5-7.そして次の朝が来る

 俺は一人離れた位置から風紀委員と『狼』との戦いを見ていた。

 ……砕けた零結晶を抜け目なく回収して。

 ……その場で最大の脅威となる相手に無茶な特攻をして。

「分かりやすいんだよ、お前」

 何故だか笑いが止まらなくなった。

 今の自分を鏡で見れば相当にキモい顔をしていることだろう。まあ、そんなことは知ったことではない。

 相手の思考を手に取るように理解できるという感覚、その行動を読み切って、思いのまま、手玉に取るような、全能感めいた興奮で脳内が痺れる感覚――さすがにそれは悪し様過ぎるか。

 まあ、何にせよ、だ。

 俺はスーッと息を吸い込み、フーッと息を吐く。

 真っ直ぐに突き出した右手の中で、俺史上最高硬度の思惟による硬化ディレクションを開始する。


 そして『狼』の動きが止まった。

 委員長の連続攻撃に怯みもせず追い立て続けていた『狼』の動きが。

 ピクリとその耳がそば立つ。まるで本物の耳のように柔らかな動き。

 いやそれも硬結晶だろ? なんか微妙にかわいく見えるし。思わず俺は笑ってしまう。

「無視できるわけねえよなあ、須藤」

 その挑発に応えた、わけでもないだろうが、ゆっくりと『狼』がこちらに向き直る。

 俺を脅威と見なすべきか、そうではないのか――迷うような仕草。

「らしくねえ動きじゃねえの。どうした、ええ? ビビってんのか?」

 ……それとも流石に怖気付いたか?

 8……!


 だん!

 そして『狼』が地を蹴った。何度も見てきた鋭角的な跳躍。迎え撃つのは初めてだ。

 『狼』の顎門あぎとと開き、俺を噛み砕かんと迫ってくる。犬歯だけがやけに鋭い、歯並びの悪い黒曜石の牙が、遥か空の高みに輝くエデンの月にぎらりときらめく。

「おーおー、迫力やべえなおい……!」

 チキンの俺は普通にビビる。

「けどな」

 ビビりながらも全力で吠える。

なんだよなあ!!」

 俺は両肘を垂直に立て、『狼』の口に突っ込んだ。

 ガツッ! と鈍い音と共に、俺の喉に吐き気が走る。

 だが問題ない。全部計算のうちだ。

 トリックの種は俺の手の中にある砂粒並みの硬結晶。俺の持っていたサバイバルナイフを、思惟の限界ギリギリまで圧縮ディレクションしたものだ。硬結晶の硬度は単純に密度に比例するから、こいつの硬度は8を越える。武器にする必要はない。この場における最大の脅威が俺なのだとただ誤認させればいい。罠に釣られた『狼』を、真の脅威である『猟師』、すなわち委員長が仕留めるのだ。

 ここが正念場だ……、

(ほんの数秒、俺が耐えれば……ッ)

 遠くから新たな共振ハウルの音。独唱のような俺の硬結晶と、ドラム缶を囲んで殴るような乱暴な『狼』の硬結晶の轟音の上に、ハモるような委員長の硬結晶の音が混じる。

 『狼』の逡巡の気配がした。

 おいおい、ここに来て日和られちゃ困る。

「……二兎を、追うものは、何とやらだぜ……なぁ須藤!!」

 挑発にピキったわけでもあるまいが、『狼』が俺に噛みついたまま突っ込んでくる。押し止めるなんてのは無理な相談だった。俺はあっさり弾き飛ばされ、がしゃん! と檻に押しつけられる。ごりごりと背骨を擦り潰され、顎門あぎとの圧力が倍加し、胃を丸ごと捻じ切られるような吐き気が俺の喉を焼く。

 背と腕の骨が軋む幻聴が聞こえる。

 やべえ、吐き気が半端ない! 今ここで『吐』いたら最悪死ぬ……!

(…………委員長――――ッ!!)

