5 入城

 ついにデイフォロス城を目前に迎えた僕たちのもとに、2名の武官たちが近づいてくる。御者台から降りた兵士は、そちらに向かって深々と一礼した。


「グラフィス子爵のご用命により、伽係の娘たちをお連れいたしました」


「了解した。毎度、ご苦労なことであるな」


 新たに現れた武官たちは、房飾りのついた兜をかぶっており、白い軍服のようなものを纏っていた。腰に下げた剣の鞘にも、なかなか見事な装飾が施されている。

 そして、右手の甲に刻まれているのは――十字を基調にした、銀色の紋章だ。それはすなわち、騎士の階級を示していた。


(このお人らも、人魔になったら上級の力を持つってことだな)


 兵士は市民、騎士は貴族に分類されるのだ。かつてのグラフィス城で暮らす貴族のおよそ半数は騎士階級であったのだと、僕はオスヴァルドから伝え聞いていた。


(で、かつてのグラフィス公爵はグラフィス子爵に爵位を改められたってわけか。もうグラフィスって領土は存在しないのに、けっこういい加減なんだな)


 しかしそれでも、子爵は男爵よりも上の階級だと聞いている。領地を失った領主に対する処遇としては、上出来なほうであるのだろう。これも、貴族の世界が才覚や人柄ではなく血筋こそを重んじているという証左であるはずだった。


「では、こちらに来るがいい。面を伏せて、貴き方々と決して目をあわすのではないぞ?」


 2名の騎士たちに前後をはさまれて、僕たちはついにデイフォロス城へと足を踏み入れることになった。

 城内には、緋色の絨毯が敷きつめられている。その上を行き交っているのは、ほどほどに上等な身なりをした若い男女であった。

 こっそり盗み見てみると、それらの手の甲に刻まれているのは銀色で棒状の紋章だ。これは、城で働く侍女や小姓の証であった。


(グラフィス城の構成員は、貴族と騎士がおよそ100名ずつで、侍女や小姓が200名、総勢が400名ていどって話だったよな)


 侍女や小姓は、貴族ではない。しかし、人魔となった際には騎士たちとともに主人を守れるように、上級の力が与えられているという。ただその力は、中級で最強の力を持つ角つきの人魔をわずかに上回るていどだと聞いていた。


(このデイフォロスもグラフィスと同規模の領地だから、大地からかき集められる魔力の量にも大差はない。それなら、人魔の戦力にも大きな違いはないはずだ)


 僕がそのように考えている間に、ひとつの扉が眼前に現れた。

 扉の前には、2名の侍女たちが立ち尽くしている。どちらもお行儀のいい立ち姿であったが、僕たちを見やる眼差しは冷ややかであった。


「お待ちしておりました。まずはこちらで、身を清めていただきます」


 扉をくぐると、そこには絨毯が敷かれていなかった。飾り気のない小部屋であり、向かいの壁にも扉が設えられている。どうやら浴室の脱衣所であるようだ。

 騎士たちは回廊に残し、侍女たちだけが追従してくる。その指先が、壁際に置かれた大きな籠を指し示した。


「脱いだ衣服は、そちらにお仕舞いください。呪符は外されぬようにお願いいたします」


 ナナ=ハーピィたちは、無言で指示に従った。

 僕はなるべくそちらを見ないように気をつけながら、同じように服を脱ぐ。なおかつ、自分の裸身を視界に収めるのも、できれば遠慮願いたいところであった。


(女性の義體にもだいぶ慣れてきたけど、こればっかりは落ち着かないよな)


 しかも僕は、義體の中でとびきり美しい娘の肉体を選んでいるのである。プロポーションのほどでいえば、ジェンヌ=ラミアにも負けていないはずだった。


 ちなみに、念話の触媒であるルイ=レヴァナントの使い魔は、影の中に潜んでいるファー・ジャルグに託している。娼婦として潜入するからには、こうして裸身になる機会も多かろうと見越しての処置である。ファー・ジャルグは僕と一体化しているようなものなので、それでも念話を飛ばすのに不自由はなかったのだった。


