3 捜査開始
僕たちは、ついに石の町へと足を踏み入れた。
僕が先日にひとりで踏み入ったのは、おそらく北区か西区であり、ここは南区となる。しかしべつだん、石の家屋が立ち並ぶ町並みに大きな違いは見られなかった。
足もとには石畳が敷かれており、大勢の人々が行き交っている。大きな籠を背負ったり、荷車を引いたりしている人間がほとんどで、誰もがそれぞれの仕事に励んでいる様子だ。ときおり姿を見かけるのは、ずんぐりとした体格のロバであり、ひときわ大きな荷車を引かされている。
活気のある、人間たちの営みであった。
ただ――この数日でさまざまな知識を得たためか、僕の心には以前と異なる印象も浮かんでいた。
(この前は、ただ活気があるとしか思わなかったけど……なんだかみんな、妙に浮かれているような感じだな)
人々の表情は明るく、誰もが力に満ちている。身なりは粗末だが清潔にしており、痩せ細っている人間もほとんど見かけない。
しかし彼らは、どこか力を持て余しているようにも感じられた。
みんな陽気で、あちこちから笑い声も聞こえてきているのに、何かのちょっとした弾みで乱闘騒ぎでも始まってしまいそうな――薄皮一枚の下に激情が渦を巻いているような、そんな危うさが匂いたっているのだ。
(これがハンスの言ってた、人魔の術式の影響ってやつなのかな)
ハンスによると、市民の人々は常に強烈な破壊衝動や性衝動に苛まれているという話であったのだ。
そして農園の人々は、そんな衝動が暴発してしまわないように、食うや食わずやの貧しい生活を強いられているという。そういうやり口に、僕はこの社会の大きな欺瞞を感じ取っていた。
(何せ農奴っていうのは、一番人数が多いんだからな。そっちで叛乱でも起こされたら、鎮圧するのはひと苦労であるはずだ)
この社会は、農奴の忍耐と犠牲によって成立している。
奴隷制度とは縁のない社会で暮らしていた僕にとって、それは唾棄すべき世界であるとしか思えなかったのだった。
「……それで最初は、聖堂という場所に向かうのだったかしら?」
と、物思いに沈んでしまっていた僕に、ジェンヌ=ラミアが囁きかけてくる。
僕は内心の苦い感情を呑み下しながら、「そうだね」と応じてみせた。
「その行き道で、ハンスの生家に寄っておこう。その近所にあるっていう、魔術師を輩出することになった家を確認しておきたいからさ」
町の南端にたたずんでいた僕たちは、進路を北に取って進軍を開始した。
フードで顔を隠した女の4名連れであるので、やはり無遠慮な視線を向けてくる人間も少なくはない。しかし幸いなことに、そうそう声をかけてくる者はなかった。
ここは、けっこうな道幅を持つ大通りである。ハンスの助言と自身の経験から、人目の少ない路地は避けて、あえて大通りを闊歩しているのである。僕たちは市民の紋章を刻んだ手の甲をさらしていたし、このような昼間から人間に化けた魔物たちが堂々と大通りを闊歩しているなどとは、なかなか誰も思い至らないだろう。
15分ばかりも歩を進めると、大きな十字路に出た。
そこを東に曲がると、やがて目印の酒屋が見えてくる。看板には僕の知らない文字しか掲げられていなかったが、店の前に酒樽が並べられていたので、見誤ることもなかった。
「この酒屋の向かいがハンスの生家で、2軒隣が魔術師を輩出した家のはずだよ」
僕がそのように告げたとき、ハンスの生家の扉が勢いよく開かれた。
そこから飛び出してきたのは、5歳ぐらいの男の子である。男の子は、勢い余ってナナ=ハーピィの足にぶつかってしまった。
「なんだい、あんた? そんなやたらと走り回ってたら、ケガするよ」
ナナ=ハーピィは眉をひそめながら、男の子を見下ろした。
男の子は怯んだ様子もなく、「ふん」と鼻を鳴らしている。
「うわー、可愛くない子供だね! どんな種族でも、幼子の内は愛嬌があるもんなのにさ!」
「お、おいおい、ナナ……」
「わっ! 今、あたしの名前を呼んでくれたね!」
ナナ=ハーピィは喜色満面で、僕の腕にからみついてきた。
僕が溜め息をついていると、20代半ばぐらいの体格のいい男性が扉の向こうから現れる。
「家の前で騒がしいな。お前、また何かやらかしたのか?」
男の目は、先に出てきた幼子のほうに向けられていた。
幼子は、すました顔で「ううん」と首を横に振る。