 眩む視界の先、煌めく白い光と共振ハウルの耳鳴りが最高潮に達する。

 腕にかかる力が緩んだ。俺の腕を食い千切るのを諦め、委員長に狙いを定めたのか。

 炸裂音と共に跳躍――回避行動。だがその身体がと引っ張られて止まる。

 俺の真横に人の気配がある。

 さぁっと紗幕のような零結晶が雪崩落ちて、ふたつのものが現れる。

 ひとつは磐田先輩。

 もうひとつは、『狼』の首に繋がれた硬結晶のワイヤーだ。

 背後の檻の棒のひとつに、首輪のように結ばれている。

「見事です、苑麻さん。――終わりにしましょう」

「穿て――――――!!」

 委員長の《終焉の夜に雲間より差す光スティングレイ》が、その名の通りに闇を切り裂く。



 そこから先のことが、無音の時間の中で俺の意識を駆け抜けていった。



 ぱん……! と『狼』の首が弾けた。結ばれたワイヤーから先、装甲部分を離脱パージしたのだ。身軽になった『狼』は続けて前後両足を爆発させ高く跳躍する。「しくった!?」切迫した委員長の叫び。露わになった須藤の、真っ赤な上半身の残像を、《終焉の夜に雲間より差す光スティングレイ》の射線の光跡が掠めて消える。

「っ……!」

 愕然とした磐田先輩が目を見開いている。

 目を逸らすもの、歯を食いしばるもの、手がぶるぶると震えるほどに得物を握り締めるもの。風紀委員の皆様方がそれぞれ違う反応をしながら『狼』の軌道を目で追っている。

 ……この先の最悪な展開が脳裏を過ぎる。『狼』は委員長を潰しに向かうだろう。それを皮切りに切り崩されて全滅、敢えなくゲームオーバーだ。

 俺の隠し玉はネタが割れてる。同じ手はもう効かない。

 ――

 巨大なエデンの月を隠して『狼』の姿は空に在る。

 月明かりを乱反射する大量の零結晶の粒子が、俺の目の前でキラキラと、ダイヤモンドダストのようにきらめいている。

 形振り構わず回避機動を取っただけの『狼』は、今、無防備なままでそこに在る。

 一瞬のうちに行われたはずのそれら全てのことが、なぜかその時、静止画のように見えた。

 俺以外の、世界そのものが、止まっているかのように。


「…………ッ!」


 そして俺の身体が勝手に動いた。

 それはあたかも、静止した世界の中で俺の時間だけが動き出して、決められた運命をなぞるかのように。

 スニーカーの靴底が地面を蹴りつけ、身体をぐんっと押し出していく、足裏の感覚が一、二、三度。零結晶のきらめきの中ダイヤモンドダストに分け入りそして駆け抜けて、顔に触れ身体に触れては背後に押し退けられていく無数の粒子の存在を感じながら、俺は思惟にて希う。

 思惟の向き先は斜め後ろディレクション

 誰かに、強く、背中を押されるような錯覚。

 。俺の身体が弾頭のように加速し、視界の景色が目まぐるしく変わる。ぱん……! と遅れて響いた炸裂音と、喉を突いたわずかな吐き気を置き去りにして、俺の身体が宙に舞う。

 真夏の夜の、ぬかるむような、エデンの夜気を切り裂きながら、

 空中で身動きの取れない『狼』の、

 その肉体を真っ赤に染めた本体すどうの前に。


 ……それは俺がずっと考えていたことだった。

 俺には

 それ故に須藤のやり方では空を舞えない。

 だが、目の前に零結晶がたんまりあるなら!


 慣性に背を押されながら、握り込んだままの右手に思惟を這わせるディレクション

 視界の端で『狼』の前足が爆発的に伸長し、巨大な爪となって俺を裂き潰そうとする。

 《露払い》!

 だが、狙いが荒い! 

 不安定な体勢から繰り出された一撃は、ただ、首を捻り傾けた俺のこめかみをわずかにかすめただけで――


「――ああああああああああああッ!!!!」


 そして加速度的にゼロに近付いていく距離の果て、

 俺の手の中で硬化した、砕けた硝子の欠片のように不恰好な、推定硬度3.8のサバイバルナイフの刃先が、『狼』の身体を一直線に切り裂いた。



 着地のことを考えていなかった俺は須藤ともども変な角度で地面に激突しそうになり、「あ、やべ」と思ったところを柔らかいものに受け止められた。

 くにゃりと俺たちの身体の形に沈んでいったのは硬結晶のクッションだった。須藤が『吐』いたことで解放された大量の零結晶に、委員長が思惟を飛ばディレクションしてくれたらしい。『硬結晶で作られた柔らかいクッション』なんて語義矛盾な気もするが実際そうなってるのでまあよし。日本語って便利だよな。

 とか腑抜けてる場合ではなかった。

 俺は颯爽と(……と言いたかったが、実際はクッションの柔らかさに手足を取られてあたふたしながら)身を起こし、俺の隣で未だ目を覚まさぬままの須藤の顔を覗き込んだ。

「須藤……」

 赤く発光していた須藤の身体から光が抜けていく。その瞼がぴくぴく動いて、やがてゆっくり目が開いていく。

「須藤、大丈夫か!? 俺がわかるか!?」

 須藤はぼんやりと俺の顔を見て、その後心配そうにしている委員長や磐田先輩や風紀委員の皆様の顔をひととおり眺めた後、わずかに喉を震わせて、言った。


「……寝かせてくれよ。寝不足なんだ」


 そのまま目を閉じた。

 そしてぴくりとも動かなくなる。

 すかー、すかー、と可愛い寝息が立ち始める。


 ……。


 いつぞやの病院の件を思い出した。

 どっと肩の力が抜けた。

 笑かすか泣かすかどっちかに寄せろ、無駄に情緒をかき乱すな、このドアホ……!



