第26幕 贈り物


 失礼する、と言い残し、羅磐と零源は慌てた様子で出て行った。

 扉が閉まると、伯爵はうつむいて肩を震わせ――大笑いする。


(ふははははは! 見たかね零次君、彼らの取り乱しよう!)

(……嬉しそうですね、伯爵)

(ああ、愉快愉快。なにせ土御門といえば、私の手に縄をかけた安倍孤門の子孫だからね)

(子孫には関係ないでしょう、子孫には)

(といっても本人はもうとっくにくたばっているだろうし。私のやり場のない無念にも理解を示してもらいたいな)


 そこで、唐突にマルヤが立ち上がった。


「ションベンしに行ってくる」

「あ、ぼくも――」


 振り返ったマルヤの目は冷たい拒絶を示していた。

 なんでもないです、と零次は浮かせた腰をまたソファに沈めた。

 スティナが不思議そうに零次を見上げる。


「海藤となにかあったのですか?」

「ぼくが嘘をついたから。あの赤い忍者がマルヤの仇で、でもってぼくが倒したって言っちゃったんだ」

「どうして、そんな嘘を?」

「わからない……わからないな……」


 矢鶴が言うように、マルヤの身を案じて吐いた方便だったとしても。

 マルヤがそれを喜ばないことは、零次自身が1番よくわかっていたはずなのに。


「……さて。わたくしもお花を摘みに行ってまいりましょうか」


 そう言って立ち上がったスティナの顔には「この施設を探検してやろう」と書いてあった。


「本当にかわやだけならいいけどさ。あんまり出歩かないほうがいいんじゃないかな。テロリストなんだし、見られて困るものもいっぱいあると思うし」

「ですから――」


 スティナは零次の手を取り、立ち上がらせる。


「零次、おまえがわたくしを警護なさい。灰木も一緒にどうですか」

「あらあら、お邪魔じゃないかしら?」

「まさか」


 そのままスティナに手を引かれて、零次は部屋を出た。

 外には見張りさえいなかった。人手不足なのか抜けているのか、どっちだろう。


 機械虎の尻尾は上から見ると「く」の字になっている。零次たちが今いるのはその下端だ。

 途中マルヤを拾うためにトイレに寄る。だが1つしかない簡易トイレの中にマルヤの姿はなかった。


「道に迷ったのかしら」

「一本道なんですけど……」


 あるいはマルヤもまた冒険心に駆られたのかもしれない。充分考えられることだ。


「イノベーション! 尻尾だけとはいえ大きいですねえ零次!」


 3割増しではしゃいでいるスティナ。年下に気を使わせてしまっている、という負い目が零次の背中にのしかかる。

 しょぼくれた少年を見下ろして、矢鶴は苦笑を浮かべた。


「まだ気にしてるの? 仕方ないよ、それがキミの本当の願いだったんだから」

「……そうなんですかね。今までのぼくは全部嘘。偽善だったんです」

「そうじゃなくてさ」

「え?」

「『マルヤ君の側にいて彼の願いを叶えてあげたい』『マルヤ君に危険な目に遭ってほしくない』、どっちもキミの本当の望みだったんだよ。だけどキミは最終的に、絶交されてでもマルヤ君の安全を願った。ただそれだけ」

「でもそれはマルヤの望みじゃない」

「キミはマルヤ君自身でもなければオマケでもない。望みが食い違うのは当たり前だよ」

「そんなことはないです。ぼくとマルヤは親友で……いつも一緒で……!」


 そこで零次は言葉に詰まる。

 矢鶴はうなずいた。


「零次君は、この3日間、1人で頑張ってきたよ。私の料理を手伝うかどうかも、1人で屋敷に飛び込んだのも、全部自分で考えてやったよね?」

「…………」

「おめでとう。君は自分で考えて、ちゃんと他人が幸せになる結果を出せたよ?」


 うつむいて考え込む零次に、矢鶴は内心やれやれと肩をすくめる。


 ――自分が自分の意志で動く。


 そんな、誰もが当たり前のようにやっていることに大きくつまずいて、親友を杖にしなければ歩くこともできなくなった子供。それが袴田零次だった。

 ああ、なんて面倒臭くて、あわれで、痛ましい。


「零次君。キミが剣道の試合、滅茶苦茶にしちゃったって話してくれたでしょ?」


 何の話ですか、とスティナが食いつくが、また今度にしてもらった。


「あれ聞いてさ。正直、私『ざまぁ』って思っちゃった。キミにじゃなくて、他の人に対して」


 矢鶴は小さく舌を出す。

 零次は訝しげな顔をした。


「キミだって勝ちたいよね。誉めてほしいよね。別にお兄ちゃんが勝ったからってキミになにがあるわけでもないのに、黙って引き立て役でいろなんて、ひどい話だよ。うん、むしろキミ怒ってもよかったんじゃない?」