「ぼく、なにもしてない。このおんなが、じゃまだっただけ」
幼子が指をさしたので、男の目が僕たちに向けられることになった。
「なんだ、女ばかりがぞろぞろと。俺の家に、何か用かよ?」
「いえ、そういうわけではないのですが……こちらは、あなたの家なのですか?」
「だったら、なんだよ? 何か難癖でもつけようってのか?」
僕は内心で、首を傾げることになった。ハンスの家族構成は、両親と祖母と姉のみであり、あとは野菜の仕分けという家業に従事する使用人のみという話であったのだ。
「実は以前、こちらの家のお世話になったことがあるのですが……その方々は、転居でもされたのでしょうか?」
「ああ、前の主人の知り合いかよ。あいつらは、半年以上も前に城壁の向こうに引っ立てられていったよ」
性根の悪そうな顔で笑いながら、男はそう言った。
「なんでも、城に召し抱えられた娘が貴族様に失礼な真似をしたらしくてな。一家全員、さらし首だ。で、俺の家がそいつらの仕事を引き継ぐことになったってわけだな」
「そう……ですか……それは痛ましい話ですね」
「痛ましい? 娘を貴族に差し出していい目を見てた連中なんだから、いいザマだろ。娘のほうも、自分だけが嬲りものにされるのは我慢がならなくて、くそったれな家族どもを道連れにしたんだろうなあ」
男はさも愉快そうに、げらげらと笑い声をたてた。
「おっと、こうしちゃいられねえ。とっとと荷物を運び出さないとな。……仕事の邪魔だから、用が済んだんなら消えてくれ」
「……はい。お忙しい中、ありがとうございました」
僕は暗澹たる気持ちで、足を踏み出した。
まだ僕の腕にからみついていたナナ=ハーピィは、「ねえねえ」と小声で囁きかけてくる。
「今のって、あのハンスって従僕の家の話だったんでしょ?」
「……うん。そうなんだろうね」
「そっかー。だったら、あいつは運がよかったね。あいつが家に居残ってたら、一緒に処刑されてたんだろうからさ」
僕は横目で、ナナ=ハーピィの表情をうかがってみた。
予想に反して、そこに浮かんでいたのは彼女らしからぬ神妙な表情である。
「よかったって言えるのかなあ? ハンスの家族は、皆殺しにされてしまったんだよ?」
「え? だって、あいつも家族のことは憎んでたじゃん。憎んでた相手が皆殺しにされたんなら、よかったでしょ」
「いや、いくら憎んでいたとしても、死んでほしいとまでは思ってなかったんじゃないかなあ」
「でもでも、あいつは姉っていうのが大事だったんでしょ? その姉っていうのが復讐のために家族を道連れにしたんなら、望んだ通りの結果じゃん」
そんな風に言ってから、ナナ=ハーピィは遠くを見るように目を細めた。
「それに……もしもあいつが家に居残ってたら、姉も復讐できなかったかもしれないしね。それじゃあ大好きな弟まで道連れになっちゃうからさ」
「……ハンスは姉を大事に思っていたようだけど、姉のほうがどうだったかは聞いていないよ?」
「えー? あいつがあれだけ姉を大事にしてたなら、姉のほうだって同じぐらいあいつを大事にしてたに決まってるじゃん」
そう言って、ナナ=ハーピィはにこりと微笑んだ。
「だから、これでよかったんだよ。けっきょく自分も死んじゃったけど、復讐を果たしたんだから立派じゃん」
ナナ=ハーピィは、きっと魔族の倫理観で語っているのだろう。
人間としての倫理観を携えている僕には、理解し難い部分も多い。しかし――彼女の弁を頭から否定することも、また難しいようだった。
「ちょっとちょっと、本来の目当てはこっちの家なんじゃなかったの?」
と、背後からドリュー=パイアの声が飛んでくる。
ナナ=ハーピィとの対話に気を取られていた僕は、目的の場所を素通りしてしまっていたのだ。
数年前に魔術師を輩出したという、ハンスの近所の家である。生業は織物業であり、長女の第一子が魔術師としての才覚を認められて、城に召し抱えられたのだという話であった。
「よし。それじゃあ、僕とジェンヌで話を聞いてくるよ。ナナとドリューは、聞き込みをよろしく。くれぐれも、慎重にね」
「りょうかーい! 他に魔術師が産まれた家がないかどうか、聞いて回るんだよね? ほらほら、さっさと行くよー!」
「ったく、何がそんなに楽しいのかねえ」