 そうして裸身になった僕たちは、扉の向こうへと誘われる。

 そこは大理石のようにすべすべの石で構築された、巨大な浴室であった。

 もうもうと白い蒸気があがっており、なかなかの熱気である。

 さらに進むと、足もとに浴槽が出現する。床に穴が切られており、そこに湯が張られているのだ。


「まずは、身を温めください」


 侍女の指示に従って、マリアが浴槽のふちに腰を下ろした。

 膝から下だけを湯につけて、桶ですくった湯を身体にかける。僕たちも、見様見真似で同じようにするしかなかった。


「ふーん。あったかい水ってのも、けっこう気持ちがいいもんだね?」


 と、僕の隣に陣取ったナナ=ハーピィが、こっそり囁きかけてきた。

 視線は正面に固定したまま、僕は「そうね」と答えてみせる。


 ナナ=ハーピィの裸身というのは、ジェンヌ=ラミアの裸身よりも、いっそう僕を落ち着かない心地にさせるのだ。

 不思議なことに、欲情をかきたてられたりはしない。普通、これほどの美少女の裸身を前にしたら、自制心も崩落してしまいそうなものであるのだが――そういった煩悶は、発生しないのだ。かつての食欲や睡眠欲と同じように、僕には性欲というものが知覚できないのである。


 ただその反面、めっぽう落ち着かない気持ちをかきたてられてしまう。僕はひとりっこであったので実感はわかないが、妙齢の姉妹の裸身を前にしたら、こんな気分に陥るのではないだろうか。欲情をともなわない羞恥心といったものが、僕の頭を埋め尽くしてしまうのだった。


(まあ、魔物っていうのはけっこうな美人ぞろいだからな。おかしな感情をかきたてられないのは、ありがたいことだ)


 そうしてその後は、侍女たちの手ほどきによって身を清めることになった。

 髪などは、侍女たちが手ずから念入りに清めてくれる。ただ、その手つきは機械的であり、客人に対する敬意というものは一切感じられなかった。


「では、こちらのお召し物にお着換えください」


 脱衣所に戻ると、白いワンピースのような衣服を与えられた。

 素材は、絹なのだろうか。露出が多い上に透け具合が尋常でなく、裸身よりも猥褻な感じがしてしまう。

 しかしもちろん、このような姿で回廊を歩かせるわけにはいかないのだろう。ありがたいことに、薄手のフードつきマントのようなものを上から纏うことを許された。


 そんな姿で脱衣所を出ると、さきほどの武官たちが回廊に待ち受けている。武官のひとりが僕たちの姿をじろじろと検分してから、顎をしゃくった。


「では、控えの間に案内をする。くれぐれも、粗相のないようにな」


 そうして再び回廊を進むことになったが、なかなか貴族たちとすれ違うことはなかった。この時間、貴族たちはあまり出歩かないのだろうか。回廊を行き交うのは、すべて侍女か小姓か騎士であった。


(ていうか、この世界の貴族っていうのは、日々をどうやって過ごしているのかな。やっぱり国政に携わっているんだろうか)


 そこまでのことは、オスヴァルドからも聞いていなかった。聞いたのは、かつてのグラフィス公爵家の当主――現在のグラフィス子爵家の当主が、怠惰で色欲にまみれた人間である、ということだけだ。


