9 最終ミーティング②

「それじゃあ班分けも決定したところで、作戦内容の再確認に取りかからせていただくよ」


 気を取りなおして、僕はそのように宣言してみせた。


「まず、本作戦の最終目的は、退魔の結界および人魔の術式の原理を解明して、それを無効化することだ。攻略対象はデイフォロス公爵領で、潜入捜査に参加するのはこの場にいる20名。ファー・ジャルグは僕の個人的な補佐役で、不死騎士団のレヴァナントにもひとつの役割を担ってもらう予定になっている」


「ふん。そういえば、こいつはサテュロスに渡しておくべきなんじゃないのかい?」


 パイアの発言に、僕は「そうだね」と応じてみせる。


「パイアは僕の班に組み込まれたんだから、それは新たな班長になったサテュロスに渡しておいておくれよ」


「だとさ。ほら、とっとと出ていきなよ」


 パイアが纏っている胴衣の懐から、黒いネズミが姿を現した。言わずと知れた、ルイ=レヴァナントの使い魔である。

 その使い魔が卓の上を駆けて近づいていくと、サテュロスは皮肉っぽい面持ちで肩をすくめた。


「そうか、こいつがいたんだったな。やれやれ、死人野郎の使い魔を懐に忍ばせるなんて、ぞっとしねえや」


 そんな悪態は黙殺して、使い魔はサテュロスの懐に潜り込んだ。

 しばらくすると、使い魔の魔力が消失する。サテュロスが自分の魔力ごと、使い魔の魔力を覆い隠したのだ。これは、中級以上の魔物のみが可能な、それなりの高等技術であった。


 この使い魔は5匹存在して、それぞれ班長が懐に忍ばせているのだった。

 目的は、この使い魔を介在して、念話のやりとりをするためである。


『サテュロス、聞こえるかい?』


 僕が念話を送りつけると、サテュロスは豊かな巻き毛をかき回しながら、まぶたを閉ざした。


『ああ、聞こえるよ。だけど、魔力をこぼさずに念話を送るには、かなり集中する必要があるみたいだな』


『うん。くれぐれも、魔力をこぼさないようにね。失敗すると退魔の結界に反応して、魔術師たちに察知されてしまうからさ。……レヴァナントも、問題はないよね?』


『はい。班長がパイアからサテュロスに交代された件、承知いたしました』


 ルイ=レヴァナントの声が頭に響くと、サテュロスは「ははん」と鼻を鳴らした。


『死人野郎は、念話までひんやりしてやがるんだな。耳の穴から氷の塊でも突っ込まれたような気分だぜ』


 ルイ=レヴァナントは冷徹なる声音で『恐縮です』とだけ答えていた。

 これは、この5日間の訓練の賜物であった。僕たちは魔力を封印して人間の領地に侵入するのだから、なんとしてでも通信手段ぐらいは確立する必要があったのだ。


(これだったら、いざというときにルイを頼ることもできるしな)


 そんな心情が念話で伝わってしまわないように気をつけつつ、僕は他のメンバーを見回していった。


「それで、潜入捜査の内容だけど……まず、農園を担当するケルベロスとサテュロスの班には、この紋章を再現してもらいたい」


 僕は、自分の右の手の甲をみんなに掲げてみせた。

 頭の後ろで手を組んで退屈そうにしていたケルベロスが、「んー?」と顔を寄せてくる。


「なんだよ、そりゃ? ふたつの紋章がごっちゃになってるじゃねーか」


 農奴の紋章は丸形を基調にした赤黒い焼き印であり、市民の紋章は菱形を基調にした青色の刺青である。

 然して、僕の手の甲に再現したのは、刺青の上から焼き印を捺した二重の紋章であった。


「これはね、農園落ちした市民の紋章だよ。もともと市民として暮らしていた人間が農奴に格下げされると、刺青の上から焼き印を捺されることになるんだ」


 その情報をもたらしてくれたのは、ルイ=レヴァナントの従僕たるリビングデッドの少女であった。

 僕が視線でうながすと、少女は「はい……」と感情の欠落した声で語り始める。


「デイフォロス公爵領において、市民の数は1万名と定められております……その定員を超えそうになった際には、余分な人間が農園に送られることとなります……」


「余分? 余分なんて、どうやって決めるのさ?」


 パイアがうろんげに問うと、それには少年ハンスが応じる。


「そういうときのために、城の連中は名簿を作ってるんだよ。働きの悪い人間は、順番に農園へと送られることになる。だからみんな、必死に働いて貴族どもに媚を売ってやがるのさ」


「ふん。浅ましいやり口だね。……で、どうしてわざわざ、そんなややこしい身分になりすまさないといけないんだい? 焼き印とかいうやつだけで、怪しまれることはないんだろ?」


「農園には、あんたたちみたいに立派な体格をした人間はいないんだよ。貴族や市民が扱いやすいように、必要最低限の食い物しか与えられてないから、どいつもこいつも痩せ細ってるんだ」


