ちったあ考えろって話

 兆候は昔からあった。悪口という訳ではなく、思ったことだけを書くつもりだ。私自身のことだが、もしもビクッとくる人がいたらそっと教えて頂きたい。あなたの周りに「考えるという脳がない人」はいなかったのか。それだけを。

 高校の時のことだった。英語の授業中、私はよく近くの席の子から「分かんないから答えを教えてほしい」と言われた。私も鬼ではない(むしろお人好しに近いか?)ので、聞かれる度に答えを教えていた。内心、いつも「自分で考えろよ」と思っていたが、口には一度も出していない。口を開くのは気に入らないクラスメイトとの喧嘩か、気に入った人と話す時くらいのものだった。この頃はいつも近くに寄り道していたが、大体ストレスが原因。別に学校にいる間ならまだマシ。四六時中一緒にいる訳ではないから。問題は帰ってからであるが、それはまた別の機会に語ろうと思う。

 大学になってから漸くこの現象の正体をある程度掴み取れた。リスク回避である。分かりませんという言葉を多用していた理由は、それしかない。当てられるのを嫌がって皆、回避する方向に流れていったのだ。私は(分かるところだけだが)正面から立ち向かっていった。随分前に「わかんない」を多用していたせいで、母親から「わかんない」はどうしても「わかんない」時だけしか使うな、と言われていたからだ。本当に分からないならまだいい。人の心の内は読み取れないから、リスク回避でないことを祈りたい。

 実は、今教科書が読めない子どもが増えているという。同時に謎を楽しめる人が少なくなっているというのだが、まさにその通りだろう。分かりやすい作品ばかりが世に出回り、謎だらけの作品は敬遠されているというのだ。私自身、分かりやすい作品を書こうとは思わないし、分かりやすい作品は(自分の感情を揺さぶるので感情移入しやすいのもあって)嫌いだ。寧ろ、謎で塗り固められたら誰も感情移入しなくなるだろうくらいの気持ちで書いている。そこに分かりやすい謎は存在しない。出来ればノーヒントで解いて欲しいが、ヒントを欲しがる人は多くいる。嘆かわしい。

 分かりやすさに固執すると、却って書きたいことが書けなくなる。だからこそ私は手を抜きたくないのだ。それが二次創作だろうと。ありきたりな法則に縛られるコースより、砂の中から宝石を見つけつつ、それらを組み合わせて楽しめる方が余程いい。そして今の時点で、それができるという人は私の周りにはいない。

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