5-6.狼と人と

 俺たちが中庭に到着したとき、二名の風紀委員が『狼』の猛攻を必死で押しとどめている最中だった。

 捕らえていた連中がいなくなっている。ぎゃあぎゃあ喚くのが聞こえて玄関口の方に目をやると、両手両足を縛られたまま芋虫のように這いずって校舎から逃げ出していくのが見えた。間抜けな絵面を眺めながら、人間、必死になれば何でも出来るもんだな……などと場違いなことを思ってしまう。

 そんなものに構っている場合ではなかった。

 『狼』はその全身を硬結晶で覆い、四足歩行でバッタのように飛び回っていた。足元の土と零結晶の欠片を巻き上げながら、飛び跳ね、着地し、また飛び跳ねるその軌跡が、夜の闇の中でちらちらときらめく。『狼』のが――その一本一本が風圧になびくほどに繊細で、それでいてかなりの硬度を保つという高度な思惟による硬化ディレクションによって創り出された『柔らかな硬結晶』が、稲穂のように揺れているのだ。

 目が合ったような気がした。漆黒に覆われる全身の中で、『狼』の目、そこだけが赤く、爛々と輝いている。

 それが須藤の肉体の色だと気付いた瞬間、俺は背筋が凍るような気持ちになった。


「かかれっ!」

 委員長の号令一下、風紀委員の皆様が飛び掛かっていく。三人一組になって、正面、右斜め後ろ、左斜め後ろの三か所から『狼』を包囲していく。

 俺もその後に続いた。遊軍めいたポジションで、『狼』の真後ろ、比較的反撃を受けづらそうな位置に陣取って切りかかる。

 パキン! と澄んだ音を立てて、硬結晶が飛び散った。

 折れたのは『狼』の毛じゃない――短剣グラディウスの方だ。半分になってくるくると宙を舞う刀身が見る間に黒い砂に変わっていく。一瞬惚けた俺の身体を『狼』の後ろ足が薙ぎ払った。エグい吐き気と共に吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる。

「くっそ……」

 ……装甲が硬い。少なくとも硬度3.5はある。俺ではどう頑張っても抜けない。

 それどころか、攻撃すればするほどあちらに与するだけだ。『狼』がさっきの蹴りのとき、ついでと言わんばかりに零結晶を回収していったのを俺は見た。

 恐らく何度やっても同じだ。

 砕いた零結晶の回収……。挙動がいかにも須藤っぽいのに俺は苛立ちを覚える。

 全体で見れば、戦況はけして悪くなかった。風紀委員の皆様の健闘で『狼』の硬結晶は少しずつ削られている。だが、どれだけ時間がかかるだろう? いかな結晶樹の実とはいえ、溜まっていく疲労を無効化できるわけではない。一方あちらさんはどういうわけかピンピンしている。グレンデルの時と違って攻略プランがあるわけでもない。徐々に集団としての動きが鈍ってきたとき、そこに付け込まれたら、一気に瓦解する可能性があった。

 恐らく委員長も同じ考えだったのだろう。

「諸君、フォーメーションCだ!」

 叫びと同時に包囲の厚みが変わる。それまでの局所的な集中攻撃から、広く浅く、絶え間ない波状攻撃に。フォーメーションC――すなわちその狙いは反撃カウンターアタック。手数の多い相手に対して、全体としては攻撃よりも防御に重点を置いて崩壊を防ぎながら、一撃必殺を狙う陣形。

 一撃を入れるのは勿論、委員長だ。

 当の委員長は散発的な銃撃で少しずつ『狼』の硬結晶を削り落としながら『狼』の後方に駆けていく。『狼』は囲まれて身動きが取れない状態。背後の死角で委員長が銃を構える。その銃口が白い輝きを放ち始め、ひときわ強い共振ハウルが俺の耳をつんざく。

 その瞬間、発条ばねのように『狼』が跳ねた。

 鋭角的な跳躍が俺たちの視界を斜めに擦過した。サーカスめいたバク宙――黒曜石の塊のような『狼』が縦に旋回。翻った尾が夜の闇を裂き、戦槌の如き勢いを以って、委員長に叩きつけられる。

「ぐッ……!」

 委員長が種を『吐』く。

 着地した『狼』は無力化された委員長には最早注意を払わず、動揺する風紀委員の皆様に再びターゲットを絞り直した。俺はしばらく逡巡した後、委員長に駆け寄った。

「……済まない、不覚を取った」

 俺が差し出した《林檎》を噛み砕きながら、委員長は少し暗い声音で言った。

「なんなんですかあれ。まるで後ろが見えてたみたいに」

というか、というべきだろうな。恐らく共振ハウルに反応された。硬度か何かを基準にした、脅威判定が行われているものと推測できる」

「そんな、ゲームじゃあるまいし」

「運営的には、これはゲームだと言うだろうさ」

 委員長が淡々と言うので、軽口なのか真面目なのかを測りかねた。風紀委員ジャッジメントジョークは部外者の俺には分かり辛い。

「……須藤は大丈夫なんですか」

「済まない、僕にもわからない。初めてのケースだ。あれに種を『吐』かせて須藤君が元に戻るのか、そうでないのかも」

「そんな……」

「悲観している暇がない。あれが僕たちの知る《林檎》であると仮定して、『吐』かせれば元に戻るはずだ。ゴリ押しで制圧できるならそれでよし、無理なら復活リスポンを繰り返しながら攻略の糸口を探していこう。幸い、《林檎》のストックはまだある……」

