第5章 潜入捜査
1 決行の日
翌日――潜入捜査の決行日である。
僕たちが半日をかけてデイフォロス公爵領付近の樹海にまで移動すると、そこにはすでに暗黒城からの援軍が到着していた。
「お待ちしておりましたぞ、暗黒神様! 今日はまた、ずいぶんちんまりとしたお姿をされておるのですな!」
援軍の総指揮官は、魔獣兵団長ガルムであった。
配下の数は200名で、すべてが魔獣兵団員によって構成されている。仲の悪い両兵団の片方にだけ任務を与えるのは控えるべきだという意見もあったが、この際は指揮系統の統一をはかりたかったのだ。次に同じような任務が生じたときには蛇神兵団に一任するということで、ナーガたちには何とか納得してもらった次第であった。
(だけどまあ、ナーガも思ったほどはゴネなかったからな。もしかしたら、コカトリス派の面々とはあまり顔をあわせたくないっていう心理もあるんだろうか)
何はともあれ、ガルム率いる魔獣兵団の面々は全員が闘争本能を剥き出しにしていた。ここ20年は小競り合いばかりであったので、彼らは戦いの場を欲していたのだ。
「でも、君たちの役割は、あくまでいざというときの援軍だからね。目的を見失わないように気をつけておくれよ?」
「そのようなことは、百も承知しておりますわ! しかし、最初にひと暴れさせていただけるのでしょう?」
「それも、あくまで陽動だからさ。魔術師たちの注意を引くために、ちょっとした騒ぎを起こしてほしいんだ。でも、結界を壊しちゃったら元も子もないから、農園の外から適度に挑発をして――」
「皆まで言いなさるな! 我々の力をお信じあれ!」
僕は溜め息を噛み殺しつつ、ガルムの巨体の陰にひっそりたたずむ美青年のほうに目をやった。
「それじゃあ、レヴァナントもよろしく頼むよ。配置についたら、合図を送るからね」
「承知いたしました。ご武運をお祈りいたします」
本日のルイ=レヴァナントは日差しを嫌うように、漆黒のフードつきマントを纏っていた。フードの陰に隠されつつ、その美貌はいよいよ冷たく冴えわたっている。彼はガルムの部隊と潜入捜査部隊の連絡を取り持つ通信係として、この場に参じてもらったのだった。
「それじゃあ、僕たちは移動だ。みんな、くれぐれも気をつけてね」
5つに分けた班の内、僕の管理する第1班だけが進路を南に取り、他の4班は西へと向かう。第1班は町の南区、第2班と第3班は農園の西区、第4班と第5班は町の西区を担当する手はずになっていたのだ。
ちなみにこの樹海は、デイフォロス公爵領の北側から西側までを覆うような格好で広がっている。ガルム率いる陽動部隊はその北の端まで移動してから、騒ぎを起こしてもらう予定になっていた。
(まあ、ルイが一緒なら心配はないかな)
僕がこっそりそのように考えていると、さっそく第2班のケルベロスから念話が届けられた。
『結界のぎりぎりまで到着したぜ。あとは、ガルムの旦那の合図を待てばいいんだよな?』
『うん。騒ぎを起こしてしばらくしたら、突入だ。その合図はレヴァナントを通じて、ガルムが伝えてくれるはずだよ』
樹海の中を疾駆しながら、僕はそのように答えてみせた。
第1班の班員たち、ナナ=ハーピィとラミアとパイアの3名は、きちんと遅れずについてきてくれている。ひさかたぶりに魔力を解放することが許されて、みんな心地好さげな様子である。この後は夜までまた魔力を隠蔽しなければならないので、束の間の解放感を楽しんでもらえれば何よりであった。
「どうせだったら走るんじゃなくって、ぴゅーって飛んでいきたいところだけどねー。でも、それは駄目なんでしょ?」
ナナ=ハーピィの問いかけに、僕は「うん」と応じてみせた。
「君が本性を現すと、着ているものが塵になってしまうだろう? いちいち脱いだり着なおしたりするのも手間だろうし、今日のところはこらえておくれよ」
本日の僕たちが身に纏っているのは、魔力で具現化した自前の装束ではなく、元グラフィス公爵領の廃墟からかき集めた衣服であるのだ。少しでも自然な姿に見えるように、という配慮の結果である。
基本的にはどれも粗末な布の服であり、あとは丈の短いフードつきマントを纏っている。妖艶な美女ぞろいである蛇神族のみならず、ナナ=ハーピィやパイアも十分以上に端正な顔立ちをしていたので、少しばかりは隠蔽しないと人目を集めてしまう恐れがあったのだった。
「だんだん木がまばらになってきたね。みんなに目くらましの術をかけておくよ」
歩調はゆるめないまま、僕は3名の班員たちに目くらましの術式を施した。とたんにナナ=ハーピィが、「わあ」とはしゃいだ声をあげる。
「ベルゼ様の魔力にふわって包み込まれた感じがするー! これで人間には、あたしたちの姿が見えないの?」
