6 魔術師の正体
言葉を失う僕の前で、魔術師たちは醜い魔物へと変貌していった。
醜い――と称するのが妥当であっただろう。暗黒神として700名の魔物たちを統率していた僕であっても、これほど醜い魔物と相対するのは初めてのことであった。
その顔貌は、おぞましい昆虫のそれへと変じている。
大きく膨れ上がった複眼に、髭のようにのびた触覚、人間や獣とはあまりに形状の異なる細長い口に、頬や脳天にびっしりと生えた繊毛――それは、人間と同じぐらいの大きさを有する、蠅の頭部に他ならなかった。
背中には透明の羽が生え、脇腹からは中足が生えのびる。それらの足にもうじゃうじゃと半透明の繊毛が生えて、足の先には鉤爪が出現した。
何が一番おぞましいかというと、彼らはそのような姿に成り果てながら、フードつきマントを纏ったままであった。
もちろん羽や中足は、マントの生地を突き破って露出されている。が、彼らは人魔のように肥大化はしていなかったので、胴体のサイズはさほど変わっていなかったのだ。
人間の大きさをした蠅が、人間の衣服を纏って、立ち並んでいる。その姿は、悪夢のように滑稽であり、そして薄気味が悪かった。
「おいおい、何だよこりゃ。人魔じゃなくって、こいつは魔物そのものじゃねーかよ」
壇の下から、ケルベロスの皮肉っぽい声が聞こえてくる。
もちろん僕は、そちらの異変も感知していた。ケルベロスの魔術で火だるまにされた魔術師も生き永らえており、彼も蠅の魔物へと変じていたのだ。
(これは、どういうことなんだ。ケルベロスの言う通り、これは魔物そのものの気配だ)
人魔は、魔物に酷似した存在である。しかし、魔物に似てはいても、魔物そのものではない。その身に宿された魔力は術式によって人為的に変質させられているため、わずかに性質が異なるのである。
だから僕たちが、魔物と人魔を見誤ることはない。
然して――目の前のこの存在は、明らかに魔物であったのだった。
(ただ……人間としての気配も、ほんの少しだけ残されている。そんなものが存在するのかはわからないけれど、魔物と人間の混血っていうのが、一番しっくりくる気配だ)
しかし、そのようなものが存在するのだろうか。
しかも彼らは、明白に上級の魔力を備えていた。グラフィス子爵やデイフォロス公爵にも劣らない――下手をしたら、ケルベロスやエキドナに匹敵するほどの魔力であった。
『ケルベロス、エキドナ。そっちの1体は、君たちふたりに任せても大丈夫かい?』
『ああん? こんな近場で、何を念話なんざ飛ばしてやがるんだよ』
『こいつらに、行動を悟られたくなかったんだ。僕は、こっちの3体を相手取るので精一杯かもしれない』
『へん! たった1匹ぐらい、なんとかしてみせるよ! わたいがもっと元気だったら、こんな犬っころの手を借りる必要もなかったのにね!』
そう、ケルベロスとエキドナは、すでに疲弊し果てているのだ。その身には、もう普段の半分以下の魔力しか残されていないはずだった。
いっぽう僕も、十全の状態とは言い難い。いかに暗黒神の卓越した回復力でも、7割ていどがせいぜいであった。
(でも、ナナを守るのに不自由はないからな)
僕は再び胸甲を開いて、ナナ=ハーピィの身体を体内に取り込んだ。
これで、僕が死なない限りは、ナナ=ハーピィを危険にさらすことはない。できればエキドナからジェンヌ=ラミアの身も預かりたいところであったが、さすがに目の前の魔術師たちがそれを許してくれそうになかった。
魔術師たちは、てらてらと照り輝く複眼で僕を見つめている。
何の感情も感じられない、無機質な眼差しだ。彼らは本当に、虫そのもののように虚ろで、ただひたすらに莫大な量の魔力を発散させていた。
『みんなのほうは、大丈夫かい?』
僕は、同じ存在と相対しているはずの部隊長たちにも念話を送ってみた。
返ってきたのは、ルイ=レヴァナントの念話だ。
『現在、蠅の魔物と化した魔術師たちと、交戦中です。……敵は途方もなく素早いため、団長らも苦戦を強いられています』