 悲鳴が上がった。一人風紀委員がやられて『吐』いた。

 迷っている時間はないようだった。須藤を思い遣ってる間に全滅させられては元も子もない。どうにかして『狼』を『吐』かすしか道はない。

 俺は頭の中で《林檎》の残数を計算する。中庭のど真ん中にあった結晶樹は『狼』が落ちてきたときに破壊されており、最早補給ポイントとしての意味を成していない。つまりこの局面においては《林檎》の数がそのまま残機だ。

 ジリ貧覚悟で長期戦を挑むにしても、《林檎》がなければどうにもならない。ダメージを通せない俺にできるのは後方支援しかなかった。確か二階の空き教室にも補給ポイントがあったはずだ。《林檎》を補充すべく、俺は中庭の出口に向かった。

 だが校舎に入ろうとした瞬間、がん! と何かが俺を阻んだ。

 目の前に何かが突き立っている。それは黒く輝く細長い何か――槍? 棒? それが何であるにせよ、地面の奥深くにめり込んで、簡単には抜けそうもない。俺の見ている前で、空から降ってきたそれが、がんがんがんがん! と連続で突き立っていく。俺の左右に、円周状に広がりながら、中庭をぐるりと取り囲むように。

 この形状は――

「『檻』……?」

「ご名答」

 答えもまた、空から降ってきた。

 見上げた先には――半分予想通り、半分予想外の光景がある。何度見ても俺の気に触るピエトロ・ドーケン氏が、白い外套マントをはためかせながら、と宙に浮かんでいる。人差し指を口元に当てて、チェシャ猫みたいに笑いながら、俺をまっすぐ見つめている。

「いけませんねぇ、苑麻クン……マナー違反ですよ、ボス戦の最中に逃亡なんて」

「何がマナーだ、好き勝手に俺ルールを押し付けやがって」

RPGゲームの鉄則でしょうに? ボス戦が始まったが最後、アナタ方は手持ちのカードでなんとかするしかありません。一寸ちょっと戻ってアイテム補給、宿屋に泊まって続きは明日――そんな風情のない話、運営代行としては看過しかねますねぇ」

 クソゲーを押し付けてくる側が何を抜かすか。

 だが現実問題、これでは《林檎》を取りに行けない。この檻、硬度が並じゃない。俺の見る限り5は越えている。この場にいる誰がやっても破壊することはできないだろう。全力で押したがびくともしない。引き抜くことも不可能だ。勿論、間を抜けることも。

 業腹だがでやるしかない。俺はなおもニヤニヤする氏を無視して戦場に向き直る。フォーメーションAAssultに敷き直した陣形は順調に機能していた。恐らくその一因は委員長が《終焉の夜に雲間より差す光スティングレイ》をフェイントに使って翻弄しているためだ。硬度がある程度まで上がった瞬間、『狼』が俊敏に反応するが、そのときには硬度6越えの白い光が消えている。その間『狼』の背中はがら空きになり、風紀委員の皆様の攻撃が集中し、がりがりと硬結晶が削られていく。

 もう一人の立役者は磐田先輩だった。《叢雲むらくも》によって隠蔽された硬度4.5のダガーが、文字通り不可視の刃となって無数の傷を刻んでいく。学習能力のある『狼』が委員長のフェイントに無視を決め込めば、《叢雲むらくも》を解除してこの場における最高硬度をちらつかせ、脅威判定をコケにするように現れては消え、消えては現れ、その合間に『狼』の耳を、爪を、長い尾を切り飛ばしていく。

 長い長いHPバーを削り取られるが如く、『狼』の姿が少しずつ小さくなっていく。

(これ、もしかして、このまま行けるんじゃ…?)

