12 胎動-3-

 地下での作業を終え、来たときと同じように通用口から出て帰路に就く。

 空は赤色と茶色が混ざりそこねたような色味を帯びていた。

 霧の影響で夕焼けはいつもぼんやりとくすんでしまう。

 一説によればクジラに選ばれて楽園に住む子どもは一日中、青々とした天空を仰ぐことができるらしい。

 どうせ政府が人民統制のために流布した作り話だろうとカイロウは考えているが、事実なら一度くらいは見てみたいとも思っていた。

 空の青とは、いったいどれほど美しいものなのだろうか。

 娘もそれを見ているのだろうか。

 そんなことを考えると胸が苦しくなる。

「待ってましたぜ」

 呼吸を整え、自宅前まで来たカイロウをダージが迎える。

「何か約束があったか?」

 作業に没頭するあまり、約束を忘れていたのかと彼は思ったが、

「いや、オレが勝手に来ただけですわ」

 とダージがすまなそうに言った。

「そうか、とりあえず上がってくれ」

 相変わらず散らかっているテーブルを片付け、椅子を勧める。

 ダージは挨拶もそこそこに地図を広げた。

「こういうのを専門にやってる情報屋が見つかりましてね。クジラ様の動きはしっかり掴めましたわ」

 地図には昼間の遊泳ルート、夜間の遊泳ルートが色分けして書き込まれてあった。

 各所に待機している時間も秒単位で記されており、これまで以上に正確なデータが集合したことになる。

「オレも改めて見て驚きましたな。あのクジラ様がこんなふうに泳いでたなんてね」

 ダージが夜間のルートを指でなぞった。

「これは――」

 まるで蜘蛛の巣のように縦横に伸びる線を見ながら、カイロウは唸った。

 昼間、聖地を巡るクジラの遊泳ルートはある程度の傾向こそあるものの、その行き先については完全に予測できるものではない。

 実際、経験豊富な調達屋でさえ確実に行方を占うことはできず、クジラが見当はずれの方向に進んだために雨を逃した例はいくらでもある。

 しかし夜間については完全にルートがパターン化されていた。

「ここを見てください。この場所を起点にした場合、通り道はこの線です。で、ここで南に進路を変えて……」

「なるほど、つまり翌朝はここから始まるのか」

「それだと間に合いません。ってことで、次はここですわ。つまり夜間のルートは決まってますが、昼間はばらばらってことです。

どうも4時から6時までの間で調整してるらしいんで。言い換えれば4時の時点で、2時間以内に行ける範囲が翌日の起点ってことですな」

「ややこしいな……」

 普段から仕事に用いているだけあって、ダージは地図の読み方に慣れていた。

 カイロウにとってはやや難解だったが、これは仕方のないことだった。

 付記された情報には関係者間でのみ通じる用語がいくつかあり、反対に調達屋なら分かって当然の項目が省略されている。

 ダージは彼にも分かるように説明しつつ、後で見返せるように話した内容を書き加えていった。

「――つまりクジラの移動は大きく昼と夜とに分かれていて、昼は6時から18時まで。夜は20時から翌4時まで。

昼と夜の間にはそれぞれ120分ずつの準備時間があって、この間に次のスタート地点に移動する……ということになるのか?」

「そういうことです。昼間の動きは読めませんが、夜間の場合はスタート地点が分かればルートは全て予測できますぜ。

ほら、20時にイド大山から出発する時は大きく西に回るこのコースだ」

 過去数か月のデータを参照すると、一度の例外もないことが分かる。

 夜間のルートが定まっているため、地図に引かれた線も昼間のそれに比べればはるかに少なくシンプルだ。

「で、クジラ様の動き方に関してですが、夜もところどころで静止してるようなんですよ。その時間と場所も全て決まっているようで」

 ダージは朱色で書き足した。

「いま印をつけた場所で留まるらしいですぜ。時間にして30分から35分だ」

 クジラが静止する場所はさまざまだ。

 たいていは都市部からやや離れた山間や近海の上空で、時には聖地の真上に留まる場合もある。

 これもパターン化されていて起点さえ分かれば、その場所と時間も全て予測できる仕組みになっていた。

 路線バスみたいだな、とカイロウは思った。

「その誤差はどこで辻褄が合うんだ?」

「準備時間ですよ。120分といってもぴったりその時間を使いきるワケじゃねえんです。どんなに遅くても6時前には次の起点に到着するんです」

 彼が言うには準備時間という言葉どおり、そこで調整が行なわれるのだという。

「なるほど……」

 聞けば聞くほど面白い話だった。

 日頃からクジラの世話になっているダージでさえ、知らなかったいくつもの事実が明らかになる。

 そのせいか彼の口調も興奮気味だ。

「勘のいいダンナならもう気付いてると思いますが――夜間の動きに関してもうひとつ法則があるんですわ」

 彼は各日の起点を順番に指で示していく。

「パターンは全部で15通りなんです。しかもそれを順番に繰り返してるんです」

 そして今度は日付を丸で囲む。

「ってことは今夜のクジラ様の動きだって予測がつくんだ。15日前のルートを見りゃいいんですからね」

 より分かりやすいようにと、ダージはもう一枚の地図を広げて見せた。

 場所は同じだがこれには夜間のルートのみが記されている。

 15通りの進路が描かれているだけなので、先ほどのものよりずっと見やすくなっている。

「これはすごい……!」

 カイロウは思わず立ち上がった。

 クジラに関して欲しい情報のほとんど全てが、この一枚に集約されている。

「よくここまで調べてくれた」

 知らず、彼は笑っていた。

 喜び――ではない。

 長年の計画が成就する目前。

 苦痛と屈辱と努力が報われる瞬間に立ち会った彼の眼は、ぎらりと鋭く輝いていた。

 その表情に気付いてしまったから、ダージは謙遜することもできなくなった。

 この数日で抱くようになった漠然とした不安が頭をもたげる。

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