第9話
僕と夏兄は一応兄弟で、そこからすると四季も兄で秋ちゃんは妹な訳で。
「うざったい、邪魔、どっか行け」
依頼品の修理を続ける四季の横で、頬杖を付きながら悶々と愚痴を言っていると、顔も上げずに四季が言った。
「そりゃあ、兄弟なんて管理所に登録すれば誰だってなれるよ。血のつながりなんて関係ないし、単にひとつのグループとして役所が管理するだけであって、そこに何かが生じる訳でもない。親や兄が下の面倒を見るっていう義務もない訳だから、そういう意味で下が上を尊重しなきゃならないっていう義理も本来はない。他人よりは知人ってだけだから、兄弟になったからと無理に親しみを感じなきゃならない訳でもない。だから秋ちゃんがひとつ屋根の下で暮らしていない僕を兄として考える必要も確かにないんだよ」
四季の言葉を無視して滔々と語り続けると、諦めたのか、彼は手を止めて至極面倒くさそうにこっちを見た。
「それで?」
「秋ちゃんがずっと僕に対して敬語を使うんだ」
出会ってから早一週間、僕の悩みはそこだった。
一日一回は夏兄の店に寄ること。
四季の調子が戻ってからは、今まで通り四季も一緒に行くのだが、この条件のために秋ちゃんには必然的に毎日会うことになる。毎日会うものの、もどかしいくらいに秋ちゃんが遠い。それが無性に苦しくて、なぜか焦りが募る。単に、好きとか嫌いとか、そういう感情だけではない切ないくらいの喪失感が胸に広がって、息苦しさで泣きたくなる。
「本人に言えよ」
心底呆れたように四季が返してくるが、僕にとっては死活問題だった。
「だってそれって押し付けがましくない? それって慣れてもらった呼び方変えさせて、余計に距離取られたりしない?」
「お前さ」
ついに四季は手に持っていた工具も置き、肘をついた右手で頭を支え、盛大に溜め息を吐いた。
「今、相当めんどくさいやつだぞ。うだうだうだうだ悩んだところで始まらねえし、それを俺に言ってどうしたい訳? 話聞いてもらいたいだけならナズナんとこ行けよ。あいつなら真面目に聞いてくれるだろうよ」
「ナズナは僕がこういう話するとあんまり良い顔しない……」
ナズナの顔を思い出す。あの美人な年上のお姉さんは、僕を弟だと思っているのか、はたまた子供だと思っているのか、こういう話を持ち出すと困ったように微笑む。話自体はもちろん誰よりも真剣に聞いてくれるし、相談にも乗ってくれるが、一瞬顔に浮かんだ切ない表情が未だに忘れられなかった。
忘れられない……?
言葉に出した声と、蘇った記憶が中途半端に再生される。僕は、いつ、誰のことを相談したんだっけ? 浮かぶのはナズナのことばかり。掴みどころのない思い出は、そのまま風に流されるように消えてしまう。
「そりゃご愁傷様」
四季が一刀両断するかのように、僕の頭に手刀を振り下ろし、そこで僕の思考は途切れた。大して威力もないその手が落ちてきた場所を押さえながら、上目遣いで四季を睨む。
「俺だって、ずっと『四季さん』で敬語なんですけど。二人してタメ口にして下さいって言いに行って欲しいのか。それこそ男二人で情けねえ」
「……それは嫌だ」
「第一、お前のソレは兄としてどうのこうのじゃないだろう。そこで兄妹を引き合いに出すのは卑怯っつーか、意気地がないというか」
「ソレ?」
何となく含みがあるその言い方に首を傾げる。
「好きなんだろう? だったら、兄妹だから気安く、じゃねえじゃん」
言われて瞬時に顔が熱くなった。せり上がった言葉が喉の奥で声にならない叫びをあげて、喉を詰まらせる。
「気付いてたの?」
「この近距離でお前見てて、それでも気付かないやつってどうかと思うぞ」
四季はそう言いながら立ち上がり、これで議論は終わりとでも言うようにカーテンの向こう、ベッドの方に消えた。それから扉が開かれ、閉まる音。
二段ベッドのある部屋をカーテンで仕切ったこの作業スペースには、整然と物が並べられている。キャビネットには細かく部品名が書かれているが、基本的に僕は『触るの厳禁』。ろくに何があるのかも知らなかった。閉じた戸の向こうからお湯を沸かす音が聞こえる。コーヒーを淹れてくれるのだな、と分かった。背もたれに凭れ掛かるように天井を見上げる。静かな昼下がりの穏やかさに身を委ねていると、火照った顔が冷めてきた。
そういえば、僕は夏さんを夏兄と呼ぶけれど、四季はずっと夏さんと呼んでいるな、とふと思った。僕は夏兄を本当の兄のように思って生活をしていて、口調も四季に話すのと同じくらいフランクだ。しかし、四季はいつまで経っても、夏兄に対して敬語を崩さない。それが礼儀を持って接する、ということなのかどうかはよく分からない。ただ、四季と周りとの一線はそこに引かれる気がする。