魔獣兵団の凸凹コンビが往来の人間に声をかける姿を横目に、僕とジェンヌ=ラミアはその家に踏み込んだ。
さして広くもない空間に、織物が山積みにされている。裏のほうからは織器と思しき賑やかな音色が響いているので、織物の作製と販売をともに受け持っているのだろう。
「いらっしゃい……何をお探しで……?」
店番をしているのは、五十路に届こうかという初老の女性であった。
とてもふくよかな体格をしており、恵比寿様のようににこにこと微笑んでいる。ただ、細められたまぶたから覗く茶色の瞳は、とても光が強かった。
「お仕事の最中に申し訳ありません。あなたはこちらの家のご家族でしょうか?」
「ええ……この家の主人の伴侶でございますよ」
「そうですか。つかぬことをおうかがいいたしますが……以前にこちらで、魔術師としての才覚を有した赤子がお産まれになったのですか?」
女性はにこやかに微笑んだまま、きらりと目を光らせた。
「ええ、ええ……それは、わたしの娘の最初の子のことですねえ。とても元気な、珠のような赤子でしたよ」
「そうですか。実は、わたしの友人であるこちらの女性も、2年ほど前に赤子をお城に引き取られたのです」
「おやまあ」と、女性はいっそう目を細めた。
「それはそれは……そんな大層なことがあったなんて、わたしはちいとも聞いておりませんでしたねえ」
「あ、わたしたちは西区の生まれで、この南区に居を移す願いを申し出ているところであるのです。それで、こちらの家のことを聞き及ぶことになったのですね」
ハンスやリビングデッドたちの情報をもとに、僕たちはそういう設定をこしらえたのだった。
「それで、おうかがいしたいのですが……お城に引き取られた赤子とは、もう顔をあわせる機会もないのでしょうか? もちろん、魔術師として育てていただくからには、親子の縁も絶つ他ないのでしょうが……やはり腹を痛めて産んだ身としては、遠くからでも元気な姿を見たくなってしまうようで……」
「…………」
「こちらで赤子が引き取られたのは、もう何年も前の話なのでしょう? それ以降、赤子とまみえる機会は与えられなかったのでしょうか?」
「……あんたがたは、娼婦かい?」
と――ふいに、女性の口調が一変した。
それに、その言葉の内容も驚きを禁じ得ないところであった。
「は、はい。恥ずかしながら、そういった仕事で身を立てておりますけれど……どうして、それがおわかりになったのです?」
「ふん。まともな家で育っていれば、そんな言葉を口にすることはありえないからね。あんたらの主人も、ずいぶん迂闊な真似をしたもんだ」
表情だけはにこやかなまま、女性は険のある声で言い捨てた。
「いいかい? あたしらが魔術師について勘繰るのは、御法度だ。赤子のことは死んだと思って忘れちまいな。さもないと……褒美を取り上げられるどころか、首を刎ねられることになっちまうよ」
「ど、どうしてです? わたしたちは、ただ……」
「魔術師ってのは、あたしらの世界を守るための礎なんだよ。おぞましい魔物どもを滅ぼすための、大事な大事なお人たちなんだ。それが親子の情なんかで振り回されたら、立ち行かないだろ。だから、あたしたちが近づくことは許されないのさ」
カウンターのような場所に座っていたその女性は、隠していた右手をあらわにした。
青い紋章が刻まれたその手には、銀色の短剣が握られている。
「わかったら、二度とこの家に近づくんじゃないよ。さもないと、衛兵さんらを呼びつけるからね」
「……わかりました。貴重なお話をありがとうございます」
僕は無言のジェンヌ=ラミアをうながして、早々に織物屋を後にした。
すると、ナナ=ハーピィたちがせわしなく駆け寄ってくる。
「ベル様、全然ダメだよー。魔術師って口にするだけで、だーれも話を聞こうとしないの。さっきなんて、兵士を呼ぶぞって脅されちゃったー」
「そっちもか。どうやら石の町において、魔術師というのは口に出すのもはばかられる存在みたいだね」
どうやらこの線は、盛大な空振りに終わりそうなところであった。
ただし、それ自体が重要な情報であるのだろう。これだけ厳重に隠匿されているということは、魔術師の存在そのものが大きな鍵であるように思えてならなかった。
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