5-3.夜の底に沈む

 簡単な打ち合わせの後、俺たちのグループは部室棟を確認することになった。

 最初に入ってきた玄関を左に折れてまっすぐ行くと、外に通じる渡り廊下がある。渡り廊下を抜けると部室棟だ。一階は体育会系で固められていて、運動場や体育館へのアクセスが容易になっている。二階は文化系である。

 全体的に本校舎と比べて壁や廊下の色が新しいのは建てられた時期が違うためだ。そんなところまで本物の大月高校に似せる理由は俺にはわからない。運営様のこだわりなどプレイヤー側には知ったことではないのだ。

 先行する風紀委員の一人が、ある部屋の前で立ち止まった。

 後続の俺たちに目配せしてくる。敵がいるらしい。部屋に近付いていくと、共振ハウルのわずかな耳鳴りがした。

 部屋の扉を開く。

 最初、何が起こっているのかを理解できなかった。

 部屋は通常の教室の半分程度の大きさで、奥側にロッカーが並んでいる。中には五つの人影がある。部屋の隅で若い女性が、羽交い絞めにされ、口を塞がれたままもがいている。彼女の視線は部屋の真ん中に向かっている。二人の男が女性を床に押さえつけている。男の片方が両方の腕を、そしてもう片方が脚を。

 押さえつけられた女性の近くに転がっているものがある。

 ……吐き出された《林檎》の種。

 馬乗りになっていた男が右手を振り上げる。握られた手斧ハチェットがエデンの月光を反射している。その刃は黒っぽい液体にまみれている。

「おい」

 掠れた声が音にならない。

 共振ハウルのせいばかりではない、強烈な耳鳴りが止まない。

 絶叫と哄笑と、にたにた笑う男たちと、拘束をほどけないまま頭を振り乱すばかりの女性たちと。

 視界のすべてが真っ赤に染まったような感覚があり――

 

 ……気付けば俺は、男の胸に短剣グラディウスを突き立てていた。

 突進の勢いで相手を床に突き飛ばしている。投げ出された手斧ハチェットが黒い砂になって散っていくのを横目に、俺は目をかっ開いて相手の口元を凝視していた。

 まだ種は飛び出していない。

 急所を突いたつもりだったが。

 ならもう一度突いて確実に『吐』かす、ために短剣グラディウスを振り上げる、だがその腕を掴まれた。振り返る側頭に重い一撃。喉の奥に吐き気が沸く。鈍器の類? こいつも手斧ハチェット? 判断つかない間に追撃が来る。ヤバい、耐えられない、

「――人の話を聞かないから」

 りん、と鳴る鈴の音のように、磐田先輩の声が響いた。

 ふたつの野太い悲鳴が重なり、俺の後ろでどどっと男二人が昏倒する。床を蹴立てる「だんっ――」という音、続く着地音、俺が突こうとしていた男の頸動脈にあたる部分を何かが擦過し、次の瞬間には種を『吐』いていた。

 ぽかんとしている俺の目の前で、さぁっと零結晶の粒子が雪崩れ落ちる。

「単独行動はするなと言ったでしょう」

 エデンの月が落とす翳りの中で、磐田先輩が俺を見降ろしていた。静かな憤りを込めたような、押し殺した声だったが、その表情は暗い影の中にあって見えなかった。窓から斜めに差し込む月明かりが、少し長い制服のスカートと脹脛ふくらはぎを照らしていて、その息を呑むほどの白さにしばらく、俺は状況を忘れて見惚れてしまった。

 そんなことをしている場合ではないのだ。

 羽交い絞めにされていたもうひとりの女性も解放されている。見たところ、そちらの女性の方には外傷がないようだ。問題はもう片方――床に倒れていた女性の口に、風紀委員の人が《林檎》を押し込んでいる。《林檎》を呑むなり吐き出そうとするのを無理やり押さえつけているみたいだった。

 それはつまり、『吐く』ほどの致命的な痛みが継続しているということであり、このままだとこの人は……

「押さえていてください」

 風紀委員の人に指示を出しながら、磐田先輩が邪魔な俺を押し退けて女性に歩み寄った。背中のリュックから猿轡を取り出して、押し込んだ《林檎》が飛び出ないように女性の口に噛ませた。女性はうーうーと泣き喚きながら暴れ続けていたが、ひとたびベルトを締めてしまうと、女性がどれだけ吐こうとしても猿轡はびくともしなかった。

「ひとまず応急処置を済ませました。今から私たちがあなたがたを安全な場所まで連れていきます。『吐』きさえしなければ治療が間に合いますから、絶対にこれを外さないでください」

 そのとき風紀委員の人が拾い上げたものが見えた。

 ……俺がさっきからずっと見ないふりをしていたもの。

 付け根から切り落とされた、女性の脚だ。

 

 主戦場ステージの外、つまり大月高校(もどき)の玄関口まで戻ってきた俺たちは、拠点で待機していた風紀委員に怪我人を預けた。そのまま最寄りの出口から狗吠市街に移動して、道中呼んでおいた救急車に引き渡してもらうという寸法である。

 男三人組の方もついでに拠点に押し込んできた。連中はあんなことをしでかした後だというのにヘラヘラ笑っていて、どれだけ殴りたくなったかわからない。

 つまり何一つ反省していないのだ、こいつらは。

「苑麻さん、先程は済みませんでした」

 引き渡しを終えた磐田先輩が俺に声をかけてくれる。俺が特攻ぶっこみをキメた後のキツめの叱責のことだろう。先輩は何一つ間違っていないし、なんなら俺も後悔はしていない。多分先輩自身も同じように考えていて、その上で、俺のメンタルを気遣ってこんな言い方をしてくれているのだろう。いえ、俺も考え足らずでした、と謝罪した後で、俺は改めて先輩に尋ねる。

「……毎回、こんな感じなんですかね」

「遺憾ながら」

 短い一言に込められた、先輩の静かな怒りを感じ取る。

「警察とか、動かないんですか?」

「過去に三度通報を試みましたがいずれもなしの礫です。埒が明かないので直接派出所に駆け込み、警官を連れて行こうとしたこともありましたが」

「どうなったんですか」

「エデンへの侵入と同時に警官の姿が消えました。派出所に戻ると警官は元の場所に戻っており、私たちが伝えたことを覚えてはいませんでした」

 ……。

 なにその突然のホラー……。

「警察も病院も、こういう事態には慣れているはずです。《肉入り》の歴史は長いようですから。数か月に一度、同じ日に、身体の一部を失う人が何人も現れる。この街ではなぜか定期的にそういう事件が起こることを、経験則として知っているはずです。もっとも、原因は不明、ということになっているでしょうが」

「原因不明って……」

「緘口令、もしくはそれと同等以上の効果を持つ情報操作が行われているようです。恐らく、エデンズフィールドの運営によって。……世にある陰謀論の類は九割九分がお粗末な妄想だと思っていますが、こればかりはそう考えなければ辻褄が合いませんからね」

 磐田先輩の口調は常のように淡々としてはいたが、その奥では強い義憤と苛立ちを押し殺しているように思えた。

 それはそうだろう。俺だってそう思う。頭がおかしいんじゃないか、エデンの運営連中は。

 勿論、こんなイカれたイベントに乗っかってしまう奴らも同じだ。

 そう考えた後、たどり着いた思考に、俺は外傷もないのに吐き気を覚えた。

 

 ……もしかしたら、須藤も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る