 忌々しげに言い捨ててから、ハンスはちらりと少女のほうを見た。

 少女の素性は、すでにハンスにも告げている。彼らはかつて、同じ領地に住まう農奴と市民であったのだった。


「だから君たちは、農園落ちしたばかりの市民を装うということだね。ただし、そんな虚言が通用するのは、農園で働く農奴だけだ。魔術師や衛兵とは出くわさないように、最大限の注意を払ってもらいたい」


「で? 農園なんざで、俺たちは何を探りゃあいいんだよ? 人魔の術式の原理をわきまえてるのは、魔術師だけなんだろ? 魔術師から逃げ隠れしてたら、何も探りようがねーじゃねーか」


 ケルベロスが、至極もっともな質問を発した。彼はきわめて粗暴な気性をしているが、頭の回転はそれなりなのである。


「君たちに探ってほしいのは、農園落ちした貴族の存在だ。かつて城で暮らしていた貴族なら、人魔の術式に関しても何らかの知識を持っている可能性があるからね」


「あん? 市民だけじゃなく、貴族でも農園落ちするやつがいるってのかよ?」


「うん。そういう風聞が、農園にあったらしいんだ」


 僕が再び視線を向けると、リビングデッドの少女は「はい……」とうなずいた。


「あくまで風聞ですが……かつてグラフィス公爵領から逃れてきた貴族が、デイフォロス公爵領の農奴に貶められたと……わたくしは、そのように聞いた覚えがございます……」


「グラフィス公爵領って、つまりこの土地のことだよな。20年前の戦いから逃げのびた貴族どもが、別の領地で農園送りにされたってのか? そいつは、愉快な末路だな!」


「うん。正確な数はわからないけれど、貴族だって最大人数は制限されてるわけだからね。逃げのびた先に人数的な余裕がなければ、市民や農奴に身をやつすしかないわけだよ」


 それでもグラフィス公爵領の人々は、魔族と戦い抜くよりも余所の領土に逃走する道を選んだのである。貴族も市民も半分がたは逃げ散ったはずだという話であったが、それらのすべてを元の身分のまま受け入れるキャパシティは、どこの領地にも存在しなかったのだろう。


「それで? 農園落ちした貴族とやらを見つけたら、どうすりゃいいんだ? そいつらだって魔族を恨んでるんだから、何か知ってても素直に吐くことはねーだろうよ?」


「うん。手段は問わないから、そういう人間を発見したら、領土の外まで連れ去っておくれよ。あ、もちろん手段は問わないといっても、魔力を使うことはできないからね。住んでいる場所を突き止めて、夜の間にでも拉致するっていうのが、一番現実的かな」


 そのとき、ずっと無言で僕たちのやりとりを見守っていたコカトリスが鋭く声をあげた。


「……かつて領主であった人間が農園に送られるという可能性はあるのかしら?」


「え? それはわからないけれど……領主が、どうかしたのかい?」


「……バジリスクは何匹もの上級人魔を相手取ることになったけど、最後にとどめを刺したのはグラフィス公爵領の領主だったのよ。そしてそいつは、真っ先にこの地を逃げ出したのだわ」


 コカトリスの黄色い瞳が、憎悪に猛り狂っていた。

 僕はうなずき、懐から使い魔のネズミを引っ張り出す。


「レヴァナント。領主が農園送りにされる可能性はあるんだろうか?」


『確たることは言えませんが、可能性はきわめて低いかと思われます。領主というのは公爵家の当主を指し、そして公爵家というのは、王家から分派した貴族の称号であるのです。王家に血の近い人間であれば、余所の地に逃げても優遇されると考えるのが妥当なのではないでしょうか』


「……だそうだよ、コカトリス」


「そう……それなら、よかったわ……さすがにそんな相手を目の当たりにしてしまったら、わたしも自分を抑えられる自信がないもの」


 コカトリスは唇を吊り上げて、激情をあらわにしていた。

 そして他なる蛇神族の面々も、多かれ少なかれ物騒な目つきになっている。特に、この城に駐屯している4名はそれが顕著であった。


「誰にとっても、幸いな話だったね。……それじゃあ、もう一点。農園には仕事を取り仕切っている農奴長という人間がいるはずだから、その家の場所も探っておいてほしい。西区の農奴長の家は判明しているので、北、南、東の3名分だね」


「ふうん? そいつらも、拉致るのかい?」


 ひときわ物騒な目つきをしたエキドナが、僕に向きなおってくる。

 僕は「いや」と首を振ってみせた。


「それはあくまで、作戦の第二段階だ。最優先は農園落ちした貴族の身柄を確保することだから、その作戦を完了させるまで騒ぎは起こせない。誰にも怪しまれないように、なんとか家の場所だけを突き止めておくれよ」


 農園に関しては、それで終了であった。

 続いて、石の町に関してである。


「石の町に関しても、最優先事項は市民に格下げとなった貴族の捜索だ。ただしこちらはそういう人間が存在するという風聞もないので、空振りに終わるかもしれない。だから、それと並行して、魔術師についてを探ろうと思う」


