14 叛乱-1-

  カイロウが目を覚ましたのは昼過ぎだった。

 昨夜は緊張と興奮のせいでなかなか寝つけなかった。

 いよいよ今日、全てが決する。

 彼には明日以降の予定はなかった。

 今夜、娘を取り戻す。

 いつしかそれが人生の目的になっていたから、後のことは何も考えていない。

「ああ…………」

 眠気覚ましに冷水を顔に叩きつける。

 刺すような痛みが皮膚を打ち、半分夢の中にいた意識が一気に現実に引き戻された。

(ついにこの時が来たのか……)

 人生で最も危険で、最も幸せな一日となるかもしれない。

 準備は整っている。

 リエのおかげで杜撰だった計画は完璧なものに仕上がった。

 方舟が飛来するのは20時20分。

 そこから全ての行動を逆算し、工程を組み立てた。

 最初の一手は17時00分だ。

 それまでまだ時間がある。

 だが気分が落ち着かない彼は軽く食事をすませると、身支度をして家を出た。

 普段、よほどの事情がないかぎり持ち歩かない拳銃も今日ばかりは携行する。

 外に出ると、町全体が落ち着いていないような気がした。

 クジラ教の集会だ。

 まだ日も高いというのに、正装した信者があちこちにいる。

 ビラを配ったり、まじないを唱えたりと、やりたい放題だ。

(この数日で入信者が増えたのか?)

 そう思いたくなるほど、彼らはいたるところで布教活動に勤しんでいる。

「さあ、祈りましょう! 今夜、我々は偉大なるクジラ様と共に!」

 幹部が一般信徒を率いて通りを練り歩いていた。

 教祖の姿は見当たらない。

 これほどの騒ぎなら通常、警察が出てきて解散を促すものだがその様子はない。

(やはり政府とクジラ、クジラ教はつながっているのか……)

 他の宗教団体なら厳しく取り締まられているところだ。

 信者獲得に躍起になっている連中を尻目に、カイロウは町を抜けて山に向かった。

 山といっても恵みの雨が堆積してできたものではなく、本来の意味での山である。

 さほど人の手が入れられていない、自然のままのここには神秘的な静謐さがあった。

 山道に入り、中ほどから分岐した小道の先に拓かれた小さな墓地。

 そこに妻の墓があった。

 周囲には膝ほどの高さの雑草が茂っている。

「すまないな、レンテ。ろくに手入れもしてやらなくて……」

 墓前に少しばかりの水とパンを供える。

 どうせここを離れた途端、野鳥の餌になってしまうと分かっていても、食べ物を差し出してしまうのは――。

 妻に生きていてほしかったという願望、あるいは彼女はどこかでまだ生きているという幻想によるものだ。

 だから彼は今日までここを訪れなかった。

 彼女の死を認めたくはなかったのだ。

 理不尽な死を受け容れることはできなかったのだ。

「きみを喪い、ティレルを失い……何度死のうと考えたことか――」

 落涙はしなかった。

 まだ何も始まっていないのだ。

 涙を流すのは全てが終わってからでも遅くはない。

「だけど今日、私は生きていて良かったと思う。なぜだか分かるかい?」

 彼女に代わって木々の葉揺れが答えた。

「私たちから愛する娘を奪った、あの忌々しいクジラさ。あれに乗り込む日が来たんだ」

 カイロウは愛おしそうに墓石を撫でた。

 雨風に晒され起伏のできた表面が、ざらざらとした冷たい感触を返してくる。

「私が必ずティレルを連れ戻す。また3人で一緒に暮らそう。あの時、できなかったことを私たちで――」

 失われた数年は戻ってはこない。

 だが彼にはそれを受け止められる冷静さはなかった。

 彼の中の娘は、あの日のままだった。

 まだ独り立ちもできない、無垢なころのままだった。

 どれほどの月日が流れようとも、心に想い描く愛娘の時は止まっていた。

「だからどうか、見守っていてくれ」

 彼は慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 目の前にあるのは墓石だが、その奥に妻レンテの姿を見ていた。

 妻としても、ひとりの女としても素晴らしい人物だった。

 才気に溢れていて、何でもそつなくこなす器用さがあった。

 知識も豊富で、彼女と話しているといつも新鮮な驚きがあった。

 才能に恵まれる一方でそれを鼻にかけず、努力も怠らない。

 自分には勿体ないほどの、できすぎた妻だった。

 そんな彼女の唯一の失敗は、役人に盾突いてしまったことだ。

 たった一度のその過ちさえなければ、少なくともこの石の下で眠るのはもっと先になっただろう。

「もっときみと話していたいが……そろそろ時間だ」

 日はゆっくりと沈み始めている。

 空が薄汚れた青から濁った赤に変わる前に、行動を起こさなければならない。

「――じゃあ、行ってくるよ」

 名残惜しそうに墓石を愛でると、彼はちらりと横に目を向けた。

 すぐ隣にもう一基、やや小さな墓石が建っていた。

 正面には、”カーティ=オルネ”と名が刻まれている。

 こちらも手入れされている様子はなく、光沢があったハズの表面は黒くくすんでいる。

 それを無表情で見下ろしたあと、カイロウは山道を引き返した。

 ”すぐに戻って来るから”

 背中越しに妻にそう伝えながら。

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