四季が、僕から見てフランクに話している人は僕とナズナくらいだろうか。アンドロイドに対しては、スノーや厘堂さんには割と気安い関係を持っているように見えるが、それでもどこか距離を感じる。
僕が四季に対して持っている感覚は、兄弟というよりも友達に近い。出会ったころにはすでに四季が一人暮らしをしていたためかもしれない。しかし、四季が僕をどう思っているのか、僕にはそれがよく分からない。夏兄が四季にとって「家族」なのではないとしたら、単なる恩人なのだとしたら、僕はいったいどこにカテゴライズされるのだろう。
鼻から吸い込んだ空気をゆっくりと口から吐く。
少なくとも言えることは、四季は僕を嫌ってはいないだろう、ということだ。
四季は苦手な人に積極的に関わるタイプの人間ではないし、僕みたいに嫌われるのが怖くてヘラヘラしているようなタイプでもない。それなのに、僕が愚痴を言おうが、わがままを言おうが、嫌な顔をしつつも聞いてくれるくらいには僕に甘い。
僕には、四季がいつも何かを背負っているように見える。それを一人で抱え込んで、周りを巻き込まないように耐えている。僕がいくら彼を頼ろうと、彼は僕を頼らない。そこには大きな壁がある。嫌われてはいないのに、信用されてはいないのか。
本当は僕だって頼りにして欲しい。しかし、その思いと同時に、僕にはきっと荷が重すぎるとどこかで承知している。頼って欲しいのはそれだけ誰かに近付きたくて必要とされたいだけで、助けになりたいと自分がどこまで本気で思っているのか、それは分からない。いざその荷を分けられたら、潰れてしまう気がして、結局呆れられてしまいそうで、僕は心配しようとする口を閉ざしてしまう。
薬缶が湯を沸かす甲高い音が聞こえる。すぐに火を止めたのか、静かになる。
「春、コーヒー淹れたからこっち来い」
扉が開いて、カーテンの向こうから四季の声が聞こえた。はあい、と返事をしながら、僕は頭に浮かんだモヤモヤをなかったことにした。
リビングのソファに腰を下ろすと、四季がテーブルにコーヒーを置いてくれる。ミルクを入れた液面は、混ぜてないせいでマーブルになっていた。置くために身を屈めた四季を見、そして、あれと思った。
「四季がアクセサリーなんて珍しい」
彼の首にネックレスと思われるチェーンがぶら下がっていた。先はティーシャツの中に入ってしまって見えない。
「……ああ、これか」
四季が緩慢な動作で身を起こし、チェーンを僅かに指に引っかけてみせる。
「大したもんじゃねえよ」
それだけ言うと、ふいと踵を返し、残った湯をポットに移し替え始める。
「なになに、女の子からでも貰ったの」
四季が自分で買うところは想像できない。そう思いながら聞く。彼から女の子の話なんてほとんど聞かないし、基本が引きこもりだから、貰うとしたらナズナだろうか。買ったけどつけたら似合わなかったからあげる、捨てたりしたら承知しないから。ナズナが言いそうなことだ。
「
「へえ」
頷きながらも、どこか引っかかるものを感じる。何の? と聞いたら嫌がられちゃうかな。
四季は僕が気を遣うことをあまり良しとはしない。四季の前で作り笑いをしてもすぐにばれるし、やめろと言う。けれど、内容が四季自身のこととなると話は別だった。
「四季は飲まないの?」
話をすり替えるようにして四季に問う。テーブルに置かれたマグカップは一つだけ。分かり切った答えを聞くためだけに質問をした。
「相手が春だろうと誰だろうと、俺は人前で物を飲み食いすんの嫌なんだよ。単なる潔癖か何かだと思ってくれていいから、気にせず飲め」
頭に手を乗っけられて、小突くように撫でられる。
「じゃあ俺は作業に戻るから」
そう言って隣の部屋に戻ろうとしてノブに手をかけたところで顔だけ振り返る。
「さっきの。一年半でも辛抱すりゃ、秋ちゃんもお前に心許すんじゃねえの」
きょとん、と四季を見返して、頭で理解する前にコクン、と首を振った。四季は微笑して、向こうに去って行った。
なんだかんだと答えをくれようとする四季に、苦笑する。四季はやはり僕に甘い。しかし、それだけで焦りにも似た恋心が落ち着いてしまうのだから、僕も単純なのだろう。
箱庭世界 カタスエ @katasue
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