10 来訪者-1-

 人はその気になれば水でも酔える。

 それがこの老翁の考え方だ。

 つまるところ物事の表面というものは瑣末なものでしかなく、本質は見えないところにあるという意味らしい。

 彼はそれをことあるごとに語りたがるが、理解してくれる者はいない。

 年寄りの戯言ざれごとと取り合わないのだ。

 彼を除いては――。

「おお……これは珍しい。ここには客自体、滅多にこないが。明日は雨が降るかもしれんな。クジラではない方の雨がな」

 細い目をさらに細めてデモスは彼を迎え入れた。

「雨なら降らないぞ。明日も、その明日も、空を覆うのは霧だけだ」

 大股で入ってきた男は勧められる前に椅子に腰をおろした。

「これは儂の、ささやかな助言だが……その黒いコートは脱いだほうがいいのではないかな」

「拒否する。これは自分の身体も同然だ。手放す気はない」

 言葉どおりの意思を示すように、彼はコートを羽織りなおした。

「うむ……拒否する、か。なんとも人間味のない答え方よ。いやいや、皮肉ではないぞ、皮肉では。お前は人間だ。今でも、な」

「貴様の語りも変わらんな。他の奴の倍はかかる」

「ああ、それは誤解だな、きっと。彼らが儂の半分なのだ。言葉足らずで……うむ、会話をした気になるのは危険だ。それはただの――」

「貴様は冗長だ」

「一理あるな。あるいは急ぐ必要が――ないからかもしれん。お前との大きなちがいだな。ところで――」

 デモスは大きなグラスに注いだ水を振る舞った。

「お前のことは今でもテラと呼ぶべきかな? それともここでは政府から与えられた名で呼ぶべきだろうか?」

「好きにしろ」

「なるほど、お前ならそう言うだろうな。よし、ではテラにしよう。うむ、そのほうがいい。短くて済む」

 そう言いにこやかに笑むデモスだったが、目だけは笑っていない。

 対するテラも出された水で喉を潤している風を装い、その実は彼の動向を注視していた。

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