3 門番
「ひゃー、こいつはたまらんね! 騒ぎが収まるまで、俺は避難させていただくよ!」
そのように言いたてるなり、ファー・ジャルグは僕の影の中に消え去った。
残るメンバーは、8名。ルイ=レヴァナント、ナナ=ハーピィ、ジェンヌ=ラミア、コカトリス、オスヴァルド、そして3名のリザードマンだ。
壇上に集結した漆黒のエネルギー体は、周囲の空間を軋ませながら竜巻のように渦を巻いている。これだけの力を持ちながら、そこには思考も感情も感じられない。それは盲目的に周囲の存在を破壊する、禍々しい虚無そのものであった。これが、人魔の術式を守護する『門番』であったのだ。
「これじゃあ僕も、身動きが取れないな。みんなもファー・ジャルグみたいに、僕の影に隠れることはできないのかな?」
「そんなの、できるわけないじゃん! 小人族なんて、おかしな魔術にばかり長けてるんだからさ!」
轟々と唸りをあげる暴風の波動にあらがうように、ナナ=ハーピィは声を張り上げていた。
すると逆の側からは、コカトリスが僕に呼びかけてくる。
「身動きが取れないって、どういうこと? あなただったら、わたしたちを守りながら戦うこともできるのじゃないかしら?」
「いや、今はみんなを守るだけで精一杯なんだよ。気を抜いたら、あのエネルギーの奔流に呑み込まれてしまいそうなんだ」
もちろん、そのような事態に陥ったとしても、この暗黒神の強靭な肉体が破壊されることはないだろう。
しかし、他のみんなは無事に済みそうにない。感触として、あのエネルギー体は上級の魔物に匹敵する力を備えているのだ。この中でその猛威に耐えられるのは、コカトリスひとりであるはずだった。
「そう……だったら、わたしがどうにかするしかないということね」
形のいい唇を勇猛に吊り上げながら、コカトリスはそう言った。
「わたしもちょっと暴れたい気分だったから、ちょうどいいわ。あんなもの、八つ裂きにして塵に返してやるわよ」
コカトリスの肉体が、凄まじいまでの魔力を放出した。
その勢いに耐えかねたように、コカトリスの肉体がめきめきと形を変じていく。エメラルドグリーンの鱗に覆われた両腕は竜のごとき翼と化し、その身を包んでいた白い
(これが……コカトリスの本性なのか)
コカトリスの美しい顔は、鱗ではなく白い羽毛に包まれていた。
妖艶なる唇は鋭い
ふた回りも大きくなった胴体はエメラルドグリーンの鱗に覆われて、胸には大きな乳房が垂れる。顔は雄鶏でも、やはり女性であるのだ。
足は羽毛に包まれて、鳥類らしい鉤爪が生えのびる。そして、もともと腰からのびていた蛇の頭は雄鶏の頭と同じぐらいの大きさにふくれあがり、丸太のように太い胴体がずるずるとのびていった。
竜のごとき翼と胴体に、雄鶏の頭部と下肢、そして長大なる蛇の頭を腰に生やした、合成生物――それが、コカトリスの正体であるようだった。
コカトリスは金属的な咆哮をあげるや、壇上のエネルギー体――『門番』に飛びかかる。
すると、黒い竜巻のごとき姿をした『門番』の上部から、触手のようなものが放たれた。
人間の腕ぐらいの太さをした触手が、やはり竜巻のように渦を巻きながら、コカトリスを迎撃する。空中で両者がぶつかりあうと、凄まじい衝撃波が石の壁や床を揺るがせた。
「何よ、あれ……まるで、魔力そのものが暴れ狂っているみたい……」
僕の背中にぴったりと身を寄せながら、ジェンヌ=ラミアがそんな風につぶやいた。
『門番』は轟々とうねりながら、その輪郭を変じていく。下部が広がって台形の形状となり、上部からは無数の触手が生み出されたのだ。それはまるで、悪夢のように巨大な漆黒のイソギンチャクであるかのようだった。
コカトリスは竜の翼で虚空を旋回し、漆黒の触手がそれを追いかける。あの触手でからめ取られたら、いったいどのような目にあってしまうのか、あまり想像したくないところであった。
「もう! この城の連中は、何をやってるのさ! こんだけ大騒ぎしてるのに、ぐーすか眠ってんの!?」
ナナ=ハーピィがわめきたてると、ルイ=レヴァナントが「いえ」と応じた。
「この空間は、あれなる守護者の出現によって固く閉ざされたように感じられます。ただの障壁であれば打ち破ることもかないましょうが、これは次元の歪みによって生じた隔壁であるようなので、上級の魔物でも解除することは困難であるかと思われます」
「言ってる意味がわかんないよ! どいつもこいつも、役に立たないんだから!」
ナナ=ハーピィは頭をかきむしってから、僕の腕に取りすがってきた。
「だったら、あたしがコカトリスの手助けをするよ! ベルゼ様、魔力をちょーだい!」
「え? 魔力をちょうだいって、どういうこと? 他の魔物に魔力を貸すことなんてできないだろ?」
「なに言ってんのさ! あたしと淫乱蛇女は、ベルゼ様の侍女なんだよ?」
僕がきょとんとしていると、ルイ=レヴァナントが説明をしてくれた。
「ベルゼビュート様は侍女たるハーピィとラミアに、ご自身の魔力を譲渡する術式を施しておられたのです。その術式を発動させれば、両名はコカトリスにも劣らぬ魔力を振るうことがかないます」
「そ、そうなの? 魔力を譲渡するって、どうやればいいんだろう?」
「それは、存じません。ただ、すでに術式は施されておりますため、魔力を注入するだけでよろしいのではないかと思われます」
普通、他者にキャパシティを超える魔力などを注入してしまったら、肉体が弾け飛んでしまうだろう。
しかし、僕を見上げるナナ=ハーピィの瞳には、深い信頼と覚悟の光が灯されていた。
「ほら、早く! コカトリスが死んじゃったら、バジリスクに会える日がますます遠のいちゃうじゃん! そんなの、ベルゼ様だって嫌なんでしょ?」
「……わかった。ちょっと待っててね」
僕はみんなを守る障壁が崩落してしまわないように気をつけながら、ナナ=ハーピィに魔力を送りつけた。
すると、ジェンヌ=ラミアも逆側の腕にからみついてくる。
「わたしにもよ、暗黒神様……コカトリスは、わたしの同胞なのだからね……」
「ほらほら、もっとちょーだいってば! こんなんじゃ、ちっとも足りないよ!」
左右から急かされつつ、僕は懸命に魔力を振り絞った。
確かに、何らかの術式が施されているのだろう。ふたりの肉体と接している部分から、膨大なる魔力がするすると流れ込んでいく。それでもふたりの肉体は弾け散ることなく、僕の魔力を貪欲に呑み込んでいった。
そこに、錆びた金属をこすり合わせるような絶叫が響きわたる。
『門番』の放った触手が、ついにコカトリスの胴体をからめ取ったのだ。
白い羽毛と緑色の鱗、そして真紅の鮮血が、薄闇の中に飛散する。
竜巻のように渦を巻く『門番』の触手が、グラインダーのようにコカトルスの肉体を削っているのだ。
コカトリスは狂ったように身をよじったが、触手の拘束はいっかな緩む気配もなく、いっそう彼女を深く傷つけるばかりであった。
「コカトリス! 早く逃げるんだ!」
僕は、そのように叫ぶことしかできなかった。
その瞬間、僕の右腕からナナ=ハーピィの体温が消失した。
黒い魔力の尾を引いて、ナナ=ハーピィがコカトリスのもとに飛来する。その鉤爪が『門番』の触手を引きちぎり、コカトリスに自由をもたらした。
「ふん……またそんな、インチキ魔術に手を染めたのね」
コカトリスが荒い吐息まじりに雄鶏の嘴でつぶやくと、宙に羽ばたいたナナ=ハーピィは哄笑をほとばしらせた。
「ああ、気持ちいい! ベルゼ様の魔力をもらったのって、すっごくひさしぶり!」
ナナ=ハーピィは、いつの間にやら本性に戻っていた。
鳥の翼と下半身を持つその肉体が、凄まじいまでの魔力に包まれている。他ならぬ、僕が貸し与えた魔力である。
ただ――それは、僕の知るナナ=ハーピィの姿ではなかった。
緑色の双眸は炎のように燃え、可憐な唇からは鋭い牙が覗いている。それに、翼と両足が以前よりも大きいように感じられた。
「うふふふふ。これならもう、誰にも負けないからね!」
ナナ=ハーピィの肉体が、みしりと軋んだ。
彼女はまだ、変貌の途中であったのだ。
翼と両足はさらに巨大化していき、腰までを覆っていた羽毛が背中から首筋にまで広がっていく。そして、左右のこめかみから黒い骨のごとき角がめりめりと生えのびていった。
(すごい……本当に、コカトリス以上の魔力じゃないか)
そしてそれは、驚嘆に値する異形であった。
羽毛に覆われた背中の部分が膨張し、巨大な翼や下半身と繋がっていく。そうして完成されたのは、首のない巨大な大鷲の胸もとに、人間の頭部と胴体がうずまっているような、そんな恐るべき姿であった。
しかも、その頭部にはねじくれ曲がった角が生え、瞳は緑色の炎と化し、口からは無数の牙がこぼれている。もはや彼女は秀麗な顔立ちをした女の子ではなく、邪教徒が崇める災厄神のごとき異形に成り果てていた。
「まったく、醜い姿よね……魔獣族というのは、どうしてあんなに醜いのかしら……」
僕の腕を離れたジェンヌ=ラミアが、にゅるりと進み出た。
彼女もまた、異形の姿に変じていたのだ。
彼女の姿は、体長が10メートルもありそうな、銀色の鱗を持つ大蛇であった。
その巨大な鎌首の左側に、ジェンヌ=ラミアの裸身がおかしな形で生えている。まるで、右肩から袈裟斬りにして斜めに断ち割った上半身を、ぺたりと張りつけたかのような――あるいは、蛇の体内から頭と上半身の左半分だけを覗かせたような、そんな姿であったのだ。そして、その妖艶なる美貌に変わりはなかったが、こめかみから巨大な角が生えのびて、紫色の瞳は爛々と燃えあがり、口から無数の牙が覗いているのは、ナナ=ハーピィと同一であった。
「そら、さっさと片付けるよ!」
ナナ=ハーピィが、『門番』のもとに舞い降りた。
たちまち繰り出された触手の束は、大鷲の鉤爪で蹂躙する。
その間に、ジェンヌ=ラミアが本体のほうに飛びかかった。
巨大な蛇の顎が、ずんぐりとした『門番』の胴体に牙を立てる。『門番』に声を発する機能はないようだったが、その代わりに苦悶の波動がぞんぶんに周囲の空間を軋ませることになった。
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