4 聖堂と兵士

 その後、僕たちは南区の聖堂という施設を目指しながら、他の班のメンバーとミーティングを試みることにした。


『こいつら、話にならないよ。最初はへらへらしてるくせに、魔術師のことを聞こうとしたとたん、眉を吊り上げちまってさ。まったく、けったくそが悪いったらありゃしないね』


『こちらも、同様です。石の町において、魔術師の存在を語ることは大きな禁忌であるようです』


 町の西区を担当するエキドナとラハムからは、そのような報告が届けられることになった。


『迂闊にほじくると、それこそ衛兵を呼ばれちまいそうな勢いだよ。これ、いったいどうすりゃいいのさ?』


『そうだね。町の人間から魔術師の情報を集めるのは難しいみたいだ。以降は、市民に格下げになった貴族が存在するかどうかの情報収集に集中しよう』


『そっちのほうも、からっきしだけどね。農奴に格下げになった貴族ってのは、石の町でも評判だったみたいだけどさ』


 それは、こちらも同じことであった。20年前に、グラフィス公爵領から逃げてきた貴族が農園落ちしたという話はいまだに根強く囁かれているのに、市民落ちした貴族という話はひとつも聞こえてこないのだ。


『うーん。こうなったら、農園のほうに人手を集中したほうが得策なのかな。第3班と第4班のどちらかは、農園のほうに回ってもらおうか』


『だったら、わたいたちに申しつけておくれよ。これ以上こいつらと顔を突き合わせてたら、尻尾がにゅるにゅる飛び出しちまいそうだ!』


『了解。それじゃあ第4班は農園に回ってもらうとして……第5班は引き続き、町の西区で情報を収集しつつ、聖堂の確認をお願いするよ』


『承知いたしました。魔術師の情報を集める仕事を取りやめるなら、そう時間はかからないかと思われます』


『うん、よろしく。……ケルベロスとサテュロスのほうはどうだろう?』


『ああ。俺たちは、北区のほうに移動中だよ。農園落ちした貴族ってのは北区にいるらしいって風聞があったからな』


『こっちは、南区に向かってるよ。特に目新しい話はないんで、とりあえず農奴長ってやつの家を探してみるつもりさ』


『了解。エキドナの班は、農園の東区に向かってくれ。あ、いったん結界の外に出て、紋章を描きかえるのを忘れないようにね』


『わかってるよ! わたいがそんなヘマをするとでも思ってんのかい?』


 決して、そんな風には思っていなかった。むしろ、どの班もきちんと仕事を果たしているようで、感心したぐらいである。


『あ、それと、農園の北区には魔術師や兵士たちが集まってるはずだから、ケルベロスたちも気をつけてね。開拓作業をしている北の端には近づかないほうが安全だと思うよ』


『そんなことは承知してるぜ。今は町寄りの果樹園を伝って北区を目指してる最中だよ』


 ケルベロスのふてぶてしく笑っている顔が想像できそうな、念話の響きであった。まったく、頼もしい限りである。


『魔術師の存在がこうまで隠匿されているとなると、聖堂のほうでも大した成果は見込めないかもしれない。僕とラハムの班も、聖堂を確認した後は、農園に移るかどうかを検討しよう。……レヴァナントからは、何かあるかな?』


『いえ。魔術師と兵士の一団は、変わらずに開拓地の警護に留まっています。何か動きがありましたら、こちらからご連絡いたします』


『了解。それじゃあ各自、よろしくね』


 通信を終えた僕は、「ふう」と息をついた。他の班長たちほどではないにせよ、魔力を隠したまま念話を行うというのは、なかなかに集中力を要するものであるのだ。


 僕たちの班は、聖堂を目指して街路を北に進んでいる。1ブロックごとに通行人へと声をかけて、情報収集に励んでいるのだが、今のところ成果らしい成果はなかった。


「それじゃあ次は、わたしが声をかける番ね……」


 新たな十字路を越えたところで、ジェンヌ=ラミアが道行く青年に声をかけた。


「お忙しいところを、ごめんなさい……ちょっとお話をいいかしら……?」


「あん?」とうるさげに振り返った青年は、フードの陰に垣間見えるジェンヌ=ラミアの美貌に気づいた様子で、至極すみやかに脂下がった。


「なんだ、色っぽい女だな。お前が相手をしてくれるんなら、仕事を後回しにしてやってもいいぞ」


「うふふ……そういうお楽しみは、夜まで取っておきましょう……ちょっと聞きたいことがあるのよ……」


 ジェンヌ=ラミアは血の気の薄い肉感的な唇で、艶めかしく微笑んだ。


「この区域に、かつて貴族であった市民というのは存在するのかしら……? もしも存在するのなら、その所在を教えてほしいのだけど……」


「市民落ちした貴族? なんでそんなもんを捜してやがるんだよ?」


「わたしは西区の生まれなんだけど、市民落ちした貴族というのは、なかなか豊かな暮らしをしているものなのよ……どうせだったら、そういう上客をつかまえておきたいものじゃない……?」


