2 攻略開始
それから、さらに3日後である。
その日、僕たちはついにデイフォロス公爵領の攻略を決行することになった。
この日を決行の日に選んだのは、かつてのグラフィス公爵が娼館から娼婦を招く日取りであったためだ。
そのおかげで、僕たちは昨日と一昨日の時間を使って、入念に打ち合わせをすることができた。何せこれは、魔獣兵団と蛇神兵団の全兵力を参戦させる、20年ぶりの大がかりな作戦であったのだ。どれだけ打ち合わせに時間をかけても、それが無駄になることはないはずだった。
デイフォロス公爵領に隣する樹海には、700名からの魔物が集っている。暗黒城と『三つ首の凶犬と蛇女王の城』には見張りの団員すら置かず、ただ人間の捕虜であるハンスとオスヴァルドが僕たちの帰りを待っているばかりである。
仮に、他の領地の人間たちがこちらの拠点を襲うようであれば、それを防ぐすべはない。そのときはそのときで、このデイフォロス公爵領を何としてでも制圧し、新たな拠点とするしかないだろう。ただでさえ数で劣っている僕たちは、戦力の出し惜しみをすることなく、今回のミッションを完遂しようという覚悟であったのだった。
「それじゃあ、最終確認をしておくよ」
作戦開始直前の昼下がり、僕は薄暗い樹海の中で兵団の主要メンバーたちと相対していた。
兵団長のガルムとナーガ、別動隊隊長のオルトロスとコカトリス、潜入捜査員のナナ=ハーピィ、ジェンヌ=ラミア、ケルベロス、エキドナ――そして、ルイ=レヴァナントとファー・ジャルグの10名である。
オルトロスは、かつての『三つ首の凶犬と蛇女王の城』の駐屯部隊長であり、現在は魔獣兵団の副団長である団員だ。正体は双頭の犬であるが、おおよその魔物は魔力の消費を抑えるために、半人半妖の姿で平時を過ごしている。現在の彼は、ガルムをひと回り細くしたような、黒い獣毛と暗灰色の肌を持つ青年であった。
「まずは潜入捜査員の5名が、石の町に潜入する。僕が南区、ハーピィとケルベロスが西区、ラミアとエキドナが東区だ。僕とハーピィとラミアはそれぞれの娼館に乗り込んで、ケルベロスとエキドナはなるべく城壁の近くで待機をする。合図があるまで、ケルベロスとエキドナは誰にも見つからないような場所に身を潜めておいてくれ」
「あー、耳にタコができそうなぐらい、おんなじ話をなんべんも聞かされてるよ」
「ふん。身を潜める場所は確保したから、なんも心配はいらないだろうさ」
どちらも10歳児ぐらいにしか見えないケルベロスとエキドナは、それぞれふてぶてしい表情でそのように応じてくれた。
「その間に、兵団長と部隊長はそれぞれの部隊の配置を済ませておいてね。魔獣兵団が北と東、蛇神兵団が南と西だ。合図があったら各区域の農奴が農園から退避を始めるので、それを引き留めようとする魔術師や兵士たちの足止めをお願いするよ。ただし、なるべく戦力は小出しにして、魔術師たちを油断させるようにね」
「ふふん。しかし魔術師どもも、最終的には町の結界を解除するはず、という話でしたな?」
「うん。農奴の離反に魔物が関わっていると知れたら、魔術師たちも躍起になるだろうからね。町や農園どころか、すぐさま城の結界をも解除する可能性もあるはずだよ」
そのときは、城内の貴族たちまでもが上級の人魔に化すことになる。城内に潜入した捜査員にとっては、きわめて危険な状態であるが――しかし、うまく身を潜めることができれば、すべての上級人魔が城の外に向かうかもしれない。そうなれば、術式の解除作業も容易くなるはずであった。
「ただ、人間の側にとっても、城の結界を解除するというのは大ごとみたいだからね。やっぱり支配層の貴族までもが理性を失ってしまうというのは、避けたい事態であるんだろう。人数の少ない魔術師たちがそれだけの人魔を統率するというのも、なかなか困難なのだろうしね」
「なんでもかまいはしませんわ! とにかく俺たちは、立ち向かってくる敵を殲滅するだけですからな!」
「うん。だけどなるべく、戦力は小出しにね。味方はもちろん、敵の損害もあまり大きくならないように――っていう言い方は相応しくないかもしれないけれど、人間たちの生き残りが多ければ多いほど、次の戦いを有利に進められるはずだからさ」
「次の戦い」と、ナーガが反復した。
「それはつまり、王都の連中との戦い、という意味なのですわね?」
「うん。デイフォロス公爵領を制圧できたら、その次は王都ジェルドラドとウィザーン公爵領だ。それを攻略するために、デイフォロス公爵領の人間たちを利用する作戦であるんだよ」
妖艶なる美女の義體を纏った僕は、好戦的に瞳を光らせているナーガに微笑みかけてみせた。
「まあ、それについてはデイフォロス公爵領の制圧が完了してから、詳しく説明させてもらおうと思うけど……とにかく、ムキになって人魔を相手取る必要はない。相手取るべきは、魔術師たちだ」
「ふん。あやつらは20年前の戦いにおいても人魔に化すことはなく、ちょこざいな魔術を駆使するばかりでありましたな。暗黒神様が用心するほどの力は備えていないように思いますぞ?」
