10 来訪者-2-
そうすること数分。
「なぜ来たか分かるか?」
沈黙を破ったのはテラだった。
演技のつもりで飲んでいた水がなくなり、グラスは空になっている。
「理由などなかろう。昔なじみを訪ねるのに理由があるとすれば――そうだな……昔なじみだから、というのが最も自然だ」
デモスは今度は菓子を振る舞った。
卵と小麦粉を混ぜて焼いただけの、味気のないものだった。
「仕事だ」
菓子をひとつまみし、
「砂糖を入れるべきだ。甘味が足りない」
彼は無表情で文句をつけた。
「この町の物価を知っておるだろう。そんな高級品、儂にはとても買えん。いや、卵と小麦粉を諦めればあるいは――」
「金ならあるハズだ」
「事業のことを言っているな? それは浅慮よ。個人の金とは分けるものだ。儂の財布には光るものは入っておらん」
「それならそれでいい。水をくれ」
デモスは言われたとおりにした。
水ならいくらでもある。
「貴様に忠告しに来たのだ」
その言葉を聞き終わる前にデモスは彼に背を向けた。
傍に置いてあった袋から菓子をひとつ取り出し、口に入れる。
「ここに出入りしている者がいるか?」
「ああ、たまに。妙な宗教がな。しきりに入信を勧めてくるが……寄付できるような金はないといつも、断っておる。
すると早々と退散する――あれは信仰とは言えんな、あれは。神もお嘆きになるだろうな」
「他には?」
「そう、だな――ああ、そうだ。猫だ。猫が来る。下の畑にいる愛い奴よ。作物が実らんから、儂に食べ物をねだって来よる」
「他には?」
テラは顔色ひとつ変えない。
射抜くような視線を背に感じながら、デモスを大息した。
どうやら彼は疑念を抱いていて、それはなかば確信に近いようである。
そう読んだデモスは、
「おお、忘れていた。少し前から取引を始めた男がいたな。日用品やちょっとした工具を作るのが巧い男だ」
さらなる疑いをかけられる前に情報を出すことにした。
「この男がまた取引上手でな。物作りの腕は良いが――商売の腕は悪い方がよかったな。なかなかの値をつけてくる。
だが品質は、さすがに吹っかけてくるだけはある……そこらの職人よりは、ああ、たしかに手練れと言えるな」
デモスはその男の姿を思い浮かべながら言った。
空想を語るより真実を語るほうが語勢や声調は自然になり、かけられた嫌疑を逸らす効果がある。
「取引はそれだけではないだろう?」
だが彼にはその程度の策は通用しなかった。
「ある疑いがかかっている。貴様とその男の間でのやりとりについてだ」
「おやおや、心外な話だな。で、それはどのような疑いかな?」
彼以上にしたたかなデモスは微塵も口調を変えることなく、疑われていることへの嫌悪感を滲ませる。
いや、ここはもう少し怒気を露わにしておくべきだったか、と彼は考えた。
「金か、物か、それは分からん。どちらであっても後ろ暗い付き合いがあるハズだ」
声には悪を糾弾する響きはない。
むしろ喉の奥からしぼり出すような低く、くぐもった声だ。
ただこの男も相当な老齢であるハズだが、それを思わせない不気味な溌溂さがあった。
「なるほどなるほど。ありもしない罪をでっち上げ、財産を巻き上げようという算段か。お上のやりそうなことだな」
「忠告だと言っただろう」
テラはわずか語気を強めた。
「旧知のよしみで警告に来てやったのだ。あの役人どもならやりかねんぞ」
「んん? これは分からなくなってきたな。いったいどういうことなのか……? 今や政府側のお前がそんなことを言うとは」
わざと滑稽な所作で彼はテーブルにもたれかかった。
「罠か? 罠なのか? 味方のふりをして儂が口をすべらせるのを期待している?」
テラの心を揺さぶるように甲高い声で訊ねる。
テーブルの上の菓子はなくなっていた。
グラスは――テラの右手にあった。
「信じないならそれでいい。だがそのとおりなら、その男との関わりを今すぐ断つことだ。分かっているのか? もし――」
彼は水を一気に飲み干して言った。
「貴様を捕らえるよう言われれば、私はそうしなければならん。だがそれはしたくない」
「………………」
2人は睨み合った。
敵意も害意もない、鋭い眼光が互いの間を行ったり来たりする。
やがて不服そうに目を逸らしたデモスは当てつけるようにため息をひとつつく。
「政府の飼い犬になどなるからだ」
「貴様の中では傭兵はその認識か」
「間違ってはおらんだろう。強権的なお上の執行者ではないか。どれだけの無辜の民が虐げられてきたことか」
「政道批判はやめろ。私は語る立場にない。貴様が危うくなるだけだ」
「誅するなら罪ある者だけにすべきだ。人心が離れれば未来はないぞ」
「貴様と論じるために来たのではない!」
憤然と立ち上がったテラは怒りに目を血走らせていた。
「忠告は受け取っておこう」
デモスは確信した。
この男はカイロウについてさほど多くは知らないにちがいない。
きっと街ですれちがっても彼だとは気付かないだろう。
ならば今のうちに打てる手は打っておかなければならない。
「――失礼する」
これ以上話しても無駄だ。
テラは茶菓子の代金代わりに金貨を一枚、テーブルに置いた。
怒りを引きずったまま背を向けた彼に、
「テラ、儂からも忠告だ」
デモスは精一杯の穏やかな口調で言う。
「そのコートはサイズが合っておらん。お前の継ぎ接ぎだらけの身体が丸見えだ」
「大きなお世話だ!」
彼は勢いよくドアを閉めた。
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