4 お城の伽係
それから、数時間後――僕は送迎用の荷車に乗せられて、デイフォロス城へと連れていかれることになった。
荷車は、それなりに立派な造りをした幌馬車だ。ただし、車を引くのは馬ではなくロバである。そのためか、やたらとゆったりとした足取りであるように感じられた。
太陽は、ずいぶんと西に傾いている。日没まで、あと1時間といったところだろう。今日の内に決着をつけることはかなうのか、僕はひそかに胸を高鳴らせることになった。
そうして15分ばかりも荷台で揺られていると、やがて荷車が動きを止めた。
後部に下ろされていた帳が外から開かれて、「出ろ」という横柄な声が届けられてくる。
荷台の下に降り立つと、目の前に石造りの城壁が立ちはだかっていた。
それに、小ぶりの城門も見える。きっと裏手の出入り口であるのだろう。守衛の守りは厳重であったが、扉の作りは簡素なものであった。
「ここからは、こちらの車で移動してもらう。他の娼婦と揉め事などを起こすのではないぞ」
粗末な革の鎧を纏った兵士が、僕を別の馬車まで案内する。そちらの馬車は四角い木造りの箱型で、繋がれているロバも2頭であった。
「南区の娼婦を連れてきた。確かに、引き渡したぞ」
「了解。これで全員だな」
御者もまた、同じような格好をした兵士であった。手の甲に刻まれた紋章も、市民のそれだ。
「待て。車に乗る前に、これをつけるのだ」
と、御者の兵士が銀色に光る物体を差し出してきた。細い環に精緻な彫刻の施された、ブレスレットのようである。
「あら、綺麗な飾り物ね。これはいったい、何なのかしら?」
「……人魔の術式を無効化する呪符だ。閨事の最中に町の結界が破壊されては、貴き方々に危険が及ぶであろうが?」
なるほど、それは道理である。町の結界が破壊されたならば、貴族たちは人間のまま、娼婦だけが人魔と化してしまうのだ。それが閨事のさなかであったなら、さぞかし剣呑な事態に陥るはずだった。
(それにしても、こんな便利なアイテムがあったのか。こいつは是非とも持ち帰って、隅々まで分析させてもらわないとな)
そんな風に考えながら、僕はその呪符とやらを右の手首に装着してみせた。
「つけたわよ。これでいいのかしら?」
「うむ。それでは、入るがいい。すぐに出発するからな」
御者の手によって、荷車の扉が開かれる。
薄暗い荷台の中には、3名の女性の姿が見えた。
僕が足を踏み入れるなり、その内の1名が顔を上げて、ぱあっと表情を輝かせる。それは、ナナ=ハーピィに他ならなかった。
もう1名はジェンヌ=ラミアで、もう1名は見知らぬ女性だ。
僕がこっそり安堵の息をつきながら腰を下ろすと、背後で扉が閉められた。
「はじめまして。あなたがたが、他の区域から選ばれた娼婦なのね。わたしは南区のベルという者よ」
「うん! あたしは、ナナだよ!」
「……わたしは、東区のジェンヌという者よ……」
最後の娘は暗い面持ちで僕たちを見回してから、「北区のマリア」と手短に名乗った。
やがて荷車が動き始めると、いそいそと移動してきたナナ=ハーピィが僕の腕にからみついてくる。
「あなたって、すごく綺麗だね! 心細いから、くっついてていい?」
「ええ、別にかまわないけれど……」
「わーい! ありがとね!」
ナナ=ハーピィは、僕の肩に頬をすりつけてきた。
そして、マリアがこちらを見ていないことを確認してから、素早く僕に耳打ちをしてくる。
「色々と文句もつけられたけど、ちゃんと任務を果たしたよ。もちろん操も、守り抜いたからね」
ナナ=ハーピィとジェンヌ=ラミアもこの数日間は死に物狂いで鍛錬に励んで、娼館の検分係を騙すための幻術を体得していたのである。理由はもちろん、「人間なんかに操を捧げるなんてとんでもない!」という思いゆえであった。
それに僕たちは、色魔と名高いかつてのグラフィス公爵に買われた身なのである。謁見の間にまで侵入するには、その人物に幻術をかけて案内をさせるというのが、もっとも現実的であっただろう。そういう面でも、各人が幻術を体得しておく必要があったのだ。
ただ――そういった実務とは離れた部分でも、僕は大きく安堵することができた。
たとえ大きな目的のためであっても、ナナ=ハーピィやジェンヌ=ラミアが望まぬ相手に操を捧げることなど、僕には我慢がならなかったのだ。
僕は「お疲れ様」と囁きながら、ナナ=ハーピィの頭を撫でてあげることにした。
ナナ=ハーピィは至福の表情で、また髪やら頬やらをすりつけてくる。
