3 計算違い
「うむ? 其方はグラフィス子爵の従者ではないか! いったいこの場に、何の用であるのだ?」
と、貴族のひとりが千鳥足でこちらに近づいてきた。
壮年の、だらしない身体つきをした男性である。彼は下帯ときらびやかなガウンのごとき装束を羽織っているのみの姿であったので、そのたるんだ胴体も嫌というほど人目にさらされてしまっていた。
「しかもそやつらは、子爵自慢の伽係か? これは気の利いた手土産ではないか!」
「いえ……わたくしは、子爵様のご用命により、この者たちを案内して参ったのでございます……子爵様は、どちらでございましょうか……?」
「グラフィス子爵は、我々の祝宴を毛嫌いしているではないか? というよりも、我々があちらを忌避していることになるのであろうかな」
貴族の男は、この場にいないグラフィス子爵を嘲るように顔を歪めた。
「人魔の姿で情を交わすなど、まったく馬鹿げた話ではないか! それではいったい何のために、美しき娼婦を選り抜いておるのだ? どうせ人魔に化けさせるなら、もとの美醜など無意味であろうよ!」
「は……わたくしには、なんとも……」
「グラフィス子爵が心を改めて、我々の祝宴に参じたいと願ったのなら、歓迎しよう! さあ、其方たちも、ぞんぶんに悦楽を味わうがいいぞ!」
僕はすっかり混乱しながら、男の言葉を聞いていた。
祝宴――まさしく、祝宴である。大広間とも称される謁見の間には巨大な卓がいくつも持ち出されて、そこに数々の料理や美酒が並べられていたのだった。
しかし、人々の多くは豪勢な料理などそっちのけで騒ぎたてている。空の酒瓶を振り回したり、楽器をでたらめにかき鳴らしたり、男女であられもない痴態を繰り広げていたり――絵に描いたような、堕落した貴族たちによる狂宴であった。
年齢も性別もさまざまである。この世界の人間はそれほど寿命が長くないそうで、老人と呼べるような人間はいなかったかもしれないが――年端もいかない少年少女や、端麗な顔立ちをした貴公子に美姫や、でっぷりと肥えた初老の貴婦人などなどが、遠慮も恥じらいもかなぐり捨てて、欲望のままに騒ぎたてているのだ。宴会好きの魔物たちだって、もう少しは節度やつつしみというものを持っているように思えてならなかった。
(なんてこった。まさかこの城の貴族たちは、夜な夜なこんな馬鹿騒ぎをしてるのか?)
僕は元来、当世風の言葉づかいというものを苦手にしている。人間であった時代、誰に対しても上辺だけの関係性しか結ぶことができなかったせいか、あんまり気安い言葉を発する機会に恵まれなかったのだ。
そんな僕をして、頭に浮かんだ言葉は「マジかよ」であった。
これはもう、想定する中で最低最悪に近いぐらいのシチュエーションであったのだった。
(この場で円環を開くために魔力を使ったら、100体の上級人魔を相手取ることになるわけか。で、『門番』を仕留めるまでは外部からの援軍も期待できないわけだから……最悪だなこりゃ)
魔術師たちはそこまでを見越して、貴族たちにこのような真似を許しているのであろうか。
その真意は不明であったが、しかしこれが人魔の術式の触媒を守るためには最善の策であるように思えてしまった。
(そういえば、魔術師の姿は見当たらないみたいだな。それだけが、唯一の救いか)
そうして僕が溜め息を噛み殺していると、新たな人影がこちらに近づいてきた。
最初の貴族と大差のない格好をした、やたらと大柄な男である。年齢は40歳ぐらいであろうか。どっしりとした肉厚の体型で、角張った顔はてらてらと脂ぎっている。
「なんだ、その娘たちは? なかなかに粒がそろっているではないか!」
「おお、デイフォロス公。これらは、グラフィス子爵の伽係であるそうですぞ」
どうやらこれが、デイフォロス公爵領の領主であるようだった。
しかし、グラフィス子爵と同様に、威厳や風格などは薬にしたくともない。茶色の瞳を欲情にぎらつかせる、赤ら顔の大男であった。
「ほう、グラフィス子爵の伽係か! 娼婦にしては、上等だ! それでは、酒のつまみに楽しませてもらおうか!」
