3 茶番劇

 僕は以前と同じ経路を辿って、石の町の南区に潜入した。

 ファー・ジャルグは僕の影にもぐったので、正真正銘ひとりきりである。南区の娼館を目指しながら、僕はさっそく他の捜査員たちに念話を送ってみた。


『僕は無事に、潜入できたよ。そちらはどうかな?』


『ああ。ちょうどこっちも、農園を抜けたところだぜ』


『わたいたちは、まだ岩山だよ。集合場所とは反対側の東区に回り込まなきゃいけないんだからね』


 ケルベロスとエキドナを僕に同行させなかったのは、ナナ=ハーピィとジェンヌ=ラミアに念話を操るすべがなかったためであった。彼女たちの動向を把握するために、そちらへの同行をお願いすることになったのだ。


(3人とも、首尾よく城内に潜り込めるといいんだけど……こればっかりは、出たとこ勝負だからな)


 僕はなるべく大通りを選んで、石の町を突き進んだ。

 しかし、目的地である娼館は裏通りに存在するため、最終的には薄暗い路地に足を踏み入れることになる。おかしな輩に出くわさないようにと念じながら、僕はその場に踏み込んだわけであるが――えてして、そういう願いは退けられるものであった。


「お、女がこんな場所をひとりでうろつくなんて、ずいぶん不用心じゃねえか」


 目指す娼館ももう目前というところで、僕はガラの悪い男たちに取り囲まれることになった。

 人数は3名で、誰もが下卑た笑みを浮かべている。それに、その場にはわずかに酒の匂いがたちこめていた。


「あら、こんな時間に遊んでいられるなんて、そっちこそずいぶんといいご身分ね」


 僕は、蛇神兵団の団員たちを参考にして、せいぜい女性らしい言葉を口にしてみせる。いささかたどたどしい口調であったかもしれないが、声音のほうは立派な女性であるのだから、そう聞き苦しいことはないだろう。

 そんな言葉を聞かされた男たちは、いっそうにやにやと笑み崩れていた。


「遊んでるのは、そっちも一緒だろ? だったら、一緒に楽しもうじゃねえか」


「ああ。俺たちは娼館が開くのを待ってたんだが、銅貨を払わずに遊べるならありがてえや」


 男たちは、その内にあふれかえる劣情を隠そうともしていなかった。

 しかし、長きに渡って魔物たちに囲まれていた僕が、いまさら人間の無頼漢などに臆する理由はない。この場をどうやって切り抜けるべきか、僕はゆとりをもって思案することができた。


「ふうん。銅貨も払わずに遊ぼうだなんて、見下げ果てた連中ね。兵士さんたちに知られたら、農園送りにされてしまうのじゃないかしら?」


「へん。兵士が怖くて、火遊びができるかよ。あんまり小生意気なことを言うと、そっちこそ痛い目を見ることになるぜ?」


「あなたたちに、そんな真似ができるのかしら? わたしに無法な真似をしたら、兵士さんどころか貴族様を敵に回すことになるわよ?」


 男は一瞬ひるみそうになったが、すぐに気を取りなおした様子で鼻を鳴らした。


「くだらねえ脅し文句だな。どうせ手前は、娼婦なんだろ? 娼婦なんぞが貴族に伝手を持ってるわけがねえじゃねえか」


「あら、あなたたちは何もわかっていないのね。今日はその貴族様が娼婦を城内に招く日であるのよ?」


 僕はジェンヌ=ラミアの笑顔を想像しながら、せいぜいねっとりと微笑んでみせた。


「わたしはその、城内に招かれる栄誉を賜った人間であるの。そんな人間に手を出したら、貴族様はさぞかしお怒りになるのじゃないかしら?」


「……手前が、城に招かれるだと?」


「ええ。わたしが娼館に戻らなかったら、さぞかし大騒ぎになるでしょうね。娼館の主人だって莫大な褒賞を逃すことになるのだから、決してあなたたちを許さないでしょうよ」


 男たちは不審げに眉を寄せながら、ぼそぼそと言葉を交わし始めた。

 その末に、ひときわ人相の悪い男が僕をにらみつけてくる。


「手前がその城に招かれた娼婦だって証拠はあるのかよ? 適当なことを言って、この場を切り抜けようって魂胆なんだろ?」


 僕は少し迷ったが、深くかぶっていたフードを背中にはねのけることにした。

 数ある義體の中でもとっておきの美貌が、男たちの前にさらされる。男たちは、全員が驚嘆の息をつくことになった。


「証拠といったら、この姿ぐらいかしらね。納得してもらえたかしら?」


「お前……お前みたいなやつ、娼館で見たことがねえぞ? 俺たちは、3日と空けずに娼館に通ってるんだからな!」


「わたしは西区から流れてきたばかりなのよ。そうしたら、さっそく城内に招かれることになったの。城でのおつとめが終わったら、あなたたちの相手もしてあげるわよ。……もちろん、銅貨はいただくけれどね」


