第6章 黒き円環

1 尋問

 夜である。

 潜入捜査の初日を終えた僕たちは、外界で待機していたガルムの部隊と合流し、南方の岩場に仮の拠点を築くことになった。


 ガルムの率いる200名の魔物たちは、日中に確保した獣の肉と、暗黒城から持参した酒で、祝宴のごとき晩餐を楽しんでいる。それを横目に、僕と一部の魔物だけが、岩盤に穿たれた洞穴へと移動することになった。


「農園落ちした貴族を確保できたことが、今日一番の収獲だね。第2班の大手柄だよ、ケルベロス」


「ふん。敵の首を取ったわけでもねーし、達成感とは無縁なお仕事だな」


 洞穴を目指して歩きながら、ケルベロスはまんざらでもなさそうに肩をすくめた。変化の術式は解いているので、闇に真紅の双眸が瞬いている。

 ケルベロスの他に同行しているのは、ルイ=レヴァナントとファー・ジャルグ、それに蛇神兵団の代表たるエキドナであった。これから、ケルベロスたちが確保した元貴族の農奴を尋問するところであるのだ。


 正午から日没までの半日をかけて、僕たちは情報収集の任務にあたった。そちらからもそれなりに有益な成果を手にできていたが、やはりケルベロスたちの功績は群を抜いているだろう。リビングデッドの少女からもたらされた風聞だけを頼りに、彼らは見事、農園落ちした貴族を発見してみせたのである。


「西区でかき集めた情報通り、そいつは北区で働いてたよ。で、夜には何十人もの人間と同じねぐらに詰め込まれるって話だったから、日が沈む寸前に拉致ってきたんだ。べつだん、大した手間ではなかったぜ」


「そっか。でも、魔力は使えなかったんだから、苦労したんじゃないのかな?」


「いんや。そいつも抵抗らしい抵抗はしなかったからな。ま、自分で見てみりゃあ、その意味もわかるだろ」


 洞穴の前でも、何名かの魔物たちが酒盛りをしていた。その内の3名は、ケルベロスと同じ第2班の面々だ。バグベアもアーヴァンクもウェアタイガーも、それぞれ本性をさらして肉と酒を楽しんでいた。


「おい、中のジジイに変わりはねーだろうな?」


「もちろんさ。ときどき様子を覗いてるけど、大人しいもんだよ」


 僕はバグベアたちにもねぎらいの言葉をかけてから、暗い洞穴に足を踏み入れることにした。

 入り口の辺りは真っ暗であるが、奥のほうには青白い鬼火が灯されている。そしてその場所に、ひとりの人間が黙然と座している姿が見えた。


「失礼します。よかったら、僕と言葉を交わしてください」


 灰褐色の髪をした、男性の老人である。農奴らしく痩せ細っているが、その表情は厳しく引き締まっている。頬のこけた顔には老木のように皺が寄り、髪も髭ものばし放題であったが、そこには確かに貴族らしい威厳が感じられるような気がした。


 老人は後ろで腕をくくられており、さるぐつわまでかまされていたが、それは逃亡ではなく自害を防ぐための用心であるのだろう。そんな哀れな姿であるにも拘わらず、彼は真っ直ぐに背筋をのばして、岩の上に膝をそろえている。


