4 死闘の坩堝

 100体もの人魔との戦いは、壮絶の一言に尽きた。

 この場の人魔はすべてが貴族であり、すべてが上級の力を持っているのだ。個の力としてはケルベロスたちのほうが勝っていたが、弱卒と呼べるような存在はひとりとして存在しなかった。


 また、その姿からして、上級の人魔は恐ろしげである。表皮の色はヘドロのような暗緑色か暗青色で 誰もが鋭い牙と爪を有しており、翼を生やしている個体も少なくはない。豚のような顔をしたやつや、牛のような顔をしたやつや、山羊のような顔をしたやつや――顔貌の作りはさまざまであったが、その頭部には必ず2本かそれ以上の角が生えのびていた。


 それに、この城には100名ばかりの貴族たちばかりでなく、200名からの従者というものも存在した。時間が経てば経つほどに、そういったものどもも大広間になだれ込んできて、猛威をふるい始めたのだった。

 貴族に比べれば弱小とはいえ、そちらもれっきとした上級人魔だ。額に1本だけ角を生やしたそちらの人魔たちは、おおよそがゴブリンやコボルトのような姿をしており、獣のように暴れ狂っていた。


 空中ではナナ=ハーピィとエキドナが、地上ではジェンヌ=ラミアとケルベロスが、そんな人魔どもを懸命に相手取っている。そちらの魔力も凄まじいばかりであったが、しかし、多勢に無勢である。どうあがいても、先に力が尽きるのはこちらのはずであった。


 で――もちろん僕も、呑気に観戦をしていたわけではない。

 僕は壇上に留まって、魔術師の生み出した障壁を破壊するべく魔力を振るっていたのだが、どうにも上手くいかないのである。


(この障壁は……僕の魔力を呑み込んでいるのか?)


 魔術師たちは座具の裏側に寄り集まり、天高く杖を掲げている。その先端部を頂点として、青白い光のピラミッドめいた障壁が張り巡らされていた。

 そこに魔力を叩きつけても、光の表面をするすると滑ってダメージを与えることができない。そして、ピラミッドの底辺まで誘導された魔力は、そのまま障壁の養分とされてしまうようだった。


「その魔力……貴様は、暗黒神であるな」


 やがて障壁の向こうから、魔術師のひとりが陰気な声を届けてきた。


「貴様の魔力は強大無比であるが、我々の術式を打ち破ることはできまい。すべての魔力を使い果たして、干からびるがいい」


 そのように挑発されても、僕にはなかなか有効な手立てを思いつくことができなかった。魔力をぶつければぶつけるほど、相手の障壁はより強固になっていくのだ。このような術式が存在するなどとは、想像の外であった。


 ルイ=レヴァナントに助力を乞おうかとも思ったが、あちらはあちらで大激戦のさなかであるのだ。どうやら100名から成る騎士たちは、戦力を分散させることなく、1万体の中級人魔とともに、オルトロスの部隊へと躍りかかったようなのである。

 もともとガルムの部隊もそちらに合流しようとしていたのは幸いなことであったが、それでも戦力差は甚大である。取り急ぎ、ナーガとコカトリスの部隊も援護に向かったようであるが、その後の戦況は僕にも伝えられていなかった。


(早く人魔の術式を解除しないと、20年前の二の舞だ。……いや、こっちが戦力を分散させている分、もっと大きな被害が出てしまうかもしれない)


 僕がそんな風に考えたとき、苦悶の絶叫が響きわたった。

 振り返ると、右肩を鉄の槍で貫かれたエキドナが、きりもみをしながら墜落していく姿が見える。そこに殺到しようとした地上の人魔は、かろうじてケルベロスが撃退してくれていた。