 僕はフードをかぶりなおして、くびれた腰に両手を当ててみせた。


「さ、どうするのかしら? たった1度の快楽のために、娼館と貴族様を敵に回そうというの? わたしも支度があるのだから、さっさと決断してちょうだい」


「……お前、城から戻ってきたら、悲鳴をあげるまで可愛がってやるからな」


 そんな捨て台詞とともに、男たちは道を空けてくれた。

 僕はなるべく悠然と、男たちの間を通り過ぎてみせる。途中で腕をつかまれることもなく、僕はなんとか危地を脱することができた。


(まあ、こんなところでつまずいてたら、お話にならないしな)


 しかしこれは、僕にとっていい予行演習になったようだった。何せ僕は、これから娼館の主人や城の人間たちを欺かなければならないのである。


 しばらく歩くと、目的の建物が見えてきた。僕が『三つ首の凶犬と蛇女王の城』で鍛錬を重ねている間、潜入捜査員たちが突き止めてくれた、南区の娼館だ。

 とても立派な4階建ての建物で、しかも3軒の並びがすべて娼館であるという。南区だけでも市民の人口は2500名ほどにも及ぶのであろうから、これぐらいの規模が必要となってしまうのだろう。


「失礼するわね。主人はいるかしら?」


 入り口の扉に鍵はかけられていなかったので、僕は堂々と正面からお邪魔することにした。

 カウンターで分厚い書面の束に目を通していた初老の男性が、じろりとこちらをねめつけてくる。ずいぶんと小柄で頭の禿げあがった、齧歯類のような面相をした小男だ。


「なんだい、お前さんは? 男娼宿なら、通りを間違えてるよ」


「買いに来たんじゃなく、売りに来たのよ。あなたがこちらの主人なら、わたしを買ってもらえないかしら?」


「はあん? 身売りかい? だったら、係の男が起きるのを待ってな」


「身売りというのは、ちょっと違うわね。わたしは、西区から流れてきたのよ」


 僕は再び、フードを外してみせた。

 娼館の主人は、たちまち鋭い眼差しとなる。商品を値踏みする、歴戦の商人の眼差しである。


「余所の区域から移り住んできたってことかい? ふうん……こいつは、大した器量だね。うちで働きたいなら、歓迎するよ」


「あら、ありがとう。でも、転居の手続きはまだ済んでいないのよ。もう何日かで、区長のお許しをもらえると思うのだけど」


「なんだい。だったら、手続きを済ましてから出直しな」


「でも、それじゃあ今日の催しに間に合わないでしょう? わたしは、城にお招きされたいの」


 小男は、うろんげに眉をひそめた。


「だったら、もとの娼館の主人に頼み込むべきだろうよ。ていうか、まともな目を持つ主人だったら、悩むまでもなくお前さんを選ぶだろうさ」


「それが、そうはならなかったのよね。だから、ここまで出向くことになったのよ」


 僕は、せいぜい皮肉っぽく微笑んでみせた。


「あっちでは、最近入った新人の小娘が選ばれてしまったのね。それがあんまり癪だったから、なんとしてでも同じ日にお城まで出向いて、格の違いを見せつけてやりたいのよ。だから、わたしを南区の代表にしてもらえない?」


「……西区には、お前さんより上等な娘がいるってのかい?」


「あんなの、わたしよりちょっと若いだけなのよ。主人の見る目がなかったのね。あんな場所では、もう2度と働いてやらないつもりよ」


「…………」


「こういう日は、すべての区域からひとりずつの娘が選ばれるのでしょう? それで、もっとも貴族様を満足させることのできた娼館には、追加で褒賞が与えられるのだと聞いているわ。あなたにその褒賞をもたらすと約束するから、どうかわたしを雇い入れてよ」


