第27幕 マルヤの選択
あれから1週間が経った。
マルシャの箱の中に入っていたのは、やはりビフの
銀兎会は歴史再改変計画、通称『ラ・ジュテ計画』の準備をはじめ、スティナはそれに協力している。
マルヤもだ。歴史を変えることで、りんの死を最初からなかったことにするつもりらしい。
計画は順調に進行、かつては頻繁にあったボフリーとその黒幕からの妨害も途絶えているようだ。
もっとも、零次にはもはや関係のないことだった。
「零次君、どうかな?」
「……はい。ちゃんと人間の食べられるものになってます」
「素直に美味しいって言ってくれない?」
あれ以来、零次は矢鶴と一緒に暮らしている。
「ねえ、ビール飲んでいい?」
矢鶴が取り出したのは缶ビールではなく瓶ビールだった。
グラスに泡の出る黄色い液体がたまっていくのを見て、零次は呆れ顔を浮かべる。
「どうしたの? 飲みたい? でも駄目だよ、流石に幼稚園児には」
「これで何度目ですか! 小学生ですってば!」
しかも3年生だ。
「まだ昼ですよ。引っ越し作業もしないと」
「いいじゃないの、そんなに荷物ないんだから」
零次と2人で暮らすにあたり、矢鶴はワンルームから家族向けのマンションに引っ越すことを決めた。
そのための資金は銀兎会から充分すぎるほどもらっている。
スティナを守り、ビフの忍法帖をもたらした零次への報酬だ。
「なんか、ぼくのせいで無駄な作業させちゃってすみません」
「謝らないで。むしろ感謝してるんだから」
「感謝……?」
「私は元の世界に戻る気力もなく、かといってこの世界で生きる意欲も湧かず、ただ赤い忍者に見つからないよう、息を殺して引きこもってるだけだった。でも、キミと出会って、外に出る勇気が出た。でもってキミがいるから、この世界でちゃんと生きていこうって踏ん切りがついたの」
まだ半分も飲んでいないのに、矢鶴の顔は既に真っ赤だ。
照れくさそうにグラスを持ち上げて、零次の湯飲みにぶつける。
「ありがとう零次君、生まれてきてくれて」
「…………」
まあ、こっちを選んだのは、時空を超えた大冒険なんて肉体的にキツいっていう消極的な理由なんだけどね――と早口で呟きながら、矢鶴はすごい勢いでビールをガブ飲みしはじめた。
矢鶴の健康のためには止めるべきだろう。だが零次は動けないでいた。
彼女はさっき、なんと?
生まれてきてくれてありがとうと言われた気がする。だがまさか、そんなことを言われるはずがない。
だとしたら皮肉なのか。冗談なのか。暗号か。
(素直に受け取りたまえよ。ひねくれた子供だなぁ)
伯爵の声がやかましい。
「それより、いいの?」
矢鶴は急に心配そうな顔をした。
「零次君は、マルヤ君と一緒に行きたかったんじゃない?」
「え……?」
「ほら、男の子って冒険とか好きでしょ」
「男でも子供でも安定志向ってのはありますよ。冒険とかチャレンジを尊べば、見ているだけの大人は御満悦なのでしょうけどね」
怒ンなよぉ~、と矢鶴は笑いながら零次の頬を指でつついた。
既に出来上がっている。
その時、ワイズチップが新着メッセージの存在を零次に伝えてきた。
電波通信が届かないこの場所でメッセージが飛んでくるのも零次を驚かせたが、送信者名は更に零次を仰天させた。
零次は思念チャットを起動。
Stina:スティナです! ;-)
Rage:スティナ?
X-id:オレもいる
Rage:マルヤまで……?
Stina:羅磐さんに頼んでワイズチップを入れてもらいました :)
Rage:文末の記号、なに?
Stina:
Rage:顔……ああ
Stina:身体に機械を埋め込むのは正直抵抗があったのですが (:-<
Stina:やってみれば意外と気にならないものですね。イノベーション! :)))
Rage:それはいいけど、どうして通信が届いてるの?
尋ねた瞬間、ドアチャイムが鳴った。
開けたドアの向こうには、スティナがいた。
その後ろには竹刀袋を背負ったマルヤが立っている。
なるほど、区の中にいる者同士なら通信は成立するらしい。
「今日は、2人にお別れを言いに来ました」
スティナは口を引き結んで、背筋を伸ばす。
「明後日の零時ちょうど、過去に跳ぶ儀式を行います」
「そう……。いよいよなのね」
「おまえたちがわたくしたちを忘れ去っても、わたくしはおまえたちを忘却の海に流したりはしません。零次、おまえが赤い忍者からわたくしを守ってくれたこと。灰木、おまえが勇気を出して、車で迎えに来てくれたこと」
「やめてよ、湿っぽいのは。笑って別れましょう。というか私、あなたに恨み言を言われてもしかたないのに」
時空を超えるにはビフの忍法帖に収録されたマギアプリと、改変前の歴史に対する強い執着心――すなわち『帰りたい』と願う心が必要になる。
矢鶴にはそれがなかった。
「気にやむことはありません。おまえがどうあれ、わたくしはこの旅に参加していたはずです。だって――タイムトラベルなんて、ベリーベリーイノベーションでしょう?」
スティナはにやっと笑う。
きっと彼女は大丈夫だと零次は思った。見事歴史を変えてしまうだろう。
「零次」
マルヤが指を振る。
「2人で話がしたい」
「……いいよ」
先に外に出たマルヤの後を追おうと靴を履いたとき、矢鶴が肩を叩いた。
「頑張ってね」
「はい」
「もう、嫌われたらとかそういうの気にしないで、正直な気持ちでぶつかってきなよ。大丈夫、マルヤ君と絶交しても、キミは1人じゃないから」
「…………」
「どうした? お姉さんの包容力に感動した?」
「いや、料理ひとつまともに作れなかった人の台詞とは思えないなって」
「後でおぼえてなさいよ」
零次はアパートを出た。
今日の新赤牟市の天気設定は快晴。ただし夕方より曇り空、夜間には
向かいの空き地では今日も工事が続いている。重機は無人だが、これはあらかじめ内部にインプットされた建築プログラムを実行しているので、通信妨害は関係ない。
「おめえさ」
「あのさ、オレ」
「うん」
「銀兎会、裏切るつもりなんだ」
「そう。…………え?」
きっと今自分は間抜けな顔を浮かべているのだろう、と零次は思った。
だが顔の筋肉が動かない。
強張った零次のはおかまいなしに、マルヤは続ける。
「まあ裏切るってーか、最初から仲間じゃなかったんだよ」
「はあ……?」
「袴田の家に捕まってるときに、エルロックから手を貸せって言われてさ」
「公儀探偵……いや、赤い忍者と!?」
銀兎会は必ずスティナを手に入れようとする。
それについて行き、アジトを突き止めろ。
そうすれば、別の忍法帖をやる。
エルロックはマルヤにそう持ちかけたのだった。
「探偵はもう、本当は箱の中にちゃんと目当てのモノがあったって知ってる。おまえに騙されたってブチ切れてるぜ。でもって今この時も、銀兎会討伐作戦は着々と進行中だ。今夜にでもあいつらは根こそぎ駆除される」
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