 しばらくすると、老人はゆっくりとまぶたを開いた。

 そこから現れたのは、光の強い茶色の瞳だ。

 その茶色の瞳が、値踏みするように僕たちをにらみ回してきた。


「……ファー・ジャルグ、彼の拘束を解いてもらえるかな?」


「ほいほい。本日初めてのお仕事だね」


 ファー・ジャルグがひょいっと手をかざすと、さるぐつわと荒縄が消失した。

 老人は悠揚せまらず、自由になった両手を膝の上に移動させる。

 その炯々と光る目は、やがてケルベロスに固定された。


「……なるほど、それがおぬしの本性であるのじゃな、魔物よ」


「ああ、すっかり見違えたろ?」


 ケルベロスは、暗灰色の顔でにやりと笑った。瞳は赤く燃え、口の端からは鋭い犬歯がこぼれているので、人間の目にはさぞかし恐ろしき姿に見えることだろう。


「それで……魔物の王とは、おぬしであるのか?」


 老人の目が、ルイ=レヴァナントに移動された。

 ルイ=レヴァナントは氷のような無表情で、「いえ」と首を横に振る。


「我々の君主は、こちらの御方です」


 ルイ=レヴァナントが僕のほうに手を差しのべると、老人はうろんげに眉をひそめた。


「そのように小さき娘が、魔物の王であるのか。まあ、しょせんは見せかけの姿なのじゃろうがな」


「はい。着替えるのが面倒であったので、この姿のまま参上しました」


 僕は老人の前まで進み出て、そこに腰を下ろすことにした。

 ファー・ジャルグだけがそれにならい、他の3名は左右に立ち並ぶ。その中で、エキドナが「ふん」と鼻を鳴らした。


「本当にこいつが、貴族だった人間なの? こんな見すぼらしい老人が上級の人魔だったなんて、なかなか信じられないね!」


「……我が名は、オスヴァルド。かつてはグラフィス公爵領において、男爵の位を授かっていた身じゃ」


 力感のある声で言いながら、老人は右の手の甲を僕たちにかざしてきた。

 筋張った手の甲には、星形を基調にした銀色の紋章が刻まれており、その上から赤黒い焼き印が捺されていた。


「オスヴァルド男爵ですか。僕は魔物たちを統べる暗黒神、ベルゼビュートと申します」


「儂は20年前に、爵位を剥奪された身じゃ。農奴に身を落とした人間を男爵呼ばわりするのは、不相応じゃろうよ」


「では、オスヴァルドと呼ばせていただきますね。あなたは抵抗らしい抵抗もしなかったそうですが、それは何故なのでしょう?」


「人魔の術式を使わずして、人間が魔物にあらがうすべはない。儂の生命を奪いたいなら、さっさとそうするがよかろう」


「あなたは、死を恐れていないのですか?」


「……儂は何度となく、おぬしたちと戦ってきた。人魔の術式などというおぞましい手管に頼っていなければ、とっくに散らしていた生命じゃろう。今さら惜しむものではない」


 僕が想像していた以上に、彼は毅然としていた。

 石の町で見せつけられてきた市民たちの下卑た様相とは、あまりにかけ離れた姿である。そのギャップが、僕をひそかに戸惑わせた。


「あなたは人魔の術式をおぞましいと認識されているのですね。それでしたら、僕たちも喜ばしく思います」


「ふん。人魔の術式とは、人を魔に化けさせる術式であるのじゃ。身も心もおぞましき魔物に変ずるのじゃから、おぞましき術式と称する他あるまい。我々は、不浄の存在と相対するために、自らの存在を不浄に貶めてしまったのじゃ」


「なるほど、あなたはそのように考えておられるのですね。もしかしたら、貴族たるあなたが農園送りにされてしまったのも、そういった思想が原因であったのでしょうか?」


 オスヴァルドは目を細め、その瞳をいっそう鋭く光らせた。


「あやつらは、魂までもが魔に堕ちてしまったのじゃろう。儂の魂も穢れきっておるのじゃろうが、こうして人間のまま死せることを喜ばしく思う。……さあ、好きなように、儂の生命を蹂躙し尽くすがいい」


「……どうやら貴方は死を恐れているわけではなく、能動的に死を望んでおられるようですね」


 と、ルイ=レヴァナントが凍てついた声をあげた。


「ならばどうして、貴方は今日まで生き永らえていたのでしょう? グラフィス公爵領が滅んでから20年、自ら生命を絶つ機会はいくらでもあったのではないでしょうか?」


「……自ら生命を絶つじゃと? そのように恥知らずな真似ができるものか。自らの運命から逃げることなど、武人に許されるはずもなかろう」


「貴方は、武人であられるのですか?」


「……儂は男爵家の当主として、騎士団を率いる身であったのじゃ。今日までに、数多くの魔物を滅してきた。とっととその恨みを晴らすがよかろう」


「また死を望まれましたね。貴方はどうして、そのように死を欲しているのです?」


 何か奇妙な波動を感じて、僕はルイ=レヴァナントの長身を見上げることになった。

 闇の中で、ルイ=レヴァナントの瞳が青く光っている。彼は、なんらかの魔術を発動させていたのだ。


(これは、催眠……? いや、魅了とでもいうべきなのかな?)