 僕は、ハンスに解説をお願いした。

 コカトリスたちの殺気立った様子に首をすくめていたハンスは、「ああ」と居住まいを正す。


「町では赤ん坊が産まれると、まず聖堂って場所に連れていかれるんだよ。で、魔術師としての才覚があるかどうか、検分されるんだ。才覚があるなら城壁の向こうに連れ去られて、才覚がなければその場で市民の紋章を刻みつけられる。才覚のある赤ん坊が産まれるのは、数年に1度のことらしいけどな」


「ふうん? 農園の餓鬼は、検分されねーのかよ?」


「ああ。農園で才覚のある赤ん坊が産まれることはないらしい。理由は、知らねえけどさ」


 すると、卓の上に控えていた使い魔のネズミが身を起こした。


『これはあくまで私見となりますが、おそらくは結界の密度が関係しているのでしょう。退魔の結界というのは人為的に変質させられてはいますが、魔力を帯びていることに間違いはありませんので、その中に生きる人間の心身にも少なからず影響を及ぼすかと思われます。よって、術式の発信源である城から遠い農園においては、魔力の影響を受けた赤子が産まれる可能性も低下するのではないでしょうか』


「やたらと長ったらしい上に、言ってる意味がわからねーぞ、死人野郎。魔力の影響を受けた赤子ってのは何なんだよ?」


『それは不明です。しかし、退魔の結界や人魔の術式といった強力なる魔術を扱うには、何か特殊な才覚が必要となりましょう。それもまた、探るべき秘密のひとつになるかと思われます』


「うん。それが、石の町を捜査する班の役割だ。ハンスの家の近所では、何年か前に才覚のある赤子が産まれていたって話だったよね」


 僕の言葉に、ハンスは「ああ」と肩をすくめた。


「俺はまだ5歳ぐらいの餓鬼だったから覚えてねえけど、その日は朝から夜まで祝宴みたいな騒ぎだったって親父とかから聞かされたな」


「祝宴? 餓鬼を連れ去られるのに、どうして祝わなきゃいけねーんだよ?」


「才覚のある赤子を産み落とした家には、すげえ褒賞が与えられるって話なんだよ。それに、農園行きの名簿からも真っ先に名前を外されるらしいしな。町の連中には、それが一番のご褒美なんだろ」


「ふん。そんな習わしも、手前は心から忌み嫌ってたってことだな」


 ケルベロスがにやにやと笑いながら言いたてると、ハンスは「うるせえよ」と口をとがらせた。

 そんな微笑ましい光景を見届けてから、僕はみんなの姿を見回す。


「作戦のおおまかな概要は、以上だよ。これから細かい部分の説明をさせてもらおうと思うけど……その前に、大事なことを言っておく。もしも不測の事態が生じて、魔力を使ってでも逃走しないといけないときは、その場でもっとも下級の団員が魔力を解放してくれ」


「どうしてさ? わたいらが魔力を使ったほうが、確実に逃げられるじゃん」


「でも、上級の力を持つエキドナなんかが魔力を解放したら、すべての結界が解除されてしまうだろう? 下級の魔族なら、農園の結界が解除されるだけで済むからさ。結界の外側には援軍を待機させておく予定だけど、追っ手は少ないに越したことはないからね」


 おおよその面々は、それで納得したようだった。

 エキドナはいくぶん不服そうな面持ちで、同じ班員であるリザードマンを振り返る。


「それじゃあいざってときには、あんたがわたいたちを抱えて逃げるってこと? あんた1匹で、10万の人魔を蹴散らせるの?」


「蹴散らすのは無理でも、逃げるぐらいなら何とかなりますよ。逃げ足には、自信があるんでね」


 しかしそれでも、中級の人魔から逃げのびることは不可能であろう。それゆえに、こちらも下級より上の魔物に魔力を解放させるわけにはいかなかったのだった。


「結界の外まで逃げのびれば魔力も使い放題だし、援軍もいるからね。町の内部まで踏み込む班はかなり危険な状況にさらされると思うけど、どうかひとりの犠牲も出さないように心がけてほしい」


「ふん。つくづく綱渡りみてーな計画ってわけだな。ま、そうじゃなくっちゃ面白みもねーや」


 ケルベロスを筆頭に、臆している団員はひとりとして存在しないようだった。

 彼らは決して、危険を恐れるような気性ではないのだ。それは、僕の存在を恐れるケット・シーや、いつでも楚々としたラハムなども例外ではなかった。


(だからこそ、僕がきちんと導いてあげないとな)


 この世に生まれ落ちて半月も経っていない僕がそんな風に考えるのは、不遜なことであっただろうか。

 しかし僕の肉体には、それだけの力が授けられているのだ。ルイ=レヴァナントがかつて言っていたように、僕には力を持つ存在としての責任というものが備わっているはずだった。

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