4 蹂躙

「すげえ……なんだよ、ありゃ? あいつら、あんな力を持ってたのか?」


 僕の障壁に守られたリザードマンのひとりが、呆然とつぶやく。その目には、賞賛と恐怖の感情が入り混じっていた。


「噂には聞いてたけど、俺たちみたいな下っ端が暗黒神様のおそばで戦うことはなかったからな。それにしても……本当にすげえや」


「すげえどころの騒ぎじゃねえよ。あんなの、コカトリス以上の魔力じゃねえか。ラミアはともかく、ハーピィなんて俺たちと同じていどの魔力しか持ってなかったってのにさ」


 他のリザードマンたちも、内心の困惑を隠しきれずにいた。

 ただひとり、ルイ=レヴァナントだけは冷徹な眼差しで女怪たちの戦いを見守っている。その腕に支えられたオスヴァルドがぐったりと力を失っているのに気づいて、僕は慌ててしまった。


「ど、どうしたんだい? オスヴァルドも、どこかやられてしまったのかな?」


「いえ。人間の精神には負荷の大きい光景であるように思いましたので、コカトリスが本性を現わそうとした時点で眠りの術式を施しました」


「そっか。障壁を維持するのに精一杯で、ちっとも気づかなかったよ」


「……どうやら我が君に置きましては、魔力の扱いに不備を抱えておられるご様子ですね。本来のベルゼビュート様であれば、障壁を維持しながら敵を相手取ることも容易であったかと思われます」


 そう言って、ルイ=レヴァナントは冷ややかな流し目をくれてきた。


「デイフォロス公爵領を攻略する前に、ベルゼビュート様にはいささかの修練が必要であるやもしれません。よろしければ、私が修練の内容を計画いたしましょう」


「ああ、うん。お手柔らかにお願いするよ」


 僕たちがそんな言葉を交わしている間に、この世ならぬ戦いは終わりを迎えようとしていた。


「どきなさい、あなたたち!」


 コカトリスの黄色い双眸から、凄まじい魔力が放出された。

 鋭い槍のごとき魔力で胴体を貫かれた『門番』は、びくんっと痙攣して動かなくなる。その隙に、頭上からはナナ=ハーピィの鉤爪が、横合いからはジェンヌ=ラミアの大蛇の牙が繰り出された。


 苦悶の波動が、びりびりと世界を震わせる。

 そして――『門番』は粉々に砕け散ると、登場した際と同じように渦を巻きながら、ぽっかりと浮かんでいた漆黒の円環の中に吸い込まれていった。


 世界が、静寂に包まれる。

 それと同時に、背後で広間の扉が荒っぽく開かれた。


「おお、開いたぞ! 暗黒神様、ご無事であられましたか!」


 この城に居残っていた魔物たちが、先を争ってなだれ込んでくる。

 それを横目でにらみつけながら、ナナ=ハーピィは「ふん」と鼻を鳴らした。


「今さら遅いんだよ、この……役立たずども……」


 空中に浮かんでいたナナ=ハーピィが、ふいに力を失って墜落する。

 その過程で、禍々しく膨張していた大鷲の肉体は黒い塵と化していった。


 僕は慌てて壇上まで飛び上がり、ナナ=ハーピィの身体を抱きとめる。

 もとの姿に戻ったナナ=ハーピィは、すうすうと可愛らしい寝息をたてていた。


「おっとっと」


 さらに、ジェンヌ=ラミアの身体まで降ってきたので、今度は魔力で手もとに牽引する。彼女もまた、美しい裸身のあちこちに鱗を生やしただけの、もとの姿に戻っていた。


「ふたりとも、お疲れ様」


 鳥人間であるナナ=ハーピィはともかく、ジェンヌ=ラミアの裸身は目の毒であったので、僕は衣服を具現化してあげた。

 すると、背後からコカトリスの声が聞こえてくる。


「相変わらず、ふざけた術式ね。まあ、使うたんびに寝入っているようじゃあ、お話にならないけれど」


「ああ、コカトリスもお疲れ様――」


 と、そちらを振り返った僕は、「あわわ」と情けない声をあげてしまった。半人半妖の姿に戻ったコカトリスもまた、裸身であったのだ。


「何よ、わたしの姿に文句でもあるの?」


「いや、まあ、早く服を着るべきなんじゃないのかな?」


「あれだけ魔力を振り絞ったのだから、わたしだって疲弊しているのよ。あんまり無茶は言わないでほしいものね」


 コカトリスは両腕が鱗に覆われていたが、それ以外は人間の皮膚であったのだ。肩や脇腹の辺りにちらりとエメラルドグリーンのきらめきが覗いているので、背中は鱗に包まれているのやもしれないが、ともかく前面部は抜けるような白い肌であったのだった。


「うん、そうか。大変な役割を任せてしまったね。これは、せめてものお詫びだよ」


 僕はちょちょいと魔力を飛ばして、コカトリスに衣服をプレゼントしてあげた。

 コカトリスは赤褐色の髪を弄りながら、そっぽを向く。


「……あなたの魔力が身体にへばりついているみたいで、なんだか居心地が悪いわね」


「それは申し訳ない。自分で服を具現化できるようになったら、そいつは処分しておくれよ」


 そんな風に言ってから、僕はコカトリスに頭を下げてみせた。


「それよりも、リザードマンのひとりを犠牲にしてしまったね。僕がきちんと暗黒神としての力を使いこなすことができていれば、守ることができたはずなのに……君には、申し訳なく思っているよ」


