友達は欲しがるべきか

 「友達百人出来るかな」「友達はたくさん作っておきなさい」と過去に聞いたことがある。世間一般の価値観はこうだからだろう。しかし、私自身は人の好き嫌いが激しく、波長が合う人でないと付き合おうとは思わないのだ。これはSNSの中でもいえることで、フォロワーはなるべく絞る(条件次第ではブロックする場合がある)のがいいと私は考える。理由として、私自身臆病であることと無縁ではないし、一人の時間がこれでもかというくらい欲しいからだ。ただ、寄り添う相手は必要だ。

 小さい頃から一人が大好きで、誰かに合わせるのは苦手だった(ちょっとしたトラブルが起きたこともある。起きなくても、場合によっては口喧嘩をしていた)。けれど、そんな私に対して「友達は沢山作っておきなさいよ」と母は言う。彼女なりにアドバイスをしたのだろうし、「普通なら」こうするという指針を示したように思う。けれどそれは出来なかった。その中に話せる友達はいても、本当の友達はいなかったのだと思う。それに、(親友曰く)友達の基準は人によって違うとのことだった。何より、自分の世界を守ることを(今でも)至上命題としているから、波長が合う人としか付き合えないのだ。それでも、昔は今より(ポーズだとしても)友達を欲しがっていた気がする。

 孤独を感じる人ほど友達を積極的に探し求める傾向があるように思う。自分のことを理解してもらいたいからこその行動だが、それは薄氷を履むような危うさを常に孕んでいる。これがSNSであればどうなるか。不用意な発言をしてしまえば瞬く間に広まってしまい、遂には炎上してしまうのだ。こうなると、一度失った信用は簡単には戻せない。インターネットの世界は簡単だが、それ故に関係も脆く手のひら返しも起こりやすいといえる。だからといって、友達を欲しがらなくていいかというとそういう訳でもない。誰でも誰かと遊びたい時はあるし、人肌恋しい時もある。それが穏やかなのか、激しいか。浅く広くか、狭く深くなのかの違いである。

 しかし、いつまでも同じ「友達」なのかというとそれは違う。いい意味でも悪い意味でも、関係性というのは変化するものだ。どちらにせよ進むしかないからだ。だから破局は必ず訪れる。夢に酔っていても、酔いから醒める時はどんな形であれ必ず来るのだ。

 ちなみに、変わり者の場合は親友がいても尚孤独を感じている場合がある。支えてくれるという意味では一人ではないのだが、支持者であって理解者ではないからだ。やはり、理解者は何人か欲しい。

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