「ぼくが……怒る?」


 考えたこともなかった。

 零次にとって自分はいつも加害者で。一生、その罪を糾弾きゅうだんされて生きていくものだったのに。


「キミはまず、キミ自身のために生きるべきだと思う」

「……ぼくの」

「そう。マルヤ君のためとか、マルヤ君にどうなってほしいかよりもまず、キミがどうしたいか」

「…………」

「ひとつ、お姉さんの人生訓からものを言うとね。相手が崖に落ちると思ってるときに背中を押すのは、信頼でもなければ優しさでもないよ」

「…………」

「――あら、もう行き止まりです」


 スティナが足を止めて、残念そうに言う。

 尻尾はそこまで長くない。

 各部屋を無視してただ進めば、端から端まではあっという間だ。


「……ねえ、どうしても元の世界に帰りたい?」


 零次の質問に、スティナはなぜそんな当たり前のことを訊くのかわからない、という顔を返した。


「あいつらの言うことが正しい証拠なんかない。本当に戻れるかもわからないじゃないか」

「しかし、今のところ銀兎会以外にあてがありません」

「いや、さ。いっそこの世界で暮らすのはどうかな」

「そうね。私もそれがいいと思うわ」


 矢鶴が賛同してくれた。 


「銀兎会の方法が的外れとまでは思わない。でもそれはあなたにとって大きな負担となる。そりゃ、この世界はいつ滅びてもおかしくない。でも考えてみて? 元の世界だっていいことばかりじゃなかったはずよ。格差社会に環境破壊、温暖化だの寒冷化だの。大人はイデオロギー闘争のためなら平気で子供を人身御供にする。ウイルス騒ぎだってまだ収まってない。そこまでして戻るべき場所?」


 スティナは矢鶴をじっと見つめた。


「……灰木。おまえは……マロウドなのですね?」


 矢鶴はあっさり「そうよ」と認めた。


「お姉さんが、マロウド!?」

「隠すつもりはなかったけど、わざわざ言いたいことでもなかったから」

「そうか! あの不味い、料理といえないなにかは、向こうの世界の味覚に合わせて作られたものだったからなんですね!」

「え? あ……、うん、そう、そうなの! 向こうじゃ私、天才シェフだから!」

「…………」

「ああああああゴメン嘘です! 向こうでも料理音痴です! すいませんでしたそんな目で見ないで!」

「なんでそんなしょうもない嘘を……。マロウドっていうのも冗談じゃないんですか」

「では、わたくしが確かめましょう。灰木、おまえが日本人ならこの質問に答えられるはずです。『仮面ライダーシリーズのうち、昆虫をモチーフにしていないライダーを5人、お答えください』。さあスタート」

「ごめん、それ日本人でも答えられるの子供かオタクだけだと思う!」


 矢鶴はポケットをまさぐって、1枚のカードを出す。

 カードには矢鶴の顔写真と名前、住所などが記載されていた。零次にとってはまったく心当たりのない住所だ。


「……『運転免許証』?」

「元の歴史では自動運転なんてなくて、車を運転するのに教習が必要なの。これはその修了証明書」


 零次に対し、スティナは大きくうなずく。

 どうやら矢鶴がマロウドであることは本当らしい、と零次は納得する。


「おまえは元の世界に帰ろうとは思わないのですか?」

「まったく帰りたくないといえば嘘になる。でもね、どうしてもってほどじゃない」


 矢鶴があれだけアーミッシュ区の外に出るのを拒んでいた理由がわかった。

 夢見忍であるボフリーに襲われる危険性を少しでも減らすには、電子通信が使えないあの場所に引きこもるのが1番だからだ。


「何人ものマロウドが赤い忍者に殺された。銀兎会に保護されたマロウドも、実験の失敗で廃人のようになった。それで私は思ったの。『帰るの、割に合わないな』って」


 それで矢鶴はこの世界で生きることを選んだ。


「……それでも、わたくしは帰ります」


 昂然と顔を上げたスティナの目に少しの迷いもない。


「いいえ、帰らねばならないのです。果たさねばならぬ責務があるのですから」


 責務。

 幼女らしからぬ大袈裟で無骨な言葉だが、不思議と違和感はなかった。

 子供がおぼえたての難しい言葉を得意げに使いたがるのとは違う。そう思わせるだけのなにかをスティナは備えていた。


「……あの」


 零次はポケットに手を突っ込んだ。

 スティナに向けて広げた手の平には、消しゴムほどの大きさをした長方形のプラスチック板が乗っていた。

 VTCメモリ。今となっては時代遅れの小型記憶装置ストレージだ。


「これを持って、羅磐さんのところに行くといい」

「零次、これは?」

「マルシャの箱に入ってたもの。たぶんこの中に、ビフの忍法帖が入ってる」


 マルシャの箱を開けるとき、伯爵は1つだけヒントをくれた。

 「蓋が開く一手順前に、底面が一瞬開く」というものだ。

 その通り、蓋が開く寸前、零次が底面に添えた手の上に小さなメモリはポロリと落ちてきた。


「いいのですか? 海藤が欲しがっていたのでは?」

「……君が使うのが、1番いい。……と、ぼくは・・・、思う」

「ありがとう、零次」


 スティナの指がメモリをつまみ上げる。

 零次は一瞬、肉を千切り取られたような痛みを感じた。

 マルヤへの後ろめたさが見せた幻痛だ。


 心の痛みに気をとられ、零次は物陰から自分をじっと見るマルヤの視線に気づくことはなかった。

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