 それと相対するオスヴァルドは、いつしか苦悶に顔を歪めていた。

 皺深い顔には、脂汗がじっとりと浮かんでいる。


「儂は……儂が公爵家の者たちにたてついたばかりに、すべての家族が破滅することになったのじゃ……儂は誰よりも、苦しみながら滅びなくてはならないのじゃ……」


「貴方の家族は、公爵家の者たちに処刑されてしまったのですか?」


「否……全員が、農園送りにされることとなった……その恥辱に耐えきれず、家族たちは自ら生命を絶つこととなったのじゃ……」


「貴方は何故、そうまでして公爵家の者たちにたてつくこととなったのでしょう?」


 ルイ=レヴァナントは、淡々と質問を重ねていく。

 それに応じるオスヴァルドは、熱病にうかされているように全身を細かく震わせていた。


「儂は……人魔の術式などに頼るべきではないと、主張した……魂を穢すぐらいであれば、人間として戦い、人間として滅ぶべきじゃと……じゃから、あやつはずっと儂を目障りに思っていたのじゃろう……」


「あやつとは、グラフィス公爵家の当主であった者のことでしょうか?」


「そうじゃ……グラフィスで暮らしていた頃は、騎士団長たる儂を排斥することもできなかったのじゃろうが……このデイフォロスに逃げのびるなり、あやつは……儂の一族を農園送りに……」


 そこでオスヴァルドは、ふいにぎゅっとまぶたを閉ざした。

 そして、「おのれっ!」と咆哮をあげる。


「おぬし、儂に何をした……おぞましき手管で、儂の心を嬲ったな!」


「人間としては、賞賛に値する精神力であるようですね。自力で術式を打ち破るとは、想像の外でありました」


「おい、ル……レヴァナント、僕に断りもなしに、魔術を使わないでおくれよ」


 僕が非難の声をあげると、ルイ=レヴァナントは冷ややかな眼差しを向けてきた。

 青い光の消えた瞳には、いつも通りの黒い色合いが蘇っている。その奥底に隠された彼の思考を、僕は何とか読み取ることができた。


(優しい刑事と恐い刑事ってやつか。だからって、ルイが汚れ役を引き受ける必要はないのに)


 僕は溜め息を噛み殺しつつ、オスヴァルドに向きなおった。


「僕の配下が、失礼いたしました。でも、あなたが人魔の術式を疎んでおられるのなら、どうかお知恵を拝借できないでしょうか?」


「……お知恵じゃと? 人間が、魔物に助力をするとでも思うのか?」


「魔物のためにではなく、人間のためにです。僕たちも、人魔の術式を無効化するために画策しているのですよ」


 オスヴァルドは脂汗をぬぐいもせず、光を増した目で僕をねめつけてきた。


「そうしておぬしたちは、人間を滅ぼそうという目論見なのじゃろうが? そのような企みに加担する気はない!」


「さしあたって、僕の目的は人間の王を屈服させることです。人魔の術式などというものを使って僕たちに刃向かった人間の王に、然るべき報いを与えたいのですよ」


 老人の鋭い眼光を真っ向から受け止めつつ、僕はそのように答えてみせた。


「それでもなお、人間たちが魔族に逆らおうというのなら、お望み通りに正々堂々と戦ってあげましょう。戦うも降伏するも、人間たちの自由です。……だけどとにかく、人魔の術式だけは何としてでも叩き潰させていただきます」


 オスヴァルドの眼光が、わずかに揺らいだようだった。


「おぬしは……また儂に、何か魔術をかけおったのか?」


「いいえ。僕はただ、自分の正直な気持ちを申し上げているだけです」


 ただし僕は、いまだに「共存共栄」という言葉を口にできない立場である。それを人間たちに提示するならば、まずは同胞たる魔族のみんなに納得してもらう必要があったのだ。

 しかし、この気骨のあるご老人であるならば、そのように甘い言葉を弄する必要もない気がする。彼が人魔の術式を疎んじているならば、現段階でも手を携えられるはずであった。