で――ジェンヌ=ラミアは、そんな僕たちの姿をじっとりした眼差しで見やっていた。
(ジェンヌのことも、後でねぎらってあげないとな。ふたりにも念話を届けられたらよかったんだけど……)
と、そこで僕は、報告の任務を思い出すことになった。
『こちら、ベルゼビュート。ハーピィとラミアの両名も、無事に城内に招かれることになったよ』
ガルムとナーガ、オルトロスとコカトリス、ケルベロスとエキドナの6名から、『了解』の返事が返ってくる。
それを聞き届けてから、僕はルイ=レヴァナント個人に念話を届けることにした。
『ルイ、人魔の術式を無効化する呪符というものを獲得したよ。こいつは分析のし甲斐がありそうだね』
『ほう。人間たちは、そのような呪符を作りあげていたのですか。……なるほど、町の結界が壊された際に、城内に招かれた市民たちを制御するための準備でありましょうか』
『うん。どうやら、そうみたいだね。市民は貴族の嬲りものにされることも多いって話だから、こういう準備が必要になるんじゃないのかな』
僕がそんな風に答えたとき、いきなり「ああもう!」という大きな声が響きわたった。
びっくりして振り返ると、あのマリアという少女が自分の頭を抱え込んでいる。何やら、ただごとならぬ様子であった。
『いったん、念話を終了するね。また何かあったら、連絡するよ』
『かしこまりました。くれぐれもご油断なきように』
ルイ=レヴァナントの念話が途絶えるのを待ってから、僕はマリアに「どうしたの?」と呼びかけてみせた。
「いきなり大声を出すから、びっくりしたじゃない。身体の具合でも悪くなったのかしら?」
「……あなたたちは、どうしてそんな取りすました顔をしていられるの? わたしたちは、貴族に買われてしまったのよ?」
マリアの顔には、きわめて悲愴な表情が浮かべられていた。
栗色の長い髪を綺麗に結いあげた、16、7歳の少女である。肌は白く、瞳は青く、とても端正な顔立ちをしている。さすがは選り抜かれた娼婦だけあって、年齢にそぐわぬ色香が匂いたっていた。
「それじゃああなたは、どうしてそんな風に嘆いているのかしら……? 貴族を満足させることがかなえば、わたしたちだって莫大な褒賞を手にできるはずよ……?」
ジェンヌ=ラミアがそのように応じると、マリアは暗く陰った眼差しでそちらを見た。
「そんなもの、すべて娼館の主人に取り上げられてしまうに決まってるじゃない。わたしたちはいいように嬲られて、運が悪ければそのまま殺されてしまうのよ」
「ふうん……? 何も失礼な真似をしなければ、殺される理由なんてないのじゃないかしら……?」
「何を言っているのよ! 城から無事に戻された娼婦なんて、半分もいないじゃない! あなたたちのところは、そうじゃないとでもいうの?」
マリアはがっくりと突っ伏して、敷物の敷かれた床を力なくまさぐった。
「貴族に気に入られすぎたら、一生を城の中で過ごすことになってしまうのでしょうし……気に入られなかったら、首を刎ねられてしまうのだから……どうしたって、わたしたちに逃げ場なんて残されていないのよ……」
「あらそう……だったら、ほどほどに頑張るしかないのじゃないかしらね……ここまで来て泣き言を口にしたって、運命は変わらないわよ……」
ジェンヌ=ラミアは興味を失った様子で、そっぽを向いた。
すると今度はナナ=ハーピィが、「そうそう!」と声をあげる。
「死にたくないなら、死なないように頑張るしかないんじゃない? めそめそしたって、意味なんかないよ!」
マリアはこれっぽっちも励まされた様子もなく、深い溜め息をついていた。
ここでもまた、現在の人間社会の欺瞞が露呈されたようである。
(かつてのグラフィス公爵は、このデイフォロス城でもやりたい放題みたいだな。その御仁も人魔の術式の影響から解放されたら、ハンスやオスヴァルドみたいに人間らしさを取り戻せるんだろうか?)
そんな風に考えたとき、ゆるやかに前進していた荷車が止められた。
さきほどと同じ調子で扉が開かれて、「出ろ」と呼びかけられる。
ジェンヌ=ラミアを先頭にして、僕たちは外界に足を踏み出すことになった。
眼前には、巨大な石造りの城郭が立ちはだかっている。
『三つ首の凶犬と蛇女王の城』と同程度の規模であるが、こちらは目立った損傷もなく、人間たちの栄華を誇っているかのようである。
僕たちは、ついに敵の本丸たるデイフォロス城に到着したのだった。
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