「この薄汚い魔物どもめ! 何度、余の悦楽を邪魔する気か!」


 濁った声音で、人魔の1体がわめき散らしている。

 それは、こめかみから2本の角を生やした、オークのごとき醜悪な人魔――グラフィス子爵に他ならなかった。その手には、エキドナの肩を貫いたのと同じ槍が握られている。


「ようやく到着か、グラフィス子爵よ。いったい、どこで油を売っておったのだ?」


 グラフィス子爵にも負けない図体をした人魔が、そちらに近づいていく。それは、ねじくれた角を4本も生やした、ミノタウロスのごとき牛面の人魔であった。


「デイフォロス公か! 余は、行方をくらませた伽係の娘たちを探しておったのだ! よもや、あの娘らを殺めてはおるまいな!」


「さてな。そのようなものにかまっているいとまはなかった。閨事を楽しみたければ、まずは魔物どもを討ち倒すがいい」


 僕も現在は魔力を解放しているので、両者の言葉をすんなりと聞き取ることができた。

 しかし、グラフィス子爵はともかくとして、デイフォロス公爵の冷静な様子には、いささか驚かされてしまう。そもそも、周囲で暴れ狂っている他の人魔たちには、人語を発するような理性も残されていないように感じられるのだ。


(強い力を持つ人魔ほど、自我を保てているのかな。……いや、そんなことよりエキドナは――)


 そのとき、グラフィス子爵のもとに血まみれの槍が飛来した。

 グラフィス子爵は豚のように鼻を鳴らしながら、その手の槍で飛来する槍を叩き落とす。

 槍を投げたのは、ケルベロスのかたわらでとぐろを巻いたエキドナであった。


「聞こえたよ、この豚野郎……グラフィス子爵ってことは、手前がバジリスクを殺した人魔だね!」


「ふん。醜き蛇めが何かわめいておるわ。そんな幼子でなければ、味見をしてやってもよかったのだがな」


 グラフィス子爵は醜悪な笑みを浮かべながら、紫色の舌で鼻面を舐めた。


「魔物など、ほんの数匹しかおらんではないか。このようなものどもに手こずっておったのか、デイフォロス公よ?」


「こやつらは、ずいぶんしぶとくてな。それに、魔術師どもがあちらにかかりきりであったのだ」


 と、デイフォロス公爵は親指で壇上を示してきた。


「他の連中が好き勝手に暴れるので、我も閉口していたところだ。後の始末は頼んだぞ、魔術師よ」


「かしこまりました」と、グラフィス子爵の巨体の陰から赤褐色のマント姿が現れた。子爵と行動をともにしていた、あの魔術師である。


 その魔術師が杖を一閃させると、周囲の人魔たちが咆哮を轟かせた。

 そして、ケルベロスやナナ=ハーピィたちを遠巻きに包囲していく。獣じみた闘争本能はそのままに、明らかに統率というものが生まれていた。


「はん、ここからが本番みてーだな。エキドナ、手前を庇ってるゆとりはねーぞ?」


「いらないよ! あの豚野郎は、わたいが仕留めるからね!」


 巨大な翼をひるがえして、エキドナが頭上に舞い上がった。

 たちまち、翼を持つ人魔たちがエキドナに襲いかかる。そこに横合いから加勢したのは、ナナ=ハーピィであった。


「バジリスクの仇より、まずはベルゼ様の作戦でしょ! コカトリスの言ってたことを忘れたの!?」


「うっさいよ! わめく前に、こいつらを何とかしな!」


 そうして地上でも、ケルベロスとジェンヌ=ラミアが死闘を再開する。そちらにはデイフォロス公爵とグラフィス子爵も加わっていたため、いっそう激烈な様相であった。


(まずい。もうそんなに長くはもたないぞ)


 僕は、3名の魔術師たちに向きなおる。

 青白き障壁は、僕を嘲笑うかのように煌々と照り輝いていた。


『ファー・ジャルグ、僕はこの世で最強の存在なんだよね?』


『んー? いきなり、どうしたのさ。逃げるんだったら、早いとこ頼むよ』


『いや、ちょっと腰が引けちゃってるから、背中を押してほしいんだよ』


『なんだい、そりゃ』と、ファー・ジャルグの念話が笑った。


『あんたはこの世で、最強最悪の存在だよ。どうしてあんたみたいなもんが地上に遣わされることになったのか、不思議でたまらないぐらいさ』


『ありがとう。覚悟が決まったよ』


 僕は、すべての魔力を解放した。

 壇の下で、人魔たちがびくりと反応したのが伝わってくる。それは、それほどの魔力であったのだ。


 その魔力を最大限に活用できるように、僕は肉体を再構築する。

 いわゆる、戦闘フォームである。上級の魔物の多くが魔力の消費を抑えるために半人半妖の姿を取るように、僕もまた普段は魔力を抑制しているのだ。


 けたたましい金属音を奏でながら、僕の肉体が変貌した。

 人間の髑髏をモチーフにしていた兜は、巨大な角と牙を持つ山羊の頭骨めいた形状に変化する。手足の鉤爪は1本ずつがダガーナイフのようなサイズとなり、肩あてや胸甲はいっそう禍々しい鋭角的なデザインとなった。