「どーでもいいけどよ、手前は他の人間どもとずいぶん違ってるみてーだな」


 と、いきなりケルベロスが発言した。


「農園の連中は、みんな死人みてーに濁った目をしてるのに、手前だけはずいぶんと活き活きしてるじゃねーか」


「そうだね。町の連中なんかは活き活きとしてたけど、その代わりにどいつもこいつも性根が腐ってたよ」


 そのように応じたのは、不機嫌そうな顔をしたエキドナであった。


「そいつらとも、まったく違うみたいだよね。これって、あんたの従僕に似てる気がしない?」


「おお、蛇女と意見が合うのは珍しいこったな。俺もあの小僧を思い出してたところだよ」


 すると、ルイ=レヴァナントが剃刀のように言葉を差し込んだ。


「それは現在のこの者が、結界の外に身を置いているためであるのでしょう。人間の領地に満ちた魔力から解放され、本来の人格に立ち戻ったものと推測されます」


「へーえ、だったら町や農園の連中も、領地を出たら人格が変わるってのかよ?」


「その可能性は、高いでしょう。ただし……貴方の従僕やこの老人が、ひときわ清らかな人格を有していたという可能性も残されています」


「へん。似てるって言っただけで、清らかだなんて言っちゃいねーだろ。ふざけたこと抜かすと、その女みてーな口を耳まで引き裂いてやるぞ、死人野郎め」


 ケルベロスの悪態を聞きながら、僕も期待に胸を膨らませていた。


「人魔の術式が人間の人格を歪めるというのなら、なおさら僕は人魔の術式を無効化したく思います。そもそも僕たちは、人間の王が約定を破って魔族の領土を脅かしたことに腹を立てていたのですからね。人魔の術式を失ってなお、人間たちは魔族に逆らおうというのか、それを見定めさせていただきたいのですよ」


「……儂のような老いぼれに、何の役目も残されてはおらん。おぬしたちにできるのは、この皺首をもいで憂さを晴らすぐらいじゃろうよ」


「どうしてです? かつてグラフィス城で暮らしていたあなたなら、人魔の術式について何らかの知識をお持ちなのではないですか?」


 オスヴァルドは目を伏せて、力なく首を横に振った。


「あの狷介なる魔術師どもが、そのような秘密を知る人間を城壁の外に出すとでも思うのか? あやつらは……あやつらこそ、人の皮をかぶった魔物よ」


「では、あなたは人魔の術式について、何も知らされていないのでしょうか?」


「かつては、知らされていた。しかし、その記憶は奪われたのじゃ」


 苦渋の表情で、オスヴァルドはそのように言い捨てた。


「農園送りにされる際、儂たちは魔術師に術式を施された。その術式によって、あやつらにとって不都合な知識はすべて奪われてしまったのじゃ」


「記憶を、改ざんされたのですね」


 氷のように冷たい声で、ルイ=レヴァナントがつぶやいた。


「しかし貴方は、正気を保っています。その記憶は壊されたのではなく、封じ込められたのでしょう。ならば、私の術式で解放することも可能であるかと思われます」


「……その穢れた手で、儂にさらなる魔術を施そうというのか?」


「ええ。捕虜である貴方に、あらがうすべはありません」


 オスヴァルドは一瞬だけまぶたを閉ざし、それから意を決したようにルイ=レヴァナントをにらみ返した。


「やれるものなら、やってみるがいい。しょせんはおぬしたちに蹂躙されるのが、儂の運命であるのじゃ」


 ルイ=レヴァナントは無言のまま、僕を振り返ってきた。

 僕は懐にしまったままの使い魔を利用して、ルイ=レヴァナントに念話を送りつける。


『それで失敗して、このご老人を危険にさらすことはないだろうね?』


『ええ、おそらくは。リビングデッドの死した脳を蘇らせるよりは、手間も少ないかと思われます』


『……危険を感じたら、その術式は取りやめておくれよ。僕はまだ、このご老人と語らってみたいんだ』


『……我が君のおおせのままに』


 僕がひとつうなずいてみせると、ルイ=レヴァナントはオスヴァルドに近づいた。

 その青白い指先が、老人の皺深い額に当てられる。

 オスヴァルドは火のような目つきでルイ=レヴァナントの美貌をにらみつけ――そして次の瞬間、この世のものとも思えぬような絶叫をほとばしらせた。


「おいおい、殺しちまったんじゃねーの?」


 ケルベロスの嘲笑に応じるかのように、オスヴァルドは力なく倒れ伏した。

 ルイ=レヴァナントは手を下ろし、何事もなかったかのように僕を振り返る。


「成功いたしました、我が君よ」


「せ、成功? だけど、オスヴァルドは――」


 倒れ伏したまま、オスヴァルドは弱々しくうめいた。

 僕はそちらに駆け寄って、老人の痩せこけた背に手をあてがう。


「だ、大丈夫ですか? 水でも持ってきましょうか?」


 オスヴァルドは地面の岩盤を掻きむしりながら、震える声でつぶやいた。


「思い出した……何もかも、思い出したぞ……」

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