 ごくりと唾を飲んだ瞬間、『狼』が「ぐっ」と身を屈めるのが見えた。


 何度も見てきた俺にはわかる。

 それは須藤の『予備動作』だ。

 あのアホが、無茶苦茶な特攻を仕掛ける前の。


「逃げろおッ!!!!」

 俺は思い切り叫んでいた。

 まさにその瞬間だった――削られ砕かれ切り落とされて半分になっていた『狼』の尾が、一気に数倍に膨張する。『狼』の本体を覆っていた硬結晶が、肉体を作り替えるように移動したのだと、その瞬間に気付けた者は一人もいなかっただろう。尾は旋回し周囲を薙ぎ払った。羽虫を圧し潰す箒のような暴力性。点ではなく面に対する範囲攻撃。それは風紀委員の皆様を飲み込み、不可視だったはずの磐田先輩をも巻き込んだ。空中、人の形に出現した零結晶が――《叢雲むらくも》を解かれた磐田先輩がバウンドし、ごろごろ転がり、きらきらと輝く粒子を撒き散らしながら吹っ飛んできた。

 まっすぐ俺に向かって。

 慌てて受け止めた。

「だ、大丈夫ですか」

「――不覚を取りました」

 磐田先輩はリュックから取り出した《林檎》を噛み砕いた。

「……全周に対する範囲攻撃。さしずめ《露払い》とでも言ったところですか」

 磐田先輩が歯噛みするように呟く。

「それより……、全快とは」

 そうだ。吹っ飛ばされた俺たちの武器は『狼』に回収されている。今まで時間をかけて削り落とされた分を完全に取り戻して、最初とまるきり変わらない姿で立っている。

「同じ戦法でダメージを与えても、もう一度《露払いあれ》を食らえば――《林檎》の数が足りなくなります」

「すみません、補給に行こうと思ったんですけど」

 俺の謝罪に、先輩がちらりと『檻』を見る。

「……《道化》の仕業ですか。あれでは外には行けませんね」

 やっぱそうか……。わかっていたことだが、第三者に言われると絶望がいや増す。

「それ以前に、こちらに武装がありません」

 それも事実だ。硬結晶がない。全部『狼』に奪われている。

 銃声が鳴り、『狼』の背中で弾ける。委員長が『狼』の周囲を駆けながら銃弾を撃ち込み、また一から硬結晶を削り始めた。

「諸君、少しでもいい、零結晶を回収しろ! ここから態勢を立て直す!」

 『狼』が委員長に突っ込んでいく。防御に徹して、隙を見計らい銃撃、銃撃、銃撃――少しずつ弾き飛ばされる零結晶を、風紀委員の皆様が回収に走る。

(一度もやったことねえけど……)

 俺は俺で、折れた短剣グラディウスを改めて硬化ディレクション。肉厚のサバイバルナイフの形状にする。推定硬度3.8。相当接近しないときついが、これなら削るくらいはできる。

 やってみるもんだな……!

 委員長が引き付けてくれている間、俺は背後から接近する。切り付けて、距離を取り、その繰り返し。――攻撃が通る。それだけでも気分は随分マシだった。

 ちまちまと『狼』の硬結晶を削りながら、ふと思いついた。近くにいた磐田先輩を呼び止めて伝えてみる。

「《叢雲むらくも》で委員長を隠せませんか? 共振ハウルに反応しているのなら、隠れて狙撃すれば……」

「無理です」

 即答だった。

「《叢雲むらくも》の迷彩が機能するのは、自分の動きに合わせてリアルタイムに形状を変化させているためです。それができるのは自分の身体だからであって、私の思い通りにならないものは隠すことができません。たとえ身体の一部であっても、他人を隠すことはできません」

「その場にずっと留まっていても?」

「私の思惟ディレクションは会長と違い、離れてしまえば機能しません。その場から動けないなら、隠れる意味はありますか?」

 返す言葉もない。一撃で仕留められなければ、居場所がバレて終わりだ。チャンスが何度もあるなら別だが、《林檎》も零結晶も不足した今の状況で賭けをするにはリスキー過ぎた。

 こちらの切り札は委員長の一発。

 確実に決める必要がある。それを外せば、恐らく委員長がやられる。『狼』の警戒も強まるだろう。たとえ《林檎》が残っていても、奪られた零結晶を取り戻せない。

 確実な方法が必要になる。

 あの俊敏な『狼』を、その場に足止めする方法。

(あんのかよ、そんなもん……)

 己の非力さがあまりにも歯がゆい。俺が作れる最強の武器はこのサバイバルナイフが精一杯だ。もっと硬度を上げようと思えばか何かみたいになる。一寸法師じゃあるまいしそんな武器では戦えない。『狼』の鎧を一撃でぶち壊せるような、例えるならいつぞやの一階層のボスみたいな、鉄塊みたいな武器が作れたら――却下。夢のまた夢だ。

 硬度――

 ……。

 一瞬、脳裏に閃くものがあった。

(硬度を、上げる……?)

 待て……、それなら……、

 ぱちぱちと音を立てて、俺の頭の中で打開策が組み上がっていく。道が開けていく感覚。何時間も悩み続けてわからなかった数式の解法を、ついに思いついた時のような。

 動きを止める。

 止められる。

 恐らく、俺なら、『狼』を。

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