『ルイは、大丈夫かい? なんだか念話が力ないように感じられるよ』
『……私は不覚を取り、最前線から退いています。生命に別条はありません』
ルイ=レヴァナントは得難い才覚を有しているが、魔族としては中級であるのだ。このおぞましい蠅の魔物たちに、あらがうすべはなかっただろう。
そして、他の部隊長たちからは返事もない。誰もが念話を飛ばすゆとりもないほどの戦いに身を投じているのだ。あちらとて、100名の騎士と1万名の市民を相手取った直後であるのだから、存分に疲弊しているはずであった。
(……デイフォロス公爵領を攻略するための、これが最後の関門ってことだな)
僕は、雷撃の術式を発動するべく意識を集中した。
その瞬間に、鋭い痛みが右肩を走り抜けた。
何が起きたのかもわからないままに身構えると、左腕と右足にも同様の痛みが走り抜ける。
気づくと、魔物の気配が上空に転じていた。
目の前にいたはずの魔術師たちが、僕の肉体を傷つけた上で、その位置に飛来したのだ。
(これが、途方もない素早さってやつか)
7割ていどの回復具合とはいえ、僕は眼前の敵に神経を研ぎ澄ましていた。そんな暗黒神の感知能力を凌駕できるぐらいの素早さであるのだ。
(大した手傷ではないけど、これは厄介だぞ)
僕は、背中に翼を生やした。
残存する魔力では、戦闘フォームを取る意義も薄いのだ。70パーセントの魔力しか扱えないのなら、この通常フォームの姿でも支障はない。空中戦を有利に進めるために、翼を生やしておけば十分であろう。
蠅の魔物と化した魔術師たちは、天井の近くまで浮きあがって、そこでホバリングしている。
透明の巨大な羽をびりびりと震わせているのが、蠅そのものだ。やはり、悪夢のように不吉な姿であった。
(相手の身を案じているゆとりはない。殺すつもりで、仕留めるんだ)
僕は背中の翼を使って、魔術師の1体へと飛びかかった。
そのとき、おかしな感覚が体内を駆け巡った。
魔力が制御を失って、僕の頭を攪乱させる。
結果、狙いを定めた魔術師に悠々と逃げられた僕は、物凄い勢いで天井に激突することになった。
僕は呆然となりながら、なすすべもなく石造りの床に墜落する。魔術師たちは、僕を嘲るようにぶんぶんと虚空を飛び回った。
(これは……もしかしたら、毒か? 最初の攻撃で、毒を撃ち込まれたのか?)
甲冑である肉体に毒が有効なのかと考えるのは、野暮であろう。魔力が介在すれば、どのような理不尽でもまかり通るのだ。
そんなことを考えている間にも、僕の意識は散漫になっていく。もはや、遠からぬ場所で死闘を繰り広げているケルベロスたちの様子も認識できなくなっていた。
(痛くも苦しくも何ともない。ただ、魔力のコントロールが覚束ないんだ)
しかしそれは、魔物同士の戦いにおいて致命的な事柄であった。
このような状態で、3体もの上級の魔物を相手取ることはかなわないのだ。
(魔物になっても、魔術師は搦め手が得意なんだな。それなら、こっちだって――)
僕はぼやけそうになる意識を引き締めて、ひとつの術式を発動させた。
亜空間を開いて、義體を現出させる。お召し替えの術式である。
僕は、恰幅のいい壮年の男性へと変じた。
思惑は的中し、魔力のコントロールに不備はない。毒は、甲冑の本体に残されたのだ。
僕はその姿で、可能な限りの魔力を振り絞った。
同時に、義體の表皮がどろりと溶け崩れる。戦うことを前提としていないこの義體は、せいぜい暗黒神の有する50パーセントの魔力ぐらいしか許容することがかなわないのだ。
表皮に続いて肉や内臓までもがとろけていくのを知覚しながら、僕は地を蹴って跳躍した。
ホバリングしていた魔術師たちが、散開する。そのうちの一体に、僕は雷撃を叩きつけた。
まともに雷撃をくらった魔術師は、黒い塵と化しながら地に落ちていく。
そのとき、ものすごい衝撃が僕の背中に炸裂した。
他の魔術師が、その鉤爪で僕の背中を引き裂いたのだ。
もともと崩落のさなかにあった義體は、とろけたチーズのように爆散する。