これはもう、早々に決断を下すしかなかった。
すでに賽は投げられているのだ。どのように最悪な状況でも、計画を中止することは不可能であったのだった。
(とにかく魔力を解放したら、1秒でも早く『門番』を仕留めるしかない。円環の向こうにある触媒さえ破壊できれば、どれだけの人魔がいたって人間に戻るんだからな)
僕は取り急ぎ、念話で必要最低限の指示を出しておくことにした。
『ケルベロス、エキドナ。もうすぐ出番だよ。次の合図で、城に踏み込んでくれ』
『了解。町は空っぽになっちまったみたいだから、真っ直ぐそっちに向かえるぜー』
『ふん。待ちくたびれて、眠たくなってきちまったよ。とっとと合図を欲しいもんだね!』
両名は、城壁のすぐ外側に待機している。魔力さえ解放すれば、ものの数秒でこちらまで駆けつけられるはずであった。
『ファー・ジャルグ、君も出番だ。僕が合図を送ったら、目くらましをお願いするよ。それで、僕たちを壇上まで引っ張り上げてくれ』
『僕たちって、ハーピィとラミアもかい? 半日もほったらかしにしておいて、いきなりの大仕事だね!』
僕の影の中から、陽気な小人の念話が伝わってくる。念話のやりとりはすべて彼にも筒抜けであったので、これまでの状況は正しく把握できているはずだった。
『頼むよ。あの眩しい中では、僕も身動きが取れないからさ。壇上についたら僕も魔力を解放するから、それまでは結界を壊さないように気をつけてくれ』
『って、町の結界はもう粉々なんだろ? 俺は中級の力しかないんだから、どれだけ魔力を使ったって城の結界はビクともしないよ!』
『ああ、そうだったね。それじゃあ、全力で任務を果たしてくれ』
これで、準備は万端だ。
僕は素早く視線を巡らせて、ナナ=ハーピィとジェンヌ=ラミアに目をつぶるように合図を送った。
それと同時に、デイフォロス公爵が僕たちのほうに腕をのばしてくる。
「さあ、何をしておるのだ。そのようなものは、とっとと脱ぎ捨てるがよいぞ」
その指先が義體に触れる前に、僕はナナ=ハーピィとマリアの腕をつかんだ。
さらに、ナナ=ハーピィがジェンヌ=ラミアの腕をつかむのを見届けてから、ぎゅっと目をつぶる。
『ファー・ジャルグ、今だ!』
まぶたを通して、真紅の閃光が炸裂するのが感じられた。
貴族たちのわめき声が交錯し、僕は後ろから首根っこをつかまれる。かつて、石の町から脱出したときの再現である。
僕たち4名の身体は、ものすごい力で引っ張られていた。あの日もこうして、僕はファー・ジャルグの助けで窮地を脱することがかなったのだ。僕に右腕をつかまれたマリアは、わけもわからぬまま悲鳴をほとばしらせていた。
『あ、こいつはヤバいよ、暗黒神様!』
と――ファー・ジャルグの念話が、常ならぬ響きを帯びる。
真紅の閃光に目を痛めぬよう、薄くまぶたを開いた僕は、そこに思わぬ存在を見出した。
ここはすでに、謁見の間の壇上である。
目の前には、玉座のように立派な座具が待ちかまえている。
そして――その座具の裏側に、赤褐色のフードつきマントを纏った魔術師が3名、身を寄せ合っていたのである。
それを知覚した瞬間、僕の視界が暗転した。
意識が、虚空に霧散していく。おそらく、なんらかの魔術で首から上を吹き飛ばされたのだ。
(しくじった――!)
意識が、上手く定まらない。粉々になった脳味噌とともに、意識まで分散されたような感覚だ。それで絶命することはなかったが、今は1秒の遅延が生命取りになるはずだった。
(くそっ、しっかりしろ! お前は、暗黒神だろ!)
分散してしまった意識を、大急ぎでかき集める。
その際に、ちかりと現実世界の光景が垣間見えた。
壇上に倒れ込んだナナ=ハーピィたちに、魔術師が杖を振り下ろそうとしている。そのかたわらには、頭部を失った僕の義體が壊れた玩具のように転がされていた。
(やめろーッ!)
死に物狂いで僕が念じると、首なしの義體がゾンビのように起き上がって、ナナ=ハーピィたちの前に立ちはだかった。
その姿が、一瞬で炎に包まれる。すると、僕の意識にも熱い痛みが走り抜け――その痛みが、僕を急速に覚醒させた。
(よし!)