「はあ? どうしてあなたが、そんなことでわたしに頭を下げなければいけないのよ?」


「だって彼は、君の部下だっただろう? もちろん、僕にとっても同胞であったはずだけど……とにかく、謝らせてほしいんだ」


「……よしてよ。そんなことより、あなたの仕事はここからが本番でしょう?」


 コカトリスの目が、壇上の中央に向けられる。

 あれだけの騒乱を撒き散らしておきながら、漆黒の円環は静謐そのものであったのだ。

 僕は壇上に駆け上がってきた魔物たちにナナ=ハーピィたちの身柄を託してから、漆黒の円環に向きなおった。


「よし。それじゃあ、人魔の術式の正体を探らせていただこう」


 僕は円環の前にまで進み出て、探知の触覚を侵入させた。

 円環の向こうには、淡い灰色をした虚無が広がっている。熱も、重さも、匂いもない、きわめて茫漠とした空間である。おそらくは、人為的に作られた亜空間であるのだろう。やはり原理は、僕の衣装棚と大差はないようであった。


 その最果てに、人魔の術式の触媒が存在した。

 いや――これを触媒と称していいのだろうか。それは物理的な存在ではなく、難解な数式で構築された、固形化した概念のようなものだった。


 この地に紋章を持つ人間が足を踏み入れたら、その身が爆散してしまわないように調節された魔力を注入し、人魔へと変貌させる。人魔の術式とは、そういう魔術だ。

 言ってみれば、僕がナナ=ハーピィたちに施した強化の術式と原理は似たようなものであるのだろうが――その対象は、10万名の農奴と1万名の市民と数百名の貴族である。それを実現させるための膨大な魔力と膨大な計算式が、ここに集約されているようだった。


「なるほど。こんな形で魔術を発動させることもできるのか。……レヴァナント、これは破壊してしまってもいいんだよね?」


「それには、一考の余地があるでしょう。人魔の術式の原理を解明するには、破壊する前に検分が必要なのではないでしょうか」


「何を言ってるのよ。そいつを破壊しない限り、大地の魔力は無駄に吸われ続けてしまうのでしょう?」


 コカトリスが、殺気をはらんだ目つきでルイ=レヴァナントをねめつけた。


「なんだったら、わたしがあなたの腐った脳髄を破壊してあげようかしら? そうしたら、きっと暗黒神様もわたしの無念を理解してくれるでしょうしね」


「そんな真似をしなくったって、僕は理解してるつもりだよ、コカトリス」


 コカトリスの憤懣をなだめつつ、僕はルイ=レヴァナントに向きなおった。


「それに、検分は不要だね。というか、検分はもう済んだよ」


「……とは、どういう意味でしょうか?」


「この術式の構造は理解できた。ずいぶんと難解な作りであるみたいだけど、けっきょくは数式の組み合わせに過ぎないからね。なんだったら、いつでもどこでも再現は可能だと思うよ」


「再現が可能……そのように容易く、人魔の術式の原理を解明することがかなったのでしょうか?」


「うん。でも、厄介なこともわかった。こいつを破壊するには、どうしたって亜空間の扉を開いて、直接魔力で干渉するしかないみたいだ。だから魔術師たちも、遠隔で解除することができなかったんだと思うよ」


 つまり僕たちは、これからすべての城を巡って、ひとつひとつその領地の術式を破壊していかなくてはならない、ということであった。


「まあ、破壊の方法は解明できたんだから、それでよしとするしかないだろうね。まずはデイフォロス公爵領の城内に忍び込む算段を考案するとして……この術式は、ここで破壊させていただくよ」


「……我が君のご意思のままに」


「了解」と一言告げて、僕は数式の塊に魔力を注入した。

 コンピューターのプログロムにウイルスを送り込むようなものである。しばらくの混乱の後、人魔の術式を構築する数式は、至極あっけなく崩落した。


 それと同時に、かすかな振動が空間を揺るがせる。

 広場に集まった魔物たちは、一斉に驚嘆の声をあげることになった。


「なんだこりゃ? すっげえ魔力があふれてきたぞ?」


「ああ、もともと魔力は豊かな地だったけど……こいつは、すげえな!」


 人魔の術式に縛られていた大地の魔力が、解放されたのだ。

 魔物にとっては、その場で立っているだけで手傷や疲れが癒されるような心地であった。

 そんな中、コカトリスが「ああ……」と吐息をもらす。


「あなたはすべて正しかったのだわ、暗黒神様……人魔の術式というのは、これほどまでに大地の魔力を奪い取っていたのね」


「うん。この調子で人魔の術式を破壊していけば、バジリスクの再生もうながせるはずさ」


 コカトリスは、黄色く光る瞳で僕を見つめていた。

 おそらくは、涙が瞳を光らせているのだろう。


「……もう誓いのくちづけは済ませているのだから、いちいち御礼を言ったりはしないわよ?」


 そんな風に言いながら、コカトリスはとても穏やかな表情で微笑んでくれた。

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