 これもまた、ハンスやリビングデッドたちから得た情報をもとにこしらえた設定であった。

 青年は、小馬鹿にしきった様子で「ふふん」と鼻を鳴らす。


「こんな時間から遊びほうけてると思ったら、娼婦かよ。どうして西区の娼婦が、こんな場所をうろついてやがるんだ?」


「西区はちょっと居心地が悪くなったから、この南区に転居を願い出ているのよ……それで、答えはどうなのかしら……?」


「ふん。市民落ちした貴族なんざ、聞いたこともねえな。農園落ちした貴族の間違いなんじゃねえのかよ?」


「ああ……農園落ちした貴族のことなら、わたしもどこかで聞いた覚えがあるわ……だけどそれって、20年も前の話じゃなかったかしら……?」


「ああ、俺が産まれる少し前って話だから、それぐらいの頃なんだろうな。グラフィスとかいう領地が魔物どもにぶっ潰されて、貴族どもがこのデイフォロスに逃げ込んできたってんだろ? それで農園落ちするなんざ、お笑い種だよな」


 他人の不幸は蜜の味とばかりに、青年はせせら笑った。


「それ以降、貴族が格下げされたなんて話は聞かねえな。西区には、本当にそんなやつがいたってのか?」


「ええ、貴族の紋章の上から市民の紋章を刻まれていたから、間違いないはずよ……自分で紋章に手を加えるのは大きな禁忌なのだから、そんな下らない嘘のために生命を投げ出す人間はいないでしょうしねえ……」


「ふうん。ま、何にせよ、この南区に市民落ちした貴族なんざいねえと思うぜ? そんなやつがいたら、すぐに噂が広まるだろうからよ」


 青年は下卑た笑みを浮かべながら、ジェンヌ=ラミアに顔を近づけた。


「市民落ちした貴族なんざアテにしなくても、俺が毎晩通ってやるよ。いつになったら、南区に移り住むんだ?」


「さあ……それは区長の気分次第ねえ……もう何日かはかかるのじゃないかしら……」


「そんな何日も待ってられねえな。銅貨は出すから、俺の家に来いよ」


 青年の手が、ジェンヌ=ラミアのなよやかな腕をつかもうとした。

 しかし、その指先が触れる寸前、ジェンヌ=ラミアはふわりと後ずさる。


「うふふ……我慢に我慢を重ねたほうが、閨の悦楽というのは高まるものなのよ……あと数日、せいぜい我慢を重ねてごらんなさい……」


「たまらねえな、畜生め。いつまでも姿を現さなかったら、西区の娼館まで乗り込んでやるからな」


 青年はにたにたと笑いながら背中の荷物を抱えなおし、雑踏の向こうに消えていった。

 ジェンヌ=ラミアはこちらに向きなおり、色っぽい仕草で肩をすくめる。


「また空振りだったわね……やっぱり南区に、市民落ちした貴族というのは存在しないのじゃないかしら……」


「うん、そうかもしれないね。とりあえず、聖堂を目指そうか」


 そうして歩を再開させながら、僕はジェンヌ=ラミアに笑いかけてみせた。


「それにしても、ジェンヌの芝居は見事なものだね。不作法な人間のあしらい方も完璧じゃないか」


「うふふ……ベル様に召し抱えられるまでは、毎日のように男どもが群がっていたもの……それに比べれば、虫けらを指で弾くようなものよ……」


「ふーんだ! 淫乱女にはうってつけの役割ってこったね!」


 ナナ=ハーピィが口をはさむと、ジェンヌ=ラミアは余裕の表情でそちらを振り返った。


「ベル様のお役に立てるなら、光栄なことだわ……あなたこそ淫婦のくせに、子供じみていて色香はからっきしだものね……」


 ナナ=ハーピィがわめき散らす前に、僕は「まあまあ」と掣肘しておいた。

 実際のところ、ジェンヌ=ラミアがフェロモン過剰なだけで、ナナ=ハーピィに色香が足りないとは思わない。ただ、彼女はあまりに元気いっぱいで無邪気すぎるため、娼婦を演じるには不向きであるのかもしれなかった。