「……しかし、余所の区域の人間を勝手に使うのは、掟破りだろうからねえ」


 小男は、慎重にそう言った。

 僕は「ああそう」と肩をすくめてみせる。


「じゃあ、いいわ。面倒だけど、北区か東区まで乗り込んでみるわよ。あなた、褒賞を逃したわね」


「待ちな。……お前さん、本当に自信があるんだね?」


「自信がなかったら、こんな場所まで出向いてこないわよ」


 小男は「ふん」とひとつ鼻を鳴らしてから、立ち上がった。

 女性の義體である僕よりも、頭ひとつ分ぐらいは背が低い。短い足でちょこちょこと奥に向かった小男は、やがて扉のひとつを蹴り飛ばした。


「おい、仕事だよ! いつまでぐうすか寝てるつもりだい!」


「なんだよ……まだこんなに明るいじゃねえか……」


 その扉から現れたのは、熊のような髭面の大男であった。

 眠そうに細められていたその目が、僕を見るなり大きく見開かれる。


「へえ、いい女だな。新人を入れるのかい?」


「ああ。こいつを城に届けるべきかどうか、検分しな」


 大男は、世にもだらしない顔で微笑んだ。


「こいつは役得だ。さ、こっちで楽しもうぜ、新人さん」


 これは想定内の展開であったが、僕はいちおう抵抗を試みることにした。


「これから貴族様のお相手をしようっていうのに、こんな余興をさせるつもりなの? できれば、体力は使いたくないのよね」


「ふん。女の価値は、見てくれだけじゃないんだよ。こいつを満足させることができたら、お城の伽係はお前さんに任せてやるさ」


 僕は溜め息を噛み殺しつつ、大男のもとへと歩を進めた。

 扉をくぐると、せまい部屋に大きな寝台が詰め込まれている。これまで身を休めていた大男の体臭が充満しており、なかなかの不快指数であった。


「へへへ……あんた、お城に向かいたいのかい? 一歩間違えたら2度と帰ってこられないのに、酔狂なこったな」


「でも、うまくいけば褒賞もたっぷりなのでしょう? 貴族様を楽しませれば、無下にされることもないでしょうしね」


「うひひ……だったらまずは、俺を楽しませてもらわねえとなあ。もともと城に届けるつもりだった女とどっちが上等か、俺がきっちり味見してやるよ」


 大男が腰を下ろすと、木造りの寝台が頼りなく軋んだ。

 僕は無言で、大男の正面に立つ。近くで見ると、その丸っこい顔には脂や垢が浮かんでおり、これまた不快の極みであった。


(魔物ってのは長寿だから、新陳代謝もゆるやかなのかな。あんまり汗なんかもかかないみたいだし、体臭が気になったこともないしなあ)


 そんな愚にもつかないことを考えながら、僕は大男のほうに顔を近づけた。

 大男は、キスでもされると思ったのだろう。分厚い唇に覆われた口を半開きにして、色の悪い舌の先を覗かせる。


 口でも用事は足りたのだが、やっぱり気が進まなかったので、僕は大男の目もとに手をやった。

 笑いの形に細められていたまぶたを指先で開き、剥き出しになった眼球に舌先を触れる。


 それと同時に、僕は魔力を隠していたジャミングを大男の肉体にまで広げて包み込み、眼球の粘膜を通して魔力を注入した。

 こんなこともあろうかと、『三つ首の凶犬と蛇女王の城』で磨いてきた魔術のひとつだ。大男はびくんっと巨体を震わせると、そのまま寝台の上に倒れ込んだ。


(よし。うまくいったみたいだな)


 僕はうーんとのびをして、部屋の隅に追いやられていた椅子に腰を下ろした。

 10分ほども待っていると、大男が「ううん」と起き上がる。とろんとまぶたの下がった目が、不思議そうに僕を見やった。


「あれ……あんた、もう服を着ちまったのかよ?」


「ええ。ついでにあなたにも着せてあげたわよ」


「ああ、本当だ……いやあ、あんたはとんでもねえ技を持ってるんだなあ。ひさびさに、腰が抜けちまうかと思ったよお」


 彼はこの10分間、脳内で悦楽の幻影を楽しんでいたのである。その顔には、目も当てられないようなだらしない笑みが浮かべられていた。


「それで? わたしはあなたのお眼鏡にかなったのかしら?」


「ああ。あんただったら、文句なしさあ。貴族様も、さぞかしご満足されるだろうぜえ」


 どうやら僕は、最初の関門を突破できたようだった。

 とんだ茶番劇であるが、これも大きな戦いに勝利するための戦略であるのだ。あとは、他のメンバーからの吉報を待つばかりであった。

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