吸収率、それすなわち野菜と同等なり

 今は昔、といってもほんの少し前の話。様々なものを吸収しまくってパクリが完璧に出来なくなり始めた頃の話である(高校に上がって暫くしてから自覚し始めた)ある時、叔母は「知識は無きゃダメよ。無いと薄っぺらい作品しか出来上がらないからね」と言った(意訳)。どこまで薄っぺらいのかというと、「オリジナリティが余りにも無さすぎて打ち切られるレベル」だそうな(絵が可愛い、かっこいいだけじゃ生きていけないらしい。確かに今の漫画やアニメ、ラノベを見ていると理解できないことが多いような気がする)。中学卒業の時点で「雑学王」と渾名されていた私だが、年齢を経るにつれて沢山の知識を吸収していった。気づけば戻ることはできず、進むしかなくなったのだ。その吸収率は(今もだが)大叔母をして「新鮮な野菜」に喩えられる程なのだから、それ程までに凄まじいものなのだろう(偏ってはいるが)。

 尤も、吸収率が高いということは悪いことや変なことを覚えてしまう確率も上がるということで、場合によっては……ということもあり得る。植物も化学肥料をやり過ぎると、栄養素と一緒に悪い成分を吸収してしまうことがあるので、それと同じだと考えていいかもしれない(ちなみに化学肥料には他にもデメリットがあるのだが、その一つはかなり致命的である。そういう意味では、有機肥料の方がマシだろうか)。

 知識の吸収ばかりしていたせいか、肝心の技術磨きは疎かになってしまい、結果として絵は下手なまま進歩しなかった(「味がある」とは言われたが)。その代わり(?)文章力は何故か上がっており、「センスがある」「繊細で臨場感がある」と言われたことも(関係があるのかは不明だが、高校三年生の時に自分の文章が毎日新聞の読者投稿欄に載ったことがある)。困ったことに、知識を得れば得るほど文学寄りに傾いてしまうようで(絵についてはデッサン力が低いこと、不器用なこともあり元々才能が無かった可能性も捨てきれない)、一番したいことが出来なくなっていくのだ(文章は二番目)。このことは今のところ私の他には気づいていない人が多いように見える。

 ある意味絵が下手なのはプラスに働いているのか、人に頼まれることなくのびのびと自分が好きなものを沢山描けている。それでも、憧れというものは捨てられない。いっそ両立出来たら、とも思うが無理だろうことは目に見えている(ちなみに私自身、模写はそこまで上手く無い。その為、画風の吸収率は低いといえる。ただ、文章の吸収率はそこそこだと自負している)。

 ここまで与えられた才能(?)に対して卑屈になれる奴は滅多にいないと思うが、どうだろう。

 

 

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