13 復讐鬼-6-
「きみはクジラをどうしたいと考えているんだ?」
「はい……?」
「私が何をするかを知らないきみが、どうして協力できる? きみと全く正反対の目的があるかもしれないのに」
「それはあり得ません」
「――なぜ?」
「あなたがクジラ教の信徒ではないからです」
彼は首をかしげた。
理由になっていない。
「それだけではないですよ。ここで働いて、クジラについて調べ回って、ドクターを辞めた今も秘かに出入りしている……。
そんな不可解な行動ばかりとる人がクジラに好意的なハズがありませんから」
真顔で言った彼女は忘れていた微笑を浮かべ、水を汲みに席を立った。
その後ろ姿を見つめながら、彼は考える。
相手が自発的に秘密を打ち明けたからといって、律儀に応じる道理はない。
当初の予定どおり、緘黙を貫くのが賢明だ。
(しかし…………)
その境遇には同情してしまう。
クジラによって人生を狂わされた、という点では自分に通じるところがある。
当然、抱いている感情も同一と言っていいだろう。
「――リエ君」
「教えてくれる気になりましたか?」
彼女は待っていたように身を乗り出した。
カイロウは曖昧に頷いた。
「その前に私の話をしておく。私の、娘の話だ――」
リエはそれを黙って聞いていた。
相槌さえ邪魔だと言うように、彼女は音のひとつさえ出さないように静かにそれを聞いていた。
「――だから私は娘を取り戻すと決めたんだ」
彼は経緯を語った。
話すうち、クジラや役人への強い憤り、妻を喪ったことによる深い悲しみ、娘との再会を冀う気持ちが波のように押し寄せてきた。
自分でも心の整理がついていないことを自覚し、気分を鎮めるために何杯も水を飲み干した。
喉の渇きは水で癒えるが、肉親に会いたいという想いは痛みとなって彼を内側から蝕み続けていた。
「きみが言った不可解な行動は全てそのためだ。全ては――娘の、私のためだ」
不思議だった。
一度打ち明ければ、そのあとはすらすらと言葉が出てくる。
いつの間にか彼女に対して真実を隠そうという気持ちはなくなっていた。
むしろ訊かれる前に何もかも吐露したい――そんな気さえしていた。
「分かります、ドクターのこと」
リエは力なく笑った。
「ずっと我慢するのは疲れますから。私だって言いたくても言えなかったんです。ずっと……誰かに聞いてほしかったんです……」
「リエ君……?」
「でも、できるワケがないんです。クジラは絶対だから……クジラが妹を選んだのだから、それが正しいと――それしか言ってくれない。
いくら私が苦しいと声をあげても、みんな両親の味方をするんです。誰も私の痛みを分かろうとしてくれなかったんです……」
――そういうことなのか。
彼は彼女と、そして自分自身について理解した。
真の苦しみは経験ではなく、それを理解してもらえないことなのだと。
誰もがクジラは正しいと言う。
楽園に招かれた娘は幸せだと言う。
だからそれを幸せだと思わないお前はおかしいのだと言う。
(きみも同じだったんだな……これまで誰にも理解されずに…………)
リエの瞳はわずかに潤んでいた。
きっと自分と同じように無数の感情に翻弄されているのだろうと知る。
誰に分かってもらえなくとも、彼らは目の前にいる彼(彼女)にだけは理解してもらえる。
それぞれがそれぞれに抱え、苛まれてきた痛みを互いに分かろうとすることができる。
肉親よりも、ずっとずっと、はるかに強い結びつきだった。
「こんな世の中は間違っている――そう思うことでなんとか今日まで生きてきたんです」
リエは言う。
「この施設に来る患者も、元を辿れば間違った世の中の犠牲者なのだと……そう思えば血を見ることも苦痛ではありませんでした」
ここにいる理由。
「でもそれでは何も変わらないんです。いつまで経っても終わらないんです」
ここにいてはならない理由。
「あのクジラの存在が、かえって世の中を不公平にしている……私たちを不幸にしている――そう思えてならないんです」
協力を申し出た理由。
「だから手伝わせてほしいんです! 私も何かしたいんです!」
それが全てだった。
だがそれで充分だった。
彼女には未練がない。
世の中を変えようなどという、大それた野望でもない。
ただ自分を苦しめた理不尽にささやかな仕返しがしたいという、極めて個人的な理由だ。
「――分かった」
それを咎める資格はカイロウにはない。
彼もまた、愛娘を取り戻すという自分本位の大義で動いているからだ。
「ただ、私はきみほど高尚じゃない。娘さえ帰ってくればそれでいいんだ。だから世の中がどうとかまでは――」
カイロウは自分の考えが、自分が思っていたよりもずっと狭いと思い知った。
同じ理不尽を味わわされたというのに、彼女はそれを世界の不条理だと捉えている。
そしてそれに対して問題意識も持っている。
私憤に囚われ、それ以外を見ようとしなかった彼とは大違いだ。
「かまいません。私も大それたことができるなんて考えていませんから」
強い女だ、とカイロウは思った。
助手としてももちろん有能だったが、彼女は人として自分の何十歩も先を行っているような気さえした。
(リエ君になら教えてもいいだろう)
このような気持ちになったのは境遇に同情したからではないし、志に触れて感銘を受けたからでもない。
きっと同じ痛みを分かち合いたかったのだ。
心を許せる人間が身近にいなかったから。
ダージにしてもデモスにしても、仕事上ではそれなりの付き合いがあった。
だが彼らはそろってクジラ批判をするカイロウを窘めた。
その気持ちに寄り添ってはくれなかった。
「きみに見せておかなければならないものがある」
リエは無言で頷いた。
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