(卒業確定記念番外編)きっと共感できる奴はいない

 世の中には目に見える形で現れる奇形(ヒト以外も)と、そうでない奇形がある。目に見える奇形はしばしばいじめや嘲笑の対象になるが、目に見えない奇形であってもそうとは限らない。私は俗に言う口蓋裂(喉の奥に穴が開いていたらしい)を伴いながらこの世に生を受けた(何故か父親の誕生日の翌日の昼に生まれたが、どうも病院側の都合だったらしい)。その為か、母は私が無事に育つかどうかを心配(母乳が吸えず哺乳瓶だった)し、言語リハビリなどに積極的だった(曰く、これでもまだ運がいい方らしく、同じような病気を持つ人の中には笑顔が作れない人もいるという)。事実、幼い頃の私は上手く喋れなかったのだ(筆談を使えばいいって?その時はひらがなですら上手く書けなかったからなあ……)。当然入院もし、手術も受けている。

 入院時の記憶は最低でも六歳からであるが、中学の時の方はよく覚えている。病院の中は快適であったが、自由に動き回れないのは苦痛だった。また、病院側の都合によるものなのか両親しか面会を許されてはいなかった。何より不満だったのは、噛み砕けないことである。食事の時はまだよかったものの、おやつは柔らかいものばかりだったように思う(それらを除けば比較的自由に過ごせていたように思う)。今は流石に問題なく噛み砕けて居るのだが。

 私は手術(麻酔が切れたら切れたで結構痛かったような)を受けたことでマトモな生活を送れているが、これがなかったらどうなっていただろう。「吸う」ということは生きる上では大切なことで、流し込むことは何とかできても、呼吸をするときに鼻と口がいっぺんに塞がってしまえば息が出来なくなってしまう。ついでに発音にも問題が生じ、日本語とは思えない発音になってしまうので「何語喋ってんの?」という目で見られることもあり得た。

 とまあ、ここまで見えない奇形について語ってきたが、意外にもこの病気は五百人に一人とさして珍しいわけではないようだ。実際、ブログを書いている人もいるし一部の病院のホームページにも概要が載っている。しかし、私は口蓋裂だったという人に会ったことはない(会ったところで友達になれるかはさておき)。

 世間では奇形というだけでいじめに遭ったり、揶揄われて嫌な思いをする人が大勢いるが彼らは外見が人と違うだけで、頭の中は人と同じ(十把一絡げにするのもどうかとは思うが)である。人生は見た目だけではないと、私は思っている(が、見た目をかなり気にする人にとってはどうなんだろう)。

 

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