「うん。魔術師はあくまで人間としての理性を保持しつつ、人魔に命令を下す役割であるみたいだね。でも、どんな力を隠し持っているかは不明なので、くれぐれも油断しないように。……そして、可能であるならば、魔術師の何人かは生け捕りにしてほしいんだ」
そうすれば、魔術師たちの抱える数々の秘密も解き明かすことができるだろう。
人間は、いったいどのようにして人魔の術式という魔術を体得したのか――そして、魔術師というのはどうしてこのように強力な魔術を制御できるのか。魔術師としての資質とは、いったいどのようなものであるのか。そういった事柄は、いまだに謎のままであるのだった。
「まあとりあえずは、そんな感じだね。まずは僕たち3名がうまく城内に潜入できるかどうかだ。同じ作戦は2度と使い回せないので、ハーピィとラミアはくれぐれも慎重にね」
「まっかせてー! ぜーったいに、ベルゼ様の期待は裏切らないから!」
ナナ=ハーピィは元気いっぱいに答え、ジェンヌ=ラミアはフェロモンのあふれる微笑で答えてくれた。
この作戦で、もっとも危険な役割を担うのは、彼女たちであるのだ。エキドナが妙齢の女性であったなら、助力を乞うこともかなったのだが――10歳児の姿では、娼婦を演ずることも不可能であった。
また、僕が魔力を譲渡できるのも、2名が限界という話であったのだ。それ以上の人数に魔力を授けようとすると、僕自身の魔力が減退してしまうのだという話なのである。
「それで、これが肝心な話なんだけど……今まで語ってきたのは、すべての段取りが上手く進んだ場合の戦略だ。こんなぶっつけ本番の作戦が、何から何まで上手くいくだなんて、そんな楽観的にはかまえていられないからね。作戦は、必ずどこかで破綻すると覚悟しておく必要があるはずだよ」
「ふふん。そのときこそ、我々は真正面から人魔を相手取ることになるわけですな。それこそ、望むところですわ!」
「うん。だけど僕は、なるべく損害が小さく済むように取りはからいたいと考えている。作戦が破綻するようだったら、臨機応変に対処するつもりだから、くれぐれも勝手に動かないようにね。作戦から外れた行動を取る場合は、レヴァナントの使い魔を通して全員に通達してほしい。この命令は、厳守だよ」
団員たちは、それぞれの気性に見合った面持ちで僕の言葉を聞いている。
しかし、どれだけ豪放な気性であっても、彼らが暗黒神の命令を軽んじることはない。この世界に生まれ落ちた日から今日まで過ごしてきた時間の中で、僕はそのように信じることができるようになっていた。
「それじゃあ、それぞれの持ち場に移動しよう。ガルム、ナーガ、よろしくね」
「承知しましたぞ! ……ものども、配置につけ! 俺の部隊は北、オルトロスの部隊は東だ!」
ガルムは意気揚々ときびすを返し、ナーガは――少し離れた場所にたたずんでいるコカトリスを、ちらりと見た。
「……そちらの指揮は任せたわよ、コカトリス。くれぐれも、勝手な行動を取らないようにね」
「勝手な行動? わたしが持ち場を離れて、城に向かうんじゃないかと危惧しているのかしら?」
黄色い瞳を光らせながら、コカトリスはわずかに唇を吊り上げた。
「まあ、あなたがそのように思うのも無理はないかもしれないけれど……何せ城には、バジリスクの生命を打ち砕いた貴族がふんぞり返っているのでしょうからね」
「…………」
「でも、勝手な行動を取ったりはしないわ。そんな真似をしたら暗黒神様の作戦が台無しになって、いっそうバジリスクの再生が遅れてしまうもの」
そう言って、コカトリスはナーガの姿から目をそらした。
その口もとから笑みは消え、代わりに少し不貞腐れているような表情が浮かべられる。
「わたしは復讐をすることよりも、バジリスクの再生が早まることを重んじると決めたの。……どうか信じてもらえるかしら?」
ナーガは金色の瞳を半分まぶたに隠しながら、コカトリスの横顔をじっと見つめた。
その末に、剥き出しの肩を小さくすくめる。
「あなたがそのようにしおらしいと、少し不気味ね。まあ、あなたの覚悟のほどは、行動で示してもらうことにするわ」
「ええ、そうしてちょうだい」
そうしてナーガとコカトリスも、それぞれの配下のもとへと引き下がっていった。
僕はこっそり安堵の息をつきつつ、最後に居残ったファー・ジャルグとルイ=レヴァナントを振り返る。
「それじゃあ、僕も出発するよ。ルイは、ガルムと行動をともにするんだよね?」
「はい。兵団長と部隊長にも使い魔を託しましたので、私に役割は残されていないかと思われますが……開拓中である農園の北区には魔術師が常駐していると推測できますので、そちらの担当である魔獣兵団長のもとに留まろうかと思います」
「うん、よろしくね。何かあったら、すぐに連絡するよ」
僕はファー・ジャルグとともに、南の方角へと足を向けた。
700名もの魔物が身を潜める樹海の上で、空は何事もないかのように青々と晴れ渡っていた。
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