リンゴは赤いのか
「リンゴは赤い」というのは皆が識っているが、それは表層しか見ていないからそう言えてしまうのである。スーパーに行けば少なくとも青リンゴがあるし、カットしたリンゴはレモンイエローや蜂蜜色に近い。つまりこれは、「世の中常識が全て」ということに他ならないのではないか。見える世界が違う人もいるのに。暗黙の了解に近いルールだからなのか、世の中には「常識」を振り翳してくる人が大勢いるのだ。そういう意味で常識は嫌いである。
常識とはある意味記号化の一つである。「皆が知っているから」「普通だから」の皆は一体誰だろうか。流石に地球規模とまではいかないと思うので、大体にして自分の交友関係や近所の人を基準に考えているという可能性はある。そもそも常識とは本来ローカルルールの筈であり、押し付ける必要はない。というのも、国(分かりやすい例でいうとイギリス。この国では、食器を洗ったあとの泡を流すなどということはせずに、拭くだけで済ませるのが常識)によって違うのだ。さらに細分化するならば地域によっても違うだろう。
「常識に囚われる」ということは、大多数の人に合わせるということである。しかし、それだけで生き残れる保障はない。少なくとも、テンプレ展開を嫌う私にとってはとても嫌な手段である。ファンサービスといえば聞こえはいいが、実のところは二の足を踏んでいるのではないか。作品を応援してくれるファン(の予想)を裏切っても良いのではないか?と考えている。
完全に合わせてしまうなら、そうしているうちに自分自身が壊れてしまう可能性がある。しかし、この社会では表面上だけでも合わせなくてはならない。自分を優先するだけで生きられるならそれでいいのだが、そこまで楽な生き方が罷り通る程この世は甘くない。
延々と終わりのないポカポンゲームができるほど、私の脳みそは器用ではないのだ。沢山のことを吸い込んで、吐き出す程に(いい意味でも、悪い意味でも)グレードアップしていくから。寧ろ、大多数に合わせられる程器用なのは生まれ持った才能だとすら思える。だからこそ羨ましく感じるのだ。
人と違う視点を持った人物は、ぱっと見魅力的には映るだろう。しかし、そこには歪な価値観が根付いている(全ての人がそういう訳ではない、と思う)。場合によっては、感覚のズレ(他人からは見えないという意味では、見え方が違うとも取れる)が原因で、結局は孤独という人もいる。それとどう向き合っていくのかが今の世の中には求められているのではないだろうか。
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