「キャハハハ! ついにベルゼ様が本気になったね! あんたたち、皆殺しだよ!」


 膨大なる魔力のせいで好戦的な気性になっているナナ=ハーピィが、頭上で哄笑を響かせる。

「いや、皆殺しにはしないけどね」と苦笑しながら、僕は魔術師たちに向きなおった。


「それじゃあ、行くよ。生命の危険を感じたら、なんとか逃げてもらいたい」


 言いざまに、僕は渾身の魔力を振り絞った。

 術式の内容は、雷撃である。爆炎よりは周囲の被害も少なかろうと考えての選択だ。


 目も眩むような閃光とともに、黄金色の雷撃がピラミッド状の障壁に叩き込まれる。

 ばちばちと音をたてながら、魔力は障壁に呑み込まれていった。


「まだ足りないか」


 僕は、同じだけの雷撃を何度となく繰り出した。

 障壁が吸収し損ねた魔力が、周囲の空間を駆け巡る。青白い障壁の向こう側で、魔術師たちが顔を歪めているのが感知できた。


 そうして、僕の攻撃がいよいよ2ケタに達しようとしたとき――光の障壁は木っ端微塵に砕け散り、魔術師たちは数メートルばかりも吹き飛ばされていった。


(なんとか、うまくいったか)


 何の策も思いつけなかった僕は、相手の術式のキャパオーバーを願って、最大出力の攻撃を繰り出してみせたのだった。

 暗黒神がこの世で最強の存在であるのなら、わずか3名の人間が織りなす魔術に力負けすることはないだろうと、そのように信ずることにしたのだ。


 壇上の壁際まで吹き飛ばされた魔術師たちは、倒れ伏したまま力なく蠢いている。彼らの生命まで奪うことにならなかったのは、幸いであった。


「よし、それじゃあ円環を――」


 と、僕が足を踏み出そうとしたとき、とてつもない圧力が横合いから迫ってきた。

 慌てて防御の障壁を張ると、何体かの人魔たちが弾き返されていく。しかし、その後方からも新たな人魔たちが押し寄せてきて、僕は障壁の維持に全力を尽くすことになった。


「こらー! あんたたちの相手は、こっちだよ! ベルゼ様の邪魔は許さないんだからね!」


 人魔たちの向こうから、ナナ=ハーピィのわめき声が聞こえてくる。どうやらこの場の人魔たちが、1体残らず僕のほうに殺到しているようだった。


 気づけば目の前は、人魔の山である。僕の張った障壁にくまなく人魔がへばりついて、魔力の込められた牙や爪を立てている。さすがに200体から300体に及ぼうかという上級人魔が相手では、この障壁も数秒ともちそうになかった。


(くそっ、グラフィス子爵と同行していた魔術師の仕業だな。やっぱり人魔の術式を守ろうと、向こうも必死なんだ)


 ならば、魔術師を仕留めてこの統率を打ち砕くのが先決である。

 そのように考えて、僕がナナ=ハーピィたちに指示を飛ばそうとした瞬間――腹の真ん中に、熱い痛みが走り抜けた。


 黒い鎧のみぞおちに、鉄の槍が突き刺さっている。

 魔力を帯びた鉄の槍が、障壁を貫通して僕に痛撃を与えたのだ。


「グハハ! 醜き魔物め! 余の悦楽を邪魔立てした代償は、大きいぞ!」


 障壁の向こうでは、豚のような顔をしたグラフィス子爵が醜く笑っていた。

 僕がそれを知覚すると同時に、障壁は粉々に粉砕されて、数百体の上級人魔たちが僕の上に覆いかぶさってきた。

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