第15話 先輩と負け犬


 私がゲームにログインしなくなって3日が経った。


 向き合いたくなくて、楽になりたくて逃げた――そのはずなのに、私の心はこの3日間、鎖に繋がれたようにずっと重たかった。

 これでいいのか、って。

 私じゃない私に、ずっと問いかけられているみたいだった。 


 でも、あれ以上先輩と一緒にいたら、私はもっとおかしくなっていた。

 そのせいで、もし……もし、先輩を傷つけたり、影響を与えたりしてしまったらと思うと……怖くて、怖くて。


 怖くて、怖くて怖くて。

 怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて――しょうがなくて。


 パソコンの前に座る気が、起きなかった……。


 ……一緒だ。

 将棋盤の前に座れなくなったときと。

 同好会の扉を開けなくなったときと。

 私は……まるで何も、変わってない。


 私は元から、こういうものなのかもしれない。

 好きなものを求めようとすると、好きな自分ではいられなくなる――そういう星の元に生まれたのかもしれない。

 多くを求めようとしなければ、普通に生きていくことはできるのだ。

 友達にも恵まれて、勉強もそこそこできて。

 人によってはそれだけで羨むくらいなんだから、きっと今までの私は欲張りだったのだ。


 身の丈にあった生き方をしていけばいい。

 ゲームは……1人でだって、できるものはできる。

 それでいい。

 それでいい…………。


「そうだ。この前のドラマの続き、いつにする?」

「ウチは今日開いてるよ~。どうする?」


 そう言って礼菜さんが私たちを見回した。

 少し身を固くしながら、私は答えた。


「ごめん。私、今日はちょっと用事が……」


 ――いつまでも逃げてはいられないって、本当はわかってるくせに。








 礼菜さんたちと別れて、1人で先に教室を出る。

 用事があることにしてしまったからだ。本当は何にもなくて暇なのに、あんなことを言ってしまったから、私は友達と一緒に帰ることもできない。


 これでいい。

 これでいいの?


 言い聞かせる声と、問いかける声が、交互に頭の中に響く。

 答えなんてどうせ出ないくせに。

 考えるふりして時間が経つのを待ってるだけのくせに。

 どうして人間って、思考をオフにできる機能がないんだろう。


 校舎の廊下をのろのろと歩く。

 1階に降りて、下駄箱が並んだ昇降口に差し掛かって、私はそこで足を止めた。

 下駄箱の前に、見覚えのある人が立っている。


 茶色がかった黒髪を揺らしながら、自分の下駄箱を開けていた。

 顔には野暮ったいメガネをかけていて、ブレザーの下には中学生離れしたメリハリのあるスタイルを隠していた。


 ……姫乃先輩……。


 濡れた手で撫でられたように、背筋に冷たいものが走る。

 すぐに踵を介して、どこかに逃げようかと思った。

 

 でも、それだと、私は……ダメになってしまうような気がして。

 ダメになってるのを認めてしまうような気がして。

 だから、何も気付かないようなふりをして、自分の下駄箱に行くことにした。


 幸い、3年と2年では下駄箱の位置が違う。

 私は3年の下駄箱の横を通って――


「桜」


 懐かしい声が、私を呼んだ。

 私は思わず足を止めて――だけど、声の方向には顔を向けられなかった。


「無視するの? ちょっと悲しいよ?」


 ――あなたさえ、現れなかったら


 あんなことを、私に言ったのは、あなたなのに。

 あなたのほうが無視してくれてたら、今、私はこんな風じゃないのに。

 吹き荒れた気持ちを飲み込んで、私は意を決して、下駄箱のほうを見る。


 姫乃先輩は優しく微笑んでいた。

 同好会で可愛がってくれていた頃と、全然変わらず。

 むしろ、だからこそ恐ろしかった。

 

 私にあんな悪意をぶつけてきたのに――そのことをおくびにも出さず、そんな顔ができるんだ。

 

 今まで、その顔の裏で、何を考えていたのか。

 微笑みの裏側が透けて見えるような気がして、恐ろしかった……。


「……すみません。久しぶりだったので……気付かなくて」


 たぶん見透かされてる、下手なごまかし。

 だけど姫乃先輩は微笑みを変えずに、


「いいよ、そりゃ気まずいよね? ほとんど1年ぶりだし」

「……はい」


 私の暗い答えに、姫乃先輩は小さく首をかしげた。

 そのまましばらく私を観察したかと思うと、


「もしかして、気付いてる? わたしが里央くんと会ってるの」


 不意に核心を突かれて、私は言葉を失う。

 姫乃先輩ははにかむように笑った。


「どこかで見ちゃった感じかな? 間が悪いなあ、もう――こっちから明かして、驚かせたかったのに」

「……………………」

「そんなに居心地悪そうな顔しないでよ。悪気はないんだからさ、本当に――とりあえず靴、履き替えてきな?」


 私は言われるままに自分の下駄箱に行き、上履きから外靴に履き替えた。

 校舎の出入り口で待っていた姫乃先輩は、私が来ると無言で校門に歩き出す。

 私も無言でそれについていった。


「正直、最初はね?」


 歩きながら、姫乃先輩は話し出す。


「あの『ゲーム王子』の、何がいいのかなって思ってた――そりゃ多少趣味は合うかもしんないけど、自分のことしか考えてなさそうだし、どこにそんなに懐く部分があるのかなって。……でも一度、ゲームしてるところを横から見させてもらって、1発でわかったよ」


