会社員と海の子守唄(5)

「無理だ……もぅ無理だ……」


「お腹パンパンで動きたくない。」


俺とアスカはまた食べすぎた。魚市場で出てくる料理は焼いたり生のままだったりとシンプルな料理が多いが、新鮮な魚はそれでもとても美味しかった。


でも、まだまだ料理は続いた。


「さぁ、こっからがメインディッシュだよ!」


魚市場の店員が運んできたのは、大皿に入った魚の煮付けだ。


「ウチの煮付けは秘伝のタレにつけてあるからね! よそとは味が違うよ! 後はすり身の串タレ焼きだ。この香ばしい匂い! どうだい自慢の料理は!?」


大皿の魚と山盛りに積まれたすり身の串焼き。目の前に出てきた時は腹に入らないと思ったが、匂いがお腹を刺激してまだ食べれそうな気分にしてくれる。


「自慢の料理だからよ。頑張って食べとくれよ!」


そう言って店員は席を離れていった。俺とアスカは一口ずつ魚の煮付けとすり身の串焼きを食べた。


「あぁ、美味い。」


「この味、美味しいね。」


さっきまで魚本来の味を堪能していたが、今食べたのは魚の味をタレが何倍にも膨らましていて、鼻から抜けるタレの味がとても深みのある味わいを醸し出す。


……とは言いつつも、流石に山盛りの魚を食べ切れることは無かった。


「……やっぱりムリ。」


俺とアスカは少し量の減った煮付けとすり身の串焼きを前にお腹が満腹になり、満足して休んでいた。流石にこれ以上は入っていかないなぁ。天井を見ながらそう思っていると


「……ねぇ、食べきれないのならもらってもいい?」


ふいに話しかけられて、俺は声のした方に振り向いた。


……あ、人魚だ。初めて見たなぁ。


それは上半身が女性で下半身が魚になっている人魚だった。昔の童話や絵本で見聞きした人魚が俺とアスカのテーブルに肘をついて魚を見ている。


「いいよ。」


「いいの!? ここのタレすごく美味しいんだよね〜。」


そう言って人魚は両手に串焼きを持ち、口いっぱいに放り込んだ。まるでハムスターかリスか。ほっぺたをパンパンに膨らませながら食べている。


「美味しそうに食べるね。」


見ていて元気が出るような食べ方だ。


「だって美味しいもん! こっちの煮付けももらっていい?」


「いいよ。好きに食べな。」


「はぁ〜い! ありがとう!」


そう言うと、手づかみで魚の煮付けを食べだした。あぁ~。手と口元がベタベタだ。


「ハハハ。元気に食べるね。ほら、こっち向いて。拭いてあげる。」


アスカがベタベタになった手と口元を拭いている。人魚は口をモグモグとさせたままアスカに拭いてもらっている。


「モグモグ……っぷはぁ。美味しかったよ。ありがとう! 後、串焼きをもう少しもらってもいい?」


「どうぞ。」


俺は串焼きが乗った皿を差し出した。人魚は両手に串を持ち、そのまま帰っていった。


……海へと。


「……あれ? 海に行っちゃったよ?」


俺とアスカは顔を見合わせる。


「串焼き……ふやけちゃうよね?」


……それはどうだか分からないけど……


俺とアスカはしばらく海を眺めていた。そうすると、海面が急に上昇した。いや、海面から何かが姿を現そうとしているんだ。


「ありがとう〜!」


海面から姿を現したのは、巨大な魚に乗った人魚だった。さっき話しをしていた人魚だ。まだ両手に串を持っている。その両手を勢いよくこっちに振っている。


「バイバーイ。」


アスカが人魚に応えて大きな声で手を振っている。俺も控えめだが手を振り返す。何かこんなところで本物の人魚に出会えるとは思わなかったな。


『我が子が世話になった。また会おう。』


何処かで声がする。きっとあの巨大な魚が話しかけて来たのかもしれないな。そう思えるくらい不思議な目をした魚だった。


そして、人魚と巨大な魚は海へと消えていった。消えるとともに海は穏やかになり、静かな海辺が戻ってきた。


とても不思議な体験をした俺とアスカは周りのことが見えて無かった。


人魚と話すこと。巨大な魚に話しかけられること。それがどれだけ特別なことか知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る