隠す話
昔からずっと覆い隠すことが得意だったような気がする。知識が少なかった、幼い頃はそうでなくともある時から隠すことが上手くなったように思えるのだ。無論沢山本音は吐き出しているし、むしろ出し足りないくらいなのだが。しかし、隠すことによって気づいてもらえないものもあると最近になって知った。
創作の世界において隠すということを知ったのは、なし崩し的に。そして高校に上がって少し経った頃だった。美術の授業でうちわに絵を描く課題があったのだが、その時描いたキャラクターは黒いうさぎだったのだ。美術の先生曰く「人と違う」らしいが、私が欲しい評価はそんなものではない。私はこの時、黒うさぎの正体を見抜いた上で「あ、○○のパクリだ」と言って欲しかったのである(黒うさぎの元ネタそのものはとあるパチスロから。インターネットに転がっていたのでアイデアの源として利用したまでである。ちなみに私自身、賭け事には興味がない)。パクリをしたので青ざめつつも、バレるスリルを味わえなかったというのは残念なことだった。オリジナルキャラクターを作るたびにそういうことが起きるので、いつしかメジャーな(比較的)キャラクターをパクっても(言わない限り)バレなくなってしまった。その出来事から結果的に覆い隠すことを覚えてしまったのかもしれない。
無駄に詩的でなめらかな理由も、本心やメッセージのほぼ全てを隠しておきたいからである。寄り道ばかりしまくっているのも本心を隠した上でソレを深層から掬い上げて欲しいという想いがあってこそのものである。考察といえば聞こえはいいが、実際のところは作者VS読者のサルベージドブ攫い対決といえるだろう。作者が真相や本心を隠しておき、読者が補完やヒントを元にドブを掘っていく。宝探しにも近いが、これといって決まったパターンはなく延々と謎を解きながら進める羽目になるので、そういう意味では向き不向きがあるのかもしれない。法則もルールも私にとっては価値も意味もないもので(一応、とあるルールだけは守っている)、楽しめることにこそ意味があるのだ。だから作品作りは常に苦痛ではなく快楽とともにある。
アメリカでは「分かる人にしか分からない作品を展示した美術館」があると言うが、丁度そんな感じである(アメリカは人口が多いから相対的に分かる人が多いのかもしれないが)。暗闇や霧の中に隠し通しつつ、確かな理由、真相を見つけられるのならば。それこそが隠す理由なのだ。
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