 姫乃先輩は振り返って、微笑ましそうに笑った。


「あの純粋な、ゲームを楽しんでる少年の顔にやられちゃったんだ?」

「……やられちゃった、って……私は、そんな……」

「ごまかさなくてもいいよ。正直わたしはやられた。眩しいって思った。学校では友達もいなくて根暗だとか言われてるのに、闇のわたしからしたら誰よりも光で――くらっときちゃったよね」


 いろんな意味で、と姫乃先輩は言う。


「憧れの人と仲良くなっても、その憧れてる部分が手に入るわけじゃない――そうはわかっててもさ、近くで見ていたくなる魅力があるんだよね。わたしだけかもしれないけど――わたしたちだけかもしれないけど」

「……そう、ですね」


 複雑な気持ちだけど、その点については、私と姫乃先輩の価値観は共通していた。

 先輩はゲーム実況なんてする柄じゃないけど、もしそれとは違う形で、先輩がゲームをしているところを世界に発信できたら、きっと多くの人を魅了するんじゃないかって思う。

 そのくらい……ゲームをしている先輩には、憧れる。

 ああ、こういう風になりたかった――って。


「だからね、桜。あなたには悪いなって思ったけど――わたし、里央くんに告白しちゃった」


 一瞬だけ呼吸が止まった。

 今更、どうでもいい情報のはずなのに――いざ、想像が真実に確定されると。

 胸の奥に、鋭い何かが刺さるような痛みがあった。


「そうですか」


 私の声は、その痛みをごまかすように、平坦だった。


「どうぞ……お幸せに」

「怒らないんだ?」

「なんで怒るんですか? 私と先輩は別に付き合ってるわけじゃありませんし怒る義理がありません」

「そんな早口で言われても説得力ないけど」


 私は少し耳が熱くなって、姫乃先輩はくすりと笑う。


「桜でもそんな風になるんだね。なんかちょっと面白い」

「は?」


 なぜだか無性にイラついて、尖った声が出た。


「何が……面白いんですか。人が仲良くしてる人に横からちょっかいかけて……何がそんなに面白いんですか?」


 初めてだった。

 こんなに直接、誰かに怒りをぶつけたのは。


 姫乃先輩が驚いて、戸惑ってくれたらいいと思った。

 少しでも困ればいいと思った。

 だけど姫乃先輩は、むしろどこか嬉しそうに、口元をほころばせた。


「そりゃ面白いよ。桜がそんな顔してくれるんだもん」


 ――最悪だ。

 最悪だ、この人は。


「――帰ります」

「あ、じゃあわたしはここで」


 私が足を速めて校門を抜けると、姫乃先輩は柱の横で足を止める。

 私も思わず足を止めて振り返った。


「……なんで止まるんですか?」

「ここで里央くんを待たないといけないから」


 後ろ暗い愉悦を称えたその笑みを見て、私は隙を見せてしまったことを後悔した。


「ごめんね? 一緒に帰れなくて」


 ――こいつ。

 こいつ……っ!

 この女!!


 私は何も言えず、姫乃先輩に背を向けて――唇は硬く引き結びながら、足早にその場を離れた。

 負け犬の遠吠えは、聞かせてやりたくなかった。








 平日は何事もなかったかのように来て、授業は何事もなかったかのように始まる。

 何事もなかったかのような教室で、だから私も何事もなかったかのように振る舞う。


「じゃあ今日はここまで。中間終わったからって気を抜くなよー」


 先生が出ていって、教室の空気が弛緩し、喧騒に満たされる。

 そんな中、苺さんが懐いた犬みたいに飛んできて、満面の笑みで話しかけてくる。


「真理峰さーん! 今日は何かご予定ありますかー?」

「んー……今日は別にないかな」


 もしまたドラマの続きに誘われたらどうしよう、と頭の端で考えたけど、そのときはまた別の言い訳を考えればいい。

 ちょっとだけ時間を置けば……きっと、先輩の家に行っても、大丈夫。

 

「だったら付き合っていただけませんかっ? TikTokで可愛いお店を見たんです! できたら真理峰さんと行ってみたいなーって……」

「お店って、どんなお店?」

「えーとですね、強いて言えば小物屋さんなんですけどー……」


 ……こうしているうちに、何もかもが過去になっていくのかもしれない。

 先輩との関わりなんて風化していって、最初からなかったことみたいになって。

 当たり前みたいに、私は未来に進んでいく……。


 ……それはそれで、いいのかな。

 自分の面倒な部分に煩わされないで済むなら、それはそれで――


「――あれ?」


 そのとき、礼菜さんが何かに気付いて、廊下のほうを見るのが見えた。


「お兄ちゃんじゃん。何の用だろ」


 心臓が跳ねる。

 数秒間、思考が真っ白になった後、私は恐る恐る、礼菜さんが見ている教室の外に顔を向ける。


 教室の後ろの扉の外で、先輩が閉じた窓に背中をもたれさせて、立っていた。


 まるで誰かを待っているように。

 誰を?

