ギチギチの缶詰
何故か人には身分というものが設定されていて、「身分違いの恋」やら「身の丈に合った〜」とかをうるさく言われる。年齢差で話が合わないならまだしも(実際にありました)、人に対して身分というものを設定するのは、愚の骨頂というべきだ(確かに大衆向けやらマダム向けやらあるが)。昔なら全てアナログだったからまだしも、今は大分デジタルな情報化社会なのだ。近いうちに、全てが機械化されてAIが本格的に社会で活躍するだろうことは(スーパーやらの例で)目に見えている。どんな人でも(ある意味)真の意味で平等になれるかもしれない。だが、この無機質なシステムはどうなるのか、今はまだ分からない。
ヴィクトリア朝時代のイギリスの身分制度はかなり厳格で、現在のように労働法なども整備されてはいないので労働者階級の暮らしは劣悪だったようだ。貴族の方が暇人みたいなもので、様々な娯楽に興じた。ついでに、女性の扱いも結構酷くて(イギリスに限ったことではないが)、表向き華やかではあるが、型にハマったような生き方しかさせてもらえない時代でもあった。特に女性は結婚しなければいけないという風潮があり(現代でも田舎を中心に根強い)、事実上それ以外の生き方はさせてもらえなかったともいえる。
だからといって今の方がいいのかというと、それもまた違う。今も今で様々な問題を抱えている。それでも、技術の進歩によって昔よりは生きやすくなったのかもしれない(普通の人にはそう感じられる)。それがどこにでも行き渡ればいいのだが、そうなるのは大分先だろう。
世界というのはギチギチに肉や魚が詰まった缶詰のようなもので、考えようによってはどこまでも肥溜めでしかないし、その逆もまた然りである。世界の見え方次第で、救いを見出せることがないとは言い切れない。それが正当なものであれ何であれ。何かに囚われていたら、そこしか見えないし囚われていないならポジティブに考えることもできる。見えてない場合もあるのだが。缶詰の中には嫌いなものだってあるだろうし、好きなものが入っていることだってない訳ではないだろう。それが今見えている世界であるならば。
狭い世界で生きていた人間ほど、多様な考え方があることを知らない。沢山何かを見ないと、結局人間は成長しないのだ。それが何であれ変わる源にはなる(ならない場合もある)。
私には、世界が丸く広くは見えていない。だから、地球の裏側で戦争があってもそれを実感したことはない。けれど、確かに危うい人はいるし、楽しそうにしてる人もいる。それは事実だ。
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