僕は魔力を解放し、亜空間の衣装棚から暗黒神の本体を引っ張り出した。
城の結界が空間を軋ませて壊れたが、そのようなものにはかまうゆとりもなく、炎上する義體を蹴り飛ばして壇上に着地する。さらに追撃の魔術が繰り出されたが、それは難なく防御することができた。
「ナナ! ジェンヌ!」
僕の差し出した禍々しい指先を、ナナ=ハーピィとジェンヌ=ラミアがつかみ取る。それと同時に、僕は魔力を送り込んだ。
喜悦とも苦悶ともつかぬ絶叫をあげながら、ふたりの肉体がこの世ならぬ異形に変貌していく。
そして、壇の下では100名からの貴族たちが、同じように変貌のさなかにあった。
「ふー、やれやれ。これで一巻のおしまいかと思っちまったよ」
壁際にうずくまっていたファー・ジャルグが、気安い調子で言いながら肩をすくめる。
そのかたわらでは、マリアが恐怖の形相になっていた。
「な、な……何なのよ、これは! ナナとジェンヌは、魔物だったの!? ベル! ベルはいったいどこに――!」
「おっと、こいつを忘れてた」
ファー・ジャルグがこめかみをちょんとつつくと、マリアはくにゃくにゃとくずおれた。
「それじゃあ、俺は退散させていただくよ! この娘っ子も、一緒に連れてくべきかねえ?」
「え? マリアを影の中に連れていけるのかい?」
「こいつは魔力も帯びていないし、今は意識も失ってるから、肉の塊と一緒だよ。いらぬ世話なら、ほっぽっておくけどさ」
「いや、連れていってあげてくれ。助かるよ、ファー・ジャルグ」
「ふふん。……念話も、飛ばしておいたからね!」
「念話?」と反問する僕には答えず、マリアを抱えたファー・ジャルグは影の中に消えていった。
そこに、ナナ=ハーピィの哄笑が響きわたる。
「あたしたちも、ようやく暴れられるね! かかってきなよ、人魔ども!」
ナナ=ハーピィは、あの災厄神めいた異形に変貌を遂げていた。ジェンヌ=ラミアも、然りである。
そしてそれは、貴族たちも同様であった。100体の上級人魔が現出したのだ。その場には、僕がこれまで体感したことがないほどの魔力が渦を巻いていた。
「やれやれ、予定が狂っちゃったな」
僕は、座具の裏側へと視線を巡らせた。
3名の魔術師たちが、そこに立ちはだかっている。彼らはそれぞれの杖を頭上に掲げており、その場を強力な障壁で守っていた。
「ナナ、ジェンヌ、ちょっと想定より厳しい状況になっちゃったけど……作戦通りに、よろしく頼むよ」
「まかせといて! こんなやつら、1匹残らず八つ裂きにしてやるから!」
緑色の瞳を炎のように燃やしながら、ナナ=ハーピィはまた哄笑する。巨大な蛇の姿でとぐろを巻いたジェンヌ=ラミアも、その身の破壊衝動をこらえられぬ様子で唇を吊り上げていた。
しかし、相手は上級の人魔だ。
1体ずつの力量ではナナ=ハーピィたちのほうが勝るであろうが、この人数差は如何ともし難い。彼女たちが足止めをしてくれている間に、僕は一刻も早く人魔の術式を破壊するしかなかった。
「よし、それじゃあ僕は、魔術師を――」
と、僕がそんな風に言いかけたとき、謁見の間が衝撃に包まれた。
見れば、回廊へと通ずる扉が吹き飛ばされている。そこに立ちはだかっていたのは、巨大なる三つ首の凶犬であった。
「よー、小人野郎の合図があったんだけど、踏み込んじまってよかったんだよなー?」
その凶悪な姿には似つかわしくない、男の子の声――それこそが、ケルベロスの本性であった。
さらに、下半身が蛇と化し、背中に悪魔のような翼を生やしたエキドナも、扉の消失した入り口から飛び込んでくる。
「ははん。表には雑魚しかいないと思ったら、ここに集まってたのかい! こいつは、楽しくなりそうだね!」
人魔たちは、新たな敵の出現に怯んだ様子もなく、威嚇の咆哮をあげている。
こうして僕たちは、血で血を洗う死闘の坩堝に叩き込まれてしまったのだった。
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