それと同時に、僕は若い男性の義體に着替えを済ませていた。
空中で身をよじり、さきほどの義體を破壊してくれた魔術師に、雷撃をあびせかける。
こちらの魔力が不十分であったため、その雷撃は魔術師の下半身を吹き飛ばすに留まった。
その間に、横合いから飛びかかってきた別の魔術師が、僕の脇腹を鉤爪でえぐる。
再びの、毒の攻撃だ。僕は意識を乱される前に、新たな義體に乗り換えた。今度は、10歳ぐらいの女の子の義體だ。
石造りの床に降り立った僕は、あらためて魔力を練り上げた。
可愛らしい女の子の義體が、すぐに熱された蝋人形のように溶け崩れてしまう。我ながら、悪趣味きわまりない戦法であった。
しかし僕は、石にかじりついてでも勝ち抜かなくてならなかったのだ。
下半身を失って、持ち前の俊敏さを失った魔術師に、雷撃を放つ。
黄金色の雷撃に包まれて、その魔術師も塵と化した。
「さあ、あとは君ひとりだ。やっぱり投降する気にはなれないのかな?」
最後に残された魔術師は、凄まじいスピードでジグザグの軌跡を描きながら、僕に突撃してきた。やはりどうあっても、降伏することはできないらしい。
それを十分に引きつけてから、僕は新たな義體に着替えた。
もともと僕は今回の作戦のために、コンマ1秒でも迅速に義體から本体へと移り変わる修練を積んでいたのだ。それがなかったら、この魔術師たちの前に屈していたかもしれなかった。
魔術師の鉤爪が、女の子の義體の頭部を吹き飛ばす。
しかしその頃には、僕は少年の義體に着替えを済ませていた。
目の前を通りすぎていく魔術師の背中に向けて、僕は最後の雷撃を放出する。
魔術師は絶命し、僕の義體も溶け崩れた。
勝利の余韻を味わうより早く、僕は甲冑の本体を呼び戻す。魔術師が全滅したために、彼らの施した毒の術式も消失していた。
甲冑の内部では、ナナ=ハーピィは変わらずに安らかな寝息をたてている。
僕は、心から安堵することができた。
僕はこの手で3名もの魔術師を殺めてしまったが――後悔することは、まったくなかった。これも暗黒神の持つ強靭さであったのか、僕は自分の大事なものを守るためであるならば、どこまでも非情になりきれるようだった。
(僕は、自分が正しいと思える道を進むと決めたんだ。汚れ仕事から逃げるつもりはない)
そんな風に考えながら、僕が下界に目を向けると、そこには右側の頭を叩き潰されたケルベロスと、全身に裂傷を負ったエキドナが身を寄せ合うようにしてへたり込んでいた。
「ふたりとも、大丈夫かい?」
僕が壇の下まで降りていくと、ケルベロスの左側の頭が振り返ってきた。真ん中の頭は、柘榴のように弾けた右側の頭を懸命にぺろぺろと舐めている。
「これが大丈夫に見えるってんなら、あんたは頭がどうかしてるんだよ。くそっ、まるまる太った牛を10頭ばかりは喰らってやらねーと、こっちの頭は回復しねーだろうな」
「だったらわたいには、10樽ぐらいの林檎酒を準備してもらいたいもんだね。あんたの分まで、毒をくらうことになったんだからさ」
どうやらエキドナが盾となり、ケルベロスが攻撃に専念するという戦法で、彼らは魔術師を退けたようだった。
「本当にご苦労様。このデイフォロスには、有り余るほどの肉や酒が存在するはずだよ。……ところで、ラミアはどこに行ったのかな?」
「あー、あいつは壁際にぶん投げといたよ。あんなお荷物を抱えてどうにかできる状況じゃなかったからね」
エキドナの言う通り、ラミアは壁際でしどけなく倒れ伏していた。まだ譲渡の術式の影響で、昏睡したままである。
僕がその肢体を抱きあげたとき、頭の中にガルムの念話が響きわたった。
『魔術師どもも、掃討しましたぞ! いやあ、20年ぶりの大賑わいでしたわ!』
その念話は、僕が思わず笑ってしまうぐらい、豪放磊落な響きを帯びていた。
そうして僕たちは、ついにデイフォロス公爵領を制圧せしめたのだった
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