 先輩は礼菜さんのお兄さんなんだから、何か家の用事で尋ねてきたのかもしれない。でもそれだったらスマホの連絡で事足りる。

 いや、こんな思考自体現実逃避で、本当は最初からわかっている。


 先輩の目は、ずっと私に向いているってことに。


 何を考えているかわからない目だった。

 いや、私がわかろうとしてないだけかもしれなかった。

 だって、先輩は純粋で、表情がわかりやすくて。

 だから楽しくて、からかって。


 今だって、本当はわかりやすい。

 教室まで来て、廊下で姿を見せる――


 ――それは私が、先輩に初めて話しかけたときに、やったことなんだから。


 礼菜さんが廊下に出ていこうとしたけど、その前に先輩はスマホを取り出して耳に当てて、何かパクパク喋りながら横に歩いて消えていった。

 何を喋っているかは聞こえなかった。

 でも、その行動が物語っている。


 ――SE74で


 かつて私が、そう言ったんだから。


 先輩は……まだ、過去にする気なんてないんだ。

 私との関係を、終わりにするつもりなんてないんだ。

 こんな風に歪んでしまった私を、突き放しはしないんだ。


 あの人見知りの先輩が。

 他の学年の教室に来て、注目を浴びてまで。

 私に会いたい、って――


 ……たぶん、事情を聞きたいだけだと思う。

 なんで急にゲームに入ってこなくなったんだって、理由が聞きたいだけだと思う。

 先輩はきっと、私の心持ちが変わってしまったのに気付いてなんかいなくて。

 適当な理由を話したら、また1人でゲームを進めてしまうんだと思う。


 だけど、嬉しかった。

 まだ先輩の中に私がいることが……浅はかにも、嬉しかった。


 ……終わりにするにしても、区切りはきちんとつけるべきだ。

 将棋をやってたとき、師匠にも何度も言われた。礼儀はちゃんとしろと。それを守れなくて、私は将棋をやめることになった。

 だったら、今度こそ。


 私はバッグを持って立ち上がる。


「……ごめん、苺さん。急用ができちゃった。小物屋さんはまた今度」

「え? 真理峰さん?」


 びっくりする苺さんをその場において、私は教室を飛び出した。








 通学路から外れた、人気のない路地に入る。

 一見、誰の姿もなかった。あるのは黄色と黒のカバーがついた灰色の電信柱だけ……。

 ……いや、その後ろから、ブレザーの裾が飛び出していた。


 私は電信柱の裏を覗き込みながら言う。


「先輩? 隠れられてませんよ?」


 先輩はビクッとして、ばつが悪そうに私の顔を見下ろした。


「いや、別に隠れてねえよ」

「だったらなんでこんなところに……?」

「落ち着くんだよ」

「どれだけ陰キャ根性なんですか」


 強がる先輩は、やっぱり可愛かった。

 そう思うと同時に、意外と前みたいに接することができている自分に驚く。

 邪念は……相変わらず、混じっている気がするけど。


 先輩は電信柱の裏から出てくると、私に向き直って、少しだけ眉根を寄せながら言う。


「単刀直入に聞くが……なんでログインしてこなくなったんだ?」


 先輩の声は、ちょっと怒っていた。

 だけど少しだけ、寂しそうでもあった。


 それが私は嬉しくて、だけどそれを押し殺して、微笑みながら答える。


「ちょっと気を使っただけです」

「気を使った?」

「彼女さんができたみたいじゃないですか。だったら私とゲームしてるのは良くないですよ」


 建前だけど、嘘ではなかった。

 本当は、先輩に汚い私を見せたくないだけ。


「別にゲームをやめるわけじゃありません。ほら、ろねりあさんたちもいますし、今後はあっちに混ぜてもらいますよ」


 私にゲームを教えてもらえませんか?

 そう言って、私は先輩に近づいた。

 だけどもう、その必要がないくらい、私には知識がついている。

 なのにそれでも、先輩と一緒にいるのをやめられなかったのは、本当に教えてもらいたいものが他にあったから。

 先輩に近づくことで……先輩みたいになれると思ったから。


 先輩は目を細め、うつむき、難しい顔をして、頭をガシガシと掻いた。

 それから、


「じゃあ……最後にちょっと付き合え」


 付き合え、という言葉にちょっとだけどきりとしたけど、当然違う意味合いだと思い直して、私は小首をかしげる。


「えっと……何にですか?」

「それは、まあ……」


 先輩は明後日の方向に目をそらして、すごく言いにくそうに言った。


「で……デートだよ、デート」

「えっ?」


 声が裏返った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る