「うん。ハンスに協力をお願いして練習しておいたから、きっと大丈夫だと思うよ。結界を踏み越える前までの、その場しのぎだけどね」
樹海を抜けると、今度は荒涼なる岩場が眼前に広がった。
奇岩巨岩が積み重なった、不毛の岩石地帯である。人間の足では踏み越えることも難しかろうが、もちろん魔力を解放した僕たちにとっては遊び場のようなものだった。
「よし。ここまで来れば、目的地はもう目の前のはずだよ」
そのとき、新たな念話が届けられた。僕個人ではなく、5名の班長全員に向けられた、ルイ=レヴァナントの念話である。
『暗黒神様、ひとつご報告があります』
『レヴァナントか。どうしたんだい?』
『我々も樹海の北端に到着いたしましたが、その地においては人間たちの開拓作業が始められていました』
『開拓作業? 樹海を切り開いているっていうことかな?』
『はい。すでにかなりの樹木が伐採されております。デイフォロス公爵領の農地を広げようという目論見であるのでしょう』
僕たちの知らないところで、人間族はまた領地の拡大に取りかかっていたのだ。ガルムたちの怒り狂う姿が目に浮かぶかのようである。
『了解したよ。陽動作戦に、何か支障はありそうかな?』
『いえ。そちらに大きな影響はございません。むしろ、開拓作業の妨害というのは、人間たちにとっても自然な襲撃だと認識されるのではないでしょうか』
『不幸中の幸いというやつだね。……よし、僕たちも目的の場所に到着したよ』
ハンスから聞いていた目印の巨岩が、目の前に迫っていた。
その北側には、雑木林が広がっている。その中を突き進めば、やがて果樹園を経由した上で、石の町に踏み込むことができるという話であったのだ。
『ここで突入の合図を待つから、よろしくお願いするよ』
『承知いたしました』
ルイ=レヴァナントとの対話を終えて、僕は巨岩の裏側に回り込んだ。
全員が追いつくのを待ってから、目くらましの術式を解除する。
「合図があるまで、ここで待機だ。今の内に、魔力は隠しておこう」
「はいはーい。……っと、その前に、紋章ってやつを浮かばせておかないとねー。ベルゼ様、お手本を見せてー!」
「うん、どうぞ」
青い菱形の紋章を再現させた手の甲を、僕はナナ=ハーピィたちの前にかざしてみせた。
3名も、それぞれ同じ紋章を右の手の甲に再現させる。しかるのちに、全員が魔力を包み隠した。これにて、突入の準備は万全だ。
「何も問題が生じなければ、日が沈むまで潜入捜査を続けるからね。くれぐれも、魔力をこぼさないように」
「大丈夫だってばー。あたしはもう、丸2日ぐらいはへっちゃらだもん! こっちのこいつらはわかんないけどさ!」
「いちいち余計な口をはさむ鳥野郎だね。あんたは一番弱っちいから、魔力を隠すのが得意ってだけだろ」
憤然とした様子で腕を組みながら、パイアがナナ=ハーピィに言い返した。
女戦士のごとき風貌をした彼女であるが、本日はふわりとした長袖の
いっぽうラミアとナナ=ハーピィは、容姿が優れすぎているぐらいである。特にラミアは白銀の長い髪に煙るような紫色の瞳をしており、色気のほども過多であったので、フードをかぶっていなければ往来中の人目をひいてしまいそうだった。
「そろそろ突入の刻限だけど、ファー・ジャルグのほうも大丈夫かな?」
僕が足もとの影に呼びかけると、「んー?」という気の抜けた声が返ってきた。
「俺は暗黒神様の影に同化してるんで、そっちでヘマをしない限りは心配もご無用だよ。逃げ出すときは、いつでも合図をおくんなさいな」
「了解。そんな事態にならないのが一番だけどね」
逃走の際にはもっとも魔力の低い者が仲間を抱えて逃げる算段になっていたが、我らの班では僕とファー・ジャルグがその役を担っていた。僕は農園の結界すら壊さないままにあるていどの魔力を振るうことができたし、ファー・ジャルグは逃走に有用な数々の手管を体得していたのだ。
(でも、他の班のメンバーは農園の結界を壊さない限り、魔力を振るうことはできないからな。最後まで、正体を隠し通せるといいんだけど……)
僕がそんな風に考えたとき、再びルイ=レヴァナントの念話の声が脳内に響きわたった。
『こちらに、魔術師と兵士の一団が現れました。200名ばかりの農奴を人魔に変化させて陽動部隊への追撃を開始しましたが、農園の結界を解除する様子はございません。……各自、突入をお願いいたします』
『了解。そちらも、気をつけて』
僕は、念話の聞こえていない班員たちを振り返った。
「それじゃあ、突入だ。潜入捜査の開始だよ」
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