「こちらが、控えの間となる。沙汰があるまで、控えておれ」


 僕たちは、1階の小部屋に押し込まれることになった。

 さして広くもない部屋で、部屋の中央に2脚の長椅子と丸卓が置かれている他は、調度らしい調度もない。丸卓に準備されているのは、硝子の水差しとコップのみであった。

 石造りの壁には窓もなく、その代わりにいくつかの燭台に火が灯されている。お世辞にも、居心地のよさそうな部屋とは言えなかった。


「あーあ、なんだか肩が凝っちゃったよ。夜になるまで、何をしてたらいいんだろうねー?」


 ナナ=ハーピィは僕の腕を引っ張りながら、長椅子のひとつに腰を下ろした。その姿を半眼でねめつけつつ、ジェンヌ=ラミアは正面の長椅子に座る。


「そんなことはわからないけれど、そろそろ日没なのじゃないかしらね……城に足を踏み入れる前から、ずいぶん薄暗かったもの……」


 そんな風に言ってから、ジェンヌ=ラミアは悄然と立ち尽くしているマリアを振り返った。


「あなたも、座ったら……? 後ろで立たれていると、落ち着かないのよね……」


 マリアは無言のまま、ジェンヌ=ラミアの隣に腰を下ろした。

 自然に垂らされた栗色の髪はいっそう美しくきらめいているが、その表情は暗い。青い瞳には、何か思い詰めた光が灯されていた。


「あなたはいっこうに気が晴れないみたいね。そんなにお城に招かれたくなかったのかしら?」


 僕の言葉に、マリアは「当たり前でしょ」と言い捨てた。


「あなたたち、城から戻った人間から何も聞いていないの? どうせ聞いていないから、そんな呑気な顔をしているのでしょうね」


「ええ、そうね。そんな話は、聞く機会がなかったわ。……何か憂鬱になるような話を聞かされてしまったの?」


「聞きたくなくても、聞こえてくるのよ。グラフィス子爵っていう貴族は……とんでもない変態親父なのよ。あんなやつに身をひさぐぐらいなら、死んだほうがマシなのじゃないかしら」


「だったら、死んじゃえばよかったのに……」


 ジェンヌ=ラミアが、蛇神族の酷薄さでそのように言いたてた。

 マリアは忌々しげに、ジェンヌ=ラミアの冷たい笑顔をにらみつける。


「ええ、そうね。何か罪でも犯して、農園送りにでもされるべきだったわ。そうしなかった自分を、蹴り飛ばしてやりたいぐらいよ」


「それなら今からでも、舌を噛み切ったらいいのじゃないかしら……?」


「それで死ねなかったら、どうなると思うのよ? あんただって、他人事じゃないんだからね!」


 マリアがそのように言いたてたとき、奥側の壁に設えられていた扉が何の前触れもなく開かれた。

 マリアは「ひっ」と咽喉を鳴らし、僕たちは反射的に身構える。

 そこから現れたのは、妙にずんぐりとした初老の小男であった。


「失礼いたします……グラフィス子爵様があなたがたをお呼びです……」


 小男は灰色の長衣を纏っており、首からじゃらじゃらと飾り物を下げていた。手の甲の紋章は――貴族ならぬ身を示す、銀色の一本筋だ。


「まずは、南区と北区から参られた方々ですな……こちらにどうぞ……」


 ご指名は、僕とマリアであった。

 顔面蒼白のマリアとともに立ち上がり、小男のほうに歩を進める。小男は陰気な笑みを浮かべながら、ひと足早く扉の向こうに引っ込んだ。


 扉の向こうには、細くて薄暗い回廊がのびている。

 部屋と部屋をつなぐ通路にすぎないのだろう。ほんの10歩ていどの先には、別なる扉が待ちかまえていた。


「失礼いたします……伽係の娘たちをお連れいたしました……」


 小男の案内で、扉をくぐる。

 それと同時に、僕は息を呑むことになった。

 その場には、2名の人間が待ちかまえていたのだが――その片方は、赤褐色のフードつきマントを纏った魔術師であったのだ。


「ふむ。間近で見ても、美しき姿であるようだな。お前たち、無粋な上衣を脱ぎ捨てるがよいぞ」


 魔術師ではないほうの人物が、ねっとりとした声でそう言った。

 そちらは、すでに五十路に届こうかという、でっぷりと肥え太った男である。屋内であるのに真っ赤なマントを着込んでおり、立派な座具にふんぞり返っている。悪い意味で、貴族らしいたたずまいだ。


 顔の肉はだらしなくたるんでおり、茶色の瞳は垂れさがったまぶたに半分がた隠されている。黒褐色の髪はきっちりと撫でつけられており、口もとと顎の先に生やした髭も綺麗に整えられていたが、威厳や風格といったものとは無縁な風貌であった。


 これが、色欲の権化と名高いグラフィス子爵であるのだろう。

 それはすなわち、20年前の大戦でバジリスクの生命を奪い、貴族のオスヴァルドを農園送りにした人物でもあるのだった。

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