 ひと息ついた俺たちの耳に、ぱち、ぱち、ぱちと拍手の音が聞こえてきた。

「見事です、アップルテイカーの皆様――」

 中庭を取り巻いていた檻が一斉に倒れてガランガランと音を立てる。その向こう、中庭と校舎の奥を繋ぐ段差の丁度真ん中のあたりで、ピエトロ氏がにこやかに笑っていた。

「かくして彼らはかけがえのない友情を守り通すことに成功しました。恐るべき《肉入り》の夜は明け、新たな朝を迎えることになります」

 ぴきり――

「だが、これですべてが終わったのか? 否、この夜の終わりもまた、次の夜の始まりに過ぎないのです。明けない夜がないように、沈まぬ陽もまた存在しない――世に悪徳の種は尽きまじ、そして、第二第三の《肉入り》が再び彼らを迎えるでしょう……」

 ぴきり、ぴきり――

「ともあれ今宵はこれにて閉幕、また次の舞台でお会いしましょう――では、善き《再会ゲーム》を!!」

 氏の頭上で校舎がひび割れ、満面の笑顔の上に瓦礫が落下してくる。

 グチャッ――という音がした。

「えぇ……」

「死んだか」と委員長。

「死にましたね」と磐田先輩。

 そっかぁ。惜しい人を亡くしたな。

 ……じゃなくて!

「死んだんですか!?」

「気にするな、毎度のことだ。代行様は毎回、《肉入り》で死ぬのが恒例になっている」

 と委員長が言った。

「いやでも、血……」

「前回も全身を串刺しにされて死んでましたね。生き残り連中の総攻撃で。串刺し公ヴラド・ツェペシュの末路といった感じで趣がありましたが」

 と心底どうでもよさそうに磐田先輩が言った。

「アップルテイカー全員のヘイトを一手に受けている運営代行様だぞ。まあそうでなくても、我々に殺し合いをさせようとした奴だ。同情する理由もない。それに」

「それに?」

「そんな暇もない」

 激しい揺れが巻き起こる。

「代行様の死によって世界の維持ディレクションが途切れ、すべてが崩落するというわけだ。ゲーム的な演出に根拠を与えるという凝り方には、まあ、敬意を表さないではない――が、巻き込まれるのも面白くはないな」

「これが本当のリアル脱出ゲームというわけですね」

「そのジョークはいまいちだぞ、副会長」

「漫才やってる暇があるんですか!?」

 俺は慌てて駆け出そうとして、未だ眠り続ける須藤に気付き、背中におぶって脱出する。

 校舎を駆け抜け、入口までたどり着いても、朝焼けにはまだ遠い。

 スマートフォンを確認する。3:45。

 振り返る俺たちの目の前で、大月の校舎ががらがらと崩れ落ちていく。

「このまま朝日が見られたら、ちょっとよかったかもなあ」

「それはいいシチュエーションだな。時河先生、次の作品に如何でしょう」

「寝不足で脳味噌飛んでませんか? というか時河って誰です? 知りませんよそんな人」

 そんな気安い会話が、俺の耳を心地よく通り過ぎていく。


 ピエトロ氏の最後の言葉が頭をよぎる。

 明けない夜がないとして、その次の夜がまた来るとして――それでも今は、この夜が明けていくことを、素直に喜んでいいのではないかと思った。

 なんてことをわざわざ口に出したりはしない。俺の詩情は俺だけのものだ。後でアプリにメモしておこう。

 センチメンタルな想いがエデンの夜に消えていく。不思議と苦しかった《肉入り》の記憶は消え、心地良い達成感が残っている。最後まで残るものが苦難を乗り越えた喜びなのだとすれば、後から振り返ったとき、俺たちが覚えているのは、綺麗な思い出だけなのだろう。

 ……ちらりと背中の方に目を遣る。須藤は起きる気配がない。

 そうであればいいな、と俺は思う。

 辛いことも、悲しいことも、まるで何もなかったかのように。

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