12 胎動-4-
(ダンナはやっぱり…………)
疑念はほぼ確信へと変わったが、そう断定する材料がまだ足りない。
「良かったですね、ダンナ」
どうか、そんな答えを返さないでくれと願いつつ、彼は言う。
「これだけ分かりゃ、お嬢さんを取り返せるかもしれませんぜ?」
カイロウは肩を揺すっていた。
「ああ、そうだな。これでやっとクジラに近づける――」
表情を変えることなく。
声に強弱もつけず。
まるで機械のように、彼はそう返したのだった。
ダージは出されたミルクを一口だけ飲むと、気付かれないようにため息をついた。
彼との取引はこれで終わりになるかもしれない。
多くの施しを受けている地上の人間が、クジラに近づこうとするのなら、それは大いなる驕りである。
彼らに許されているのは崇め奉り、恩恵に感謝することだけだ。
間違ってもクジラに近づこうなどと考えてはならない。
その代償は落下物で負傷するような生易しいものではない。
神格化されたクジラ、その御威光(みいつ)を利用する政府がクジラに代わって下す裁きは、斬首よりもずっと重く、そして残忍だ。
「ダンナ……」
そうなる前に。
そうしてしまう前に。
たった一度だけ、ダージはそれを諌めることにした。
「オレの立場から言えたことじゃありません。オレには妻はいますが、子はまだなんです。だからダンナとはちがいます」
意味を成さない前置きをし、数秒の間をとって彼は言った。
「クジラ様に近づくのは……考えなおしてもらえませんか……?」
野暮なことを言っているという自覚はある。
互いに不干渉を守っているところがあるから、カイロウの自由意思に口出しすべきではない。
だが個人間の暗黙の了解は法には及ばない。
ここで制止するフリだけでも見せておかなければ、叛逆の幇助になりかねない。
カイロウははじめ、言葉の意味を正しく理解できなかった。
しかし冷静になり、自分が何を口走ってしまったかを思い出すと、ダージの言い分ももっともだと考え至る。
「さっきのはちょっとした冗談だよ」
もはやこの程度の言い訳が意味を成さないことは分かっている。
クジラに関する情報収集を急ぎ過ぎた、という自覚があったから。
ダージが自分に疑いの目を向けるのも止むを得ないことだと分かっていた。
「じゃあ……これを何に使います?」
彼は地図を指差した。
もう言い逃れられないところまで来ているのだとカイロウは悟った。
ダージは彼の計画を知らない。
いつ、どこで、何をしようとしているのか想像もつかないだろう。
なぜならカイロウ自身、その計画を立て終えていないからだ。
本人も分かっていないことを、どうして他人が読み取れよう。
とはいえ、クジラに対して良からぬことを企んでいる、という疑惑は拭いようがない。
この先、ダージは事あるごとに彼を疑うだろう。
その場を取り繕っても、一度はクジラへの叛意を口にした事実は取り消せない。
「ダンナの気持ちは分かる……分かってるつもりです。お嬢さんを奪われたと……そう思うのも無理はないことだと思いますが――」
「思うのも無理はない? なら事実はちがうと言うのか!」
カイロウの表情は忙しく変わった。
「クジラ様に選ばれた子は楽園に行く――これは大昔からの決まりなんです。ダンナだってそれは知っていたでしょう?」
「どうして私たちの娘なんだ! 他の家の子でも良かったハズだ!」
なぜ彼がここまで激昂するのか、ダージには分からない。
子どもが産まれ、その子がクジラに選ばれる。
これ以上の名誉はない。
もしダージが子を儲け、同じ境遇になれば盛大に祝うだろう。
それをしない――できない――カイロウの娘への執着ぶりは、彼には異常とさえ映った。
「お嬢さんは幸せです。そうでしょう? こんな環境ではなくて楽園で暮らせるんですから」
せめてそういうふうに思うことはできないか、と彼は心変わりを期待したが、
「私たちは望んでいない」
カイロウが考えを変えることはなかった。
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