処理で慌ただしくしている。これだけ大きな仕事を果たしたのだから、団員たちにも褒美は必要であろう。さらなる戦いに向けて、彼らには英気を養ってもらわなくてはならないのだ。


(中央区域を制圧できたら、北と南と西の制圧。それで最後に、東の領土と魔神族の制圧か。……まだまだ道は果てしないな)


 しかし、僕の寿命が100年であるならば、その間に大きく前進することは可能であろう。

 僕は、僕が正しいと思える道を、大事な同胞たちとともに歩んでいく所存であった。

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