信じるべきもの

 昔からずっとマーガリンが嫌いで、バターが好きだった。同じように、きのこは好きでもタマネギは嫌いだったし、好きなものも嫌いなものも沢山あった。大半の好き嫌いは治ったものの、今でも嫌いなものは確かにある。私は味覚が敏感だからか、食べられないものが多い気がするのだ。

 マーガリンは素っ気ない味しかしないから嫌い。バターはコクと塩味がいい感じのハーモニーを作り出しているから好き。コンビニ弁当や、スーパーのお惣菜は味が濃いし、野菜は機械で切られているせいか少しだけ変な味がするから嫌い。手作りのサラダはいつだって好きだ。野菜が瑞々しいし、ちゃんとした味を感じられるから。きゅうりとトマトとレタスのサラダでも、フレンチドレッシングさえあればその日の料理は虹色に輝いて見えた。同じように、朝ごはんに目玉焼き(と醤油)。トーストとバター、果物。そしてお茶があれば今日一日は希望に満ちていると思えた(お茶は験担ぎも兼ねているので)。美味しい手作り料理は、私の心を癒やしてくれるのだから。

 実験と称して何度も気になる料理を繰り返し、この敏感な舌でその全てを味わった。失敗作もあれば成功作もある。料理のスキルを上げたい訳ではなく、単に好奇心の赴くまま作っただけだが。それでも、スープ作りの腕は上がり、父からは、

「おまえのスープ、冷めても美味しくなるように出来てる」「冬だったら誰もが飛びつくぞ」と言われるようになった。インプットするまでに時間はかかったが、今は最良の選択ができる。

 危険な(味が)食べ物を見分けるには、やはり自分の舌に頼るしかない。駄菓子屋の菓子だって私には食べられないものが多いのだから。ただ、どう頑張っても克服できない食べ物は存在する。おかげで今も私はネギがマトモに食べられないままだ。

 考えすぎかもしれないが、私にはもしかしたらソムリエとしての才能も眠ってはいるのかもしれない。「甘い」を言語化するにしても、沢山の甘いがある。オレンジキャンディは爽やかな甘さ、イチゴのキャンディはオーソドックスで少しだけ甘ったるい。苦味混じりの甘さもあるし、中には口にしようとも思わない甘さだってある。水にも味というものはあるし、味がないものは唾液くらいだと私は思うのだ。

 ただ、舌が敏感な人は家族や親族、友達の中にはいないような気がしてならない。世界にはいるのかもしれないが、探すには骨が折れる。この気持ちを理解できる人はどこかにいるかもしれないが、遠く離れたところにいるのだろう。

 

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