「それにしても、町にはロクな人間がいやしないね。こんなやつら、生かしといたって何の役にも立ちゃしないさ」


 僕の頭上から、ドリュー=パイアの不機嫌そうな声が降ってきた。

 歩きながら、僕はそちらの顔を見上げる。


「でもそれは、人魔の術式の影響なんだろうからね。ハンスなんかは、決して悪い人間ではないだろう? 君だって、けっこう気が合うみたいだったじゃないか」


「なんであたしが、あんなやつと! ……そりゃあまあ、この町にいる連中よりかは、なんぼかマシかもしれないけど……」


「そうだろう? 人間たちの価値を見定めるのは、術式を壊した後にするべきだと思うよ」


 僕がそのように答えたところで、ようやく目的のものが見えてきた。

 整然と立ち並ぶ建造物の中から、ひとつだけぽつんと離れた場所に屹立する、円柱の形をした塔である。それこそが、聖堂と呼ばれる魔術師たちの本拠地であった。


「うん。ハンスが言っていた通りの場所だね」


 聖堂の向こう側には、5メートルほどの高さを持つ城壁が見えている。デイフォロス公爵家の城を守る城壁である。町の各区域に建てられた聖堂は、いずれもこうして城壁のすぐ外側に位置するという話であったのだった。


「なんか、あっちはぜーんぜん人通りがないみたいだね。あたしらが近づいたら、すっごく目立っちゃうんじゃない?」


 ナナ=ハーピィの言う通り、聖堂の周囲はぽっかりと無人になっていた。

 聖堂そのものは塀に囲まれているわけでもないのだが、居住区域から隔離されているために、そもそも近づく人間がいないのである。おまけに、聖堂の入り口では槍を掲げた兵士たちが守衛の役を果たしていた。


「まいったな。赤子が産まれたら連れていく場所だから、市民の出入りは自由なはずだって話だったけど……赤子が産まれたとき以外は、出入りする理由がないのかもしれないね」


 なおかつ、市民が魔術師に干渉するのは、大きな禁忌であるようなのだ。ハンスやリビングデッドたちからは得られなかった情報であるので、それは齢を重ねる内に自然に学んでいく掟であるのだろう。まず、自分が子を生す立場にならない限りは、聖堂にも用事が生じないのだろうと思われた。


「あれに近づくのは、危険だね。僕たちも、別の区域か農園に移動することにしようか」


 そのとき、ナナ=ハーピィとジェンヌ=ラミアが左右から僕の腕をつかんできた。

 いったい何事かと視線を巡らせた僕は、ハッと息を呑む。街路の向こうから、2名連れの兵士が僕たちに接近してきていたのだ。


「このような場所で、何をやっている。聖堂に用向きか?」


 以前に僕が出くわしたのと同じく、簡素な革の鎧を纏った兵士たちだ。頭には兜をかぶっており、腰には長剣を下げている。そしてその双眸は、町の人間たち以上に好戦的な光を宿していた。


「聖堂なんざに用事はないよ。ただくたびれたから、ちょいと足を止めてただけじゃないか」


 僕の姿を隠すように、ドリュー=パイアが進み出た。

 兵士たちは、うろんげにその姿を見上げる。彼らはどちらもそれなりの体格を有していたが、背丈はドリュー=パイアに負けていたのだ。


「このような昼間から、仕事もせずに何をしているのだ。お前のように図体のでかい女は、このあたりで見かけた覚えもないぞ」


「図体がでかくて悪かったね。あたしは、西区の生まれなんだよ。この南区に移り住みたいから、区長に申し立てをしている最中なのさ」


 兵士たちは、ますますうろんげに眉をひそめることになった。


「区外への転居だと? そうだとしても、昼間から遊んでいる理由にはなるまい」


「だから、南区がどんな場所なのか、検分してたんだよ。夜にはせっせと働いてるんだから、何も文句を言われる筋合いはないね」


「ふん……娼婦か。娼婦だったら、娼婦らしく媚を売るがいい」


 すると、兵士のひとりが「いや」と唇を吊り上げた。


「俺にはどうにも、適当な言葉を並べたてているようにしか思えんな。お前たちは……人間に化けた魔物なのではないのか?」


 僕はひそかに、心臓をバウンドさせることになった。

 しかしドリュー=パイアは、「はん」と鼻を鳴らしている。


「あたしたちが、魔物だって? ずいぶん面白いことを抜かす兵士さんたちじゃないか」


「つい先日、魔力を隠した魔物が西区に忍び込んだのだ。これまでにも、そういう騒ぎがなかったわけでもないしな」


「ふん。馬鹿馬鹿しくって、話にならないね。もしもあたしが魔物だったら、とっくにあんたたちの頭にかじりついてるだろうよ」


「ならば、魔術師に目通りを願ってみるか? ちょうど聖堂も近いことだしな」


 兵士たちは、嗜虐の形相でにたにたと笑っていた。

 ドリュー=パイアは臆した様子もなく、胸をそらす。


「そうしたいんなら、勝手にすりゃいいさ。恥をかくのは、あんたたちのほうだろうけどね」


「そうか。ならば、吟味させてもらおう」


 言いざまに、兵士がいきなりドリュー=パイアの腹部を殴りつけた。

 ドリュー=パイアはうめき声をもらし、石の街路に膝をつく。


「いきなり何をしやがるのさ……魔術師に目通りを願うんじゃなかったのかい……?」


「こんなことで魔術師の手をわずらわせるのは、気が引けるのでな」


 硬そうな革のブーツを履いた兵士の足が、ドリュー=パイアの顔面を横から蹴り抜いた。


「そら、正体を現してみろ。俺の頭にかじりついてみろよ」


 街路に倒れたドリュー=パイアの身体を、兵士たちは容赦なく踏みにじった。

 思わず非難の声をあげそうになった僕の口が、横からナナ=ハーピィにふさがれる。ナナ=ハーピィはいつになく真剣な面持ちで、首を横に振っていた。


「ふん……どうやら魔物ではなかったようだな」


 兵士のひとりが、ドリュー=パイアの背中に唾を吐き捨てた。


「女のくせに、人を見下ろすんじゃねえよ。そうやって、地面に這いつくばってるのがお似合いだ」


「そっちは、別嬪ぞろいだな。南区への転居が許されたら、せいぜい俺たちも可愛がってやるよ」


 兵士たちは陰湿な笑い声を響かせながら、街路の向こうに立ち去っていった。

 往来の人々は見て見ぬふりで、そそくさと通りすぎている。領地の平和を守る兵士は、市民にとって畏敬の対象であるのだろう。

 僕はナナ=ハーピィたちの手を振り払い、ドリュー=パイアのもとに屈み込んだ。


「大丈夫かい、ドリュー? ほら、手を貸して」


「……うるさいね。魔力はこぼさなかったんだから、文句はないだろ?」


 ドリュー=パイアは、ひょこりと半身を起こした。

 蹴られた左頬は青黒く内出血しており、唇の端からは血が垂れている。僕が懐から出した手拭いでその血をぬぐってあげると、ドリュー=パイアは真っ赤になって身を引いた。


「な、何しやがるんだよ! あたしの顔に、勝手にさわんな!」


「うん、だけど、そのままにはしておけないだろう?」


「こんなもん、屁でもないよ! いいから、さわんなって!」


 ドリュー=パイアは、あたふたと立ち上がった。

 が、途中でどこかが痛んだのだろう。「うっ」とうめいてよろめくと、ナナ=ハーピィが横から支えた。


「あんた、魔力をこぼすんじゃないかってヒヤヒヤしちゃったよ。でも、最後までよく我慢したねー」


「ふん。こんなていどで、そんなぶざまな真似ができるもんかい」


 ドリュー=パイアに肩を貸しながら、ナナ=ハーピィはにっこり微笑んだ。


「うん、あんたのことを見直したよ! さすが、蛇どもとは根性が違うね!」


「うるさいわね……大きな声で、迂闊なことを言うんじゃないわよ……ベル様、この場はすみやかに離れるべきじゃないかしら……?」


「ああ、そうしよう。とにかく町の中央に戻って、それから――」


 そのとき、脳裏にケルベロスの声が響きわたった。


『全員、聞こえてるな? 農園落ちした貴族ってのを見つけたぜー』


 それはあまりに唐突な報告であったので、僕